1.サム・ゴトー
SFは題名通りのSwing-by Flight(スイングバイ飛行)
ルチア・ジョスが宇宙空間に消えて一ヶ月後、四年続いた戦争が終わった。
その二十人ばかりの青い制服姿が入り口に現れたとき、ラウンジは一瞬沈黙した。モニカもストローを持つ手を止めて、意識の底に刷りこまれた敵意と共に向けた目を離せないでいた。
地球青――地球連邦軍のトレードカラー
つい半月前までモニカの属する小惑星・火星連合と砲口を向けあった敵相手に、条件反射で立ち上がる闘争心は、停戦になったところで容易に収まるものではない。たちまちテーブルのあちこちから不穏なざわめきと視線が交わされ、一人の曹長が体を揺らして招かれざる客に向かっていった。
「今時間はこっち側のはずだぜ。ちと早いんじゃないのか」
「せっかくの相互理解の機会を、もっと活用しろと上からのお達しでね」
最前列にいた細い黒髪が、ひょいと両手を広げた。
「プライベートでも多少はコミュニケーションを取らないと、阿吽の呼吸が得られないとかで」
「そんなもの無くたってドジは踏まんよ。さあ、出て行って」
「上からのお達しだって言ったでしょう、ジッブス」
青い人垣の間から見なれたレンガ色の上着が現れ、たちまち姿勢を正したジッブス曹長と背後の面々に微笑みかけた。
「ほら、広いラウンジがすかすかじゃない。ご用意くださったお相手には相応にお答えするのが礼儀よ」
リヴ・ローワン技術少佐は女教師よろしく手を叩き、左右の連邦兵士達を中へ誘った。とは言うものの思いは向こうも同じらしく、ドリンクラックから飲み物を受け取ると、ぎこちなく仲間同士で固まって人のいないテーブルについて行く。が、群を離れた一人がモニカのいるテーブルに歩み寄って、やあと軽く挨拶した。先ほどジッブスと言葉を交わした黒髪だ。
「ここ、座ってもいいかな」
同席していた仲間がそそくさと席を立つのに舌打ちして、モニカはぞんざいに椅子を示した。
「どうぞ、軍曹殿。そういう命令ですから」
相手は片眉をあげたが、合点がいったか襟の階級章を指先で払い、横の席へ腰掛けた。と、モニカの手元のパックに目をやり軽く笑う。
「フルーツヨーグルト?」
「未成年ですから」
「ああ、そう。そうだった。さすが名高い『リヴ学校』の優等生、モニカ・トレディ上等兵」
警戒気味に眉をよせるモニカが顔を向けると、一重の黒い目がいっそう細まって笑みが口端を引き上げる。
「明日一番に発表になるだろうが、君とペアを組むことになったサム・ゴトーだ。よろしく」
右手が気安く差し出された。
小惑星群の開発権を巡る争いは、だらだらと続いた割には停戦から共同歩調への動きは早かった。戦闘終了の一声で前線の戦闘兵達はそろって撤退したが、モニカ達工兵の一部はしばらくの待機を命ぜられ、まもなく選抜隊として組織されて、ここ月裏の中立ステーションに送られた。
任務は地球近辺に浮かぶ宇宙機雷の掃宙作戦。内容はともかく、連邦軍工兵隊との共同作戦と聞かされては、兵士達の動揺は抑えきれない。が、そこは下士官を中心としたベテラン達なので、命令と心中の折り合いをつけるべく、せめてプライベートタイムの顔合わせは避けようと、双方上官達には内緒でコンセンサスを交わしたばかりだった。
宙にとどまる掌を、モニカはしばらく見つめていた。もちろん応える気は毛頭ないが、男にしては華奢な指が妙に優雅で目が離せない。
「どうしたの、モニカ。礼儀もちゃんと教えておいたはずよ」
いきなり背後から両肩を軽くつかまれ、聞き知った上官の声が耳元でささやかれた。
「あ、はい。はい、リヴ。よろしくお願いします。ゴトー軍曹殿」
ぴくりと背筋を伸ばしたモニカはあわてて手を握ったが、返ってきた予想外の握力に目をしばたかせた。間に立つリヴ・ローワンが二人の肩にそれぞれ手を置き、アイス・グレイの瞳を交互に向ける。
「ゴトー軍曹は、モニカが最年少なので不安なんですってね」
「それは誤解ですよ、ローワン少佐。この若さで少佐のご推薦となれば、早く知り合いたいのは人情でして」
「知る? あら、気が早すぎない?」
眉を上げたリヴの探りへ、軍曹はいかにも心外そうに返した。
「いえ、言葉通りピュアなものです。他意はありません。余計な意味はこれっぽっちも」
そこで肩へ置かれた手に触れようとするが、一瞬早く身を離したリヴ・ローワンはにこやかながらも軽く鼻をならした。
「そう願います、軍曹。では失礼。モニカ、気をつけるのよ」
「あ、リヴ」
慌てて振り返ったモニカの目には、出口へまっすぐ向かうレンガ色の背だけが映り、かすかなため息が思わずもれた。サム・ゴトーが苦笑する。
「なんだかなあ。君こそ不安のようだけど」
自分の感情を見抜かれて、モニカはいっそう表情を堅くした。
「そちらの技術については不安はありません。軍曹殿は信頼できる腕だと思います」
「その評価はうれしいが、会ったばかりでわかるのかい?」
「手とか指の形や動きで」
「指、これ?」
片手をあげたゴトー軍曹が指先をひらひらさせると、モニカは小さくうなずいた。
「リヴ――ローワン少佐にならって、最近ようやくわかるようになりました」
「ああ、いろいろ彼女に教わったんだね。まさに学校の先生」
「ローワン少佐は立派な方です。連合軍の誇る技術者です」
相手の揶揄する口調にモニカがむっとすると、ゴトー軍曹は目を見開いて首を振った。
「あ、いや。今日までの彼女の作戦講義は、実際たいしたものだ。こちらの上官たちも、レベルの高さに舌をまいていた」
それまで相手をまともに捉えていなかったモニカの緑の瞳が、初めてじっくり向けられる。
「そう……なんですか?」
「なんだ。両軍に聞こえるリヴ学校――ローワン工兵部隊を率いるだけの人格、技術、指導力三拍子そろった類まれな才媛」
モニカの堅かった頬がたちまち緩んだ。
「そう思います? そうですよね!」
「うんうん、彼女はそう。ああ、まったくすばらしい」
ほめそやしながら、いそいそと身を寄せてくるゴトー軍曹。
「だから、そんな彼女に特別見込まれた君の手もすばらしいってことだ」
あっという間にモニカは手を引き寄せられ、その指先を丹念に広げられるに至っては全身を硬直させた。
「これが優等生の手か。僕がこれに似てるかい? 重ねて、と……大きさはあまり変わらないな、いや、やっぱり僕より少し」
「――なしてくだ」
「え、なに?」
「セクハラです、離してください!」
立ち上がり手を引き抜いたモニカの剣呑な眼差しを上から浴びて、ゴトー軍曹はあわてて後ろへずり下がった。周囲からは非難と軽蔑の視線が無言の圧力となって集まり、狭い肩をますます細くさせてばつの悪そうな咳払いを一つ。
「や、すまない」
「目撃者も多数ですし、私が告訴すれば軍法会議ものです」
「申し訳ない」
「ただでさえ微妙な時期に、遺憾きわまりない行為です」
「僕が悪かった。許してくれ」
潔く下げられた黒い頭の後頭部を見下ろすうちに、モニカのへの字に引き結んだ口元が次第に緩んでくる。と、ちらりと見上げる黒い瞳。
「君、背が高いんだね」
ラウンジ・ルームに鈍い音が響いた。
「それで手が出ちゃったの?」
リヴが額に指を当てて首を振った。深夜時間のメディカルエリアは人影もなく、ベージュ色の床の上を二つの影だけが進んでいく。上官の後を従うモニカは、最後の抵抗と口をもごもごさせた。
「し……身体的なことをあげつらうのも、ハラスメントかと」
「だからといって上等兵が無抵抗の軍曹に手を挙げては、本来なら営倉入りよ」
生まれて初めて不名誉な宣告を受けた若い兵士が肩を落とすと、リヴは立ち止まって振り返った。微苦笑とともに伸ばした手を相手のうなじに回して、意気消沈の頬に軽くキス。
「背が高いなんてうらやましい限りなのに。まったく気が短いったら」
「すみません、リヴ。せっかく推薦してくださったのに。あの、軍曹の具合は……」
「軽い脳震盪ですって。とっくに目覚めて検査も異常なし。まあ、セクハラの報いだと思えばいい気味だけど」
停戦直後の共同作戦という特殊事情で、両軍の上層部も多少のもめごとは当面静観の方針らしく、今のところモニカに対する処分が下りる気配はない。ただ、軍曹が訴えでて公になれば話は別なので、二人だけで話したいとの申し出があれば、断ることはできなかった。直接の抗議を受けるだけで彼の気がすむなら願ったりだ。
救護室前に来たところでアイス・グレイの瞳が心配そうに見上げる。
「一人で大丈夫? 一緒にいってもいいわよ」
「いえ。自分のことは自分で始末をつけます」
「そう。でも何を言われようと、毅然とした態度を忘れないようにね」
上官から頬を軽くたたかれ覚悟を決めたモニカは、救護室のインターフォンを押した。
出迎えた当直の軍医は連邦側だったが、愛想よく招き入れられ、奥のパーテーションに仕切られた一角に案内される。
「サム、待ち人きたるだ」
応答確認もそこそこに仕切を開き、ごま塩頭を傾げてモニカへ送られる陽気なウィンクと忠告。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」
軍医に頭を示され、自分の赤毛にふれたモニカは、いささか不機嫌になりながらも気を取り直した。白い囲いに脚を踏み入れると、シャツ姿のサム・ゴトーがぼんやりベッドに腰掛けている。あの、との声かけに、ゆっくり首を回して、やあ、と間の抜けた挨拶が返ってきた。
ゴトー軍曹の様相は予想外に穏やかだった。むしろしまりない笑みは、打ち所が悪かったのかと別の心配が持ち上がる。
「ええと……そうだ。僕が呼んだんだっけ」
「まことに申し訳ありません。深く反省しています」
相手の弱々しさに罪悪感もひとしおのモニカへ、ゴトー軍曹はおうように手を振った。
「いや、僕のデリカシーも足りなかった。怒りの鉄槌が身にしみた」
「手加減はした……つもりなんですけど」
「それはありがたかったが、うん、問題があるんだ」
きた――と続く言葉に備え、モニカは全身を緊張させた。
「最後の言葉のアレ。周りの面々には聞こえなかったみたいでね」
端から見れば、謝罪中の軍曹をいきなり殴ったモニカを連邦兵士が非難すれば、連合側も軍曹のセクハラを持ち出して応酬し、双方すっかり険悪ムードだという。うなだれて大きなため息をもらしたサム・ゴトーが、上目使いにモニカを窺う。
「で、さっきも上官に、このままじゃ作戦に影響するから、なんとかしろと言われたんだがね。実のところ僕一人の力ではどうにも」
「わ、私にできることがあるなら、なんでもします!」
モニカは勢い込んで進み出た。自分の処分だけならともかく、協力関係にまで支障がでては不本意だ。とたんに軍曹の憂い顔が解け、力ない右手をすがるように差し出してきた。
「それはうれしいな、協力してくれるかい」
「ええ、なんでも仰ってく」
思わず手を握った途端、強く引き寄せられた。立ち上がった軍曹の顔が目の前に迫り、モニカの息が止まる。
「では『仲良し作戦』発動だ。外野にしのごの言わせないくらい最高のコンビって具合で、まずはファーストネームで呼び合うかな。お互いがんばろうぜ、モニカ。うん、これ」
すばやく薄いそばかすの頬にふれる唇。
サム・ゴトーは、それまでの動きとはまったく違う機敏さで、収納ボックスに入った地球青の上着を着込んだ。脇をすり抜ける相手に、モニカの震える顎がようやく用をなす。
「セ、セ、セクハ……パワハ、ラで……!」
「とんでもない、立派な平和維持活動だ」
「軍曹!」
「サム」
人差し指を突きつけ黒い瞳のひと睨み。と、いっぱいに口端をあげたゴトー軍曹はくるりと青い背を見せ、パーテーションの向こうに消えた。
しばらくして軍医が気配のない仕切の中をのぞくと、赤毛の上等兵が呆然と立ちつくしている。気の毒そうにかかる一言。
「な、ベッドにいたのは狼だったろう?」
洗面所のウェットティッシュで力任せにこすった頬が、ひりひり赤く腫れている。サム・ゴトーにいいように踊られされ、モニカは道化師のような鏡の自分へ拳をあてた(備品を壊さない程度に)。今まで何度か男に言い寄られたが、これほど無節操なのは初めてだ。もちろん、あそこで手を出した己の気の短さが一番の原因なのだが。
――背が高い
リヴが言うように気にしているわけではない。女としては上等な体力と共に、兵士には有利だとさえ思っている。ただ。
そう言って始終うらやましがったのが、小柄なルチア・ジョスだった。
――誕生日なんでしょ、モニカ。機雷の設置なら私が替わりに行ってあげるよ。
彼女が宇宙から戻らなかった日からも、モニカの背は伸び続けている。