3話 毒蛇
ミディアが生まれ育ったのはとある国の暗部だった。
誘拐、暗殺、諜報といった非合法な活動を行う工作員を養成するために設けられた村。
そこでミディアは何の疑いもなく、その日その日を生きていた。
「色々ありましたね。同じご飯を食べた者同士で殺し合うとか、情報を得るためにロリペドの愛好家相手に体を売るとか、私の心身において綺麗な場所はどこにでもありませんよ」
もちろんミディアもこの状況に疑問を覚えることはあったが、国家という巨大な組織の前にいつも絶望し、忘れるのが常だった。
「そんなある日、ご主人様が村に現れたのです」
国家そのものを敵に回しても平然と振る舞い、ミディアにとって絶対の存在だった上官や先輩を鼻歌交じりに屠ったマルス。
ミディアにはどうしようもないと思われていた概念をあっけなく打ち崩してきた。
「その時私は心から震えたのです。私の全ては十二神器の保持者であるご主人様にある。ご主人様のために命を捧げられるのであれば私にとってこの上ない喜びだと歓喜に震えました」
ミディアは熱っぽい声でそう話す。
普段の臆病な様子とは似ても似つかない心酔具合にシルヴィアは黙って頷くことしか出来なかった。
「……それがお前の過去か」
しばらく後、ようやく口を開くシルヴィア。
「なるほど、想像以上の生い立ちだったのだな」
「はい、その通りです……軽蔑しましたか?」
「驚いたのは事実だ。しかし、軽蔑はしない」
シルヴィアは首を静かに振って否定する。
「うーん、嘘やおためごかしでなく、本心からのセリフのようです……理由を聞いても良いですか?」
まじまじと己を見つめるミディアのクリクリとした瞳に対し、微笑みながら続ける。
「ミディアの技術と性格は必要に迫られて身に付けた代物だ。血を残すために亡き兄の妻を娶る様に、父母を護るために兄を殺す様に、やむを得ない場合、非合法は合法となり咎は赦しへと変わる」
誰だって罪を犯したくないし、良心の呵責に苛みたくない。
しかし、時と状況はそんな当たり前の希望さえ叶えさせてくれない。
ゆえに神は赦した。
どうしようもない時、他に手段がない時に限り、非合法な行為は許される。
「……ご主人様が感嘆するわけです。私もシルヴィアさんの母に会ってみたかったです」
「何故私の母上が出てくる?」
シルヴィアは己の信念について述べたのに、何故母が話題に上がるのか分からなかった。
「それはですね。人間の信念というのは己が尊敬する人物を手本に形成されるモノなんですよ」
人は人から学ぶ。
それは古代から続いている黄金律である。
「ご主人様がシルヴィアさんを王都へ一旦戻したでしょう。それは母に対しての敬意なのですよ。十二神器の保持者である己に対し、こうまで言い切る人物を作り上げたシルヴィアさんの母に対する褒美です」
「うん? その理屈だと。もしマルスが私の母上に敬意を払わなかったらどうなっていたのだ?」
「どうもこうもしません。有無を言わさず――いえ、口は許すでしょうが、ご主人様の領地に連れ去ったでしょう」
「領地? あいつはどこかの国の領主なのか?」
「広域的にはそうでしょう。ただ、王からの命令を拒否できる特別領主ですが」
「少し興味があるな」
あの自由奔放なマルスが領主を務める地がどんな場所なのか、知りたくなったシルヴィアだが。
「比率としては男対女の比率が一対九の、女性住民がほとんどの領地ですよ。ああ、それと私がいた村で生き残った仲間もそこで暮らしています」
続く言葉を聞いて一気に幻滅する。
「私達女性からすると結構住みやすいんですけどねえ。政治は勿論、軍事から行政に至るまで全て女性の手で行っているので、少なくともあんな無法者の存在は絶対許せませんよ?」
「……」
それを聞いてシルヴィアの心が動いたのは、先ほどの出来事が衝撃的だったからだろう。
「やあ、来たよ」
夜。
ドアのノックと共に黒目黒髪の青年が姿を現す。
「ご主人様!」
マルスの存在に顔を明るくさせるのはミディア。
ナイフの手入れをしていた手を止め、一目散に駆け寄った。
「おお、よしよし……へえ、凄いじゃないかシルヴィア。ミディアの心を開かせるとは」
ミディアの頭を撫でながらマルスはシルヴィアを褒める。
「何度も言うけどミディアは人見知りだからね。他人の目があるとこんな愛情表現はしないんだよ」
心を許さない相手の前でミディアは己を表現しようとしない。
マルスに抱き付き、頬を摺り寄せてくる様子からマルスはミディアがシルヴィアを仲間と認めたと解釈した。
「……」
が、マルスの賞賛に対してシルヴィアは苦い顔。
それもそのはず、ここ数日間シルヴィアは王宮に関する情報を何も得られなかったからだ。
当初はすぐに分かるだろうと高を括っていたシルヴィアだが、流れていく時間がそれは傲慢だと告げる。
しかも最近は手配書を配布したのか警備の者に見つかる回数が増えた。
そして今日、自分達がいる宿が特定されかかり、ついにミディアがストップをかけた。
「本来ならもう諦めて僕の領地に来てほしいのだけど」
「……まだだ、まだチャンスはある」
マルスの言葉に対し、シルヴィアは低い声で抵抗の意思を示す。
「と、まあ全然諦めていないよね……しかし、ミディアの心を開かせたのは純粋に凄い。だからヒントを与えよう」
そう言ったマルスは近くにある椅子に腰かけ羊皮紙に何かを書き記す。
「イリーナ=グーデンタークって知っている?」
「っ!」
心当たりがあるのか、マルスから出てきた言葉にシルヴィアは思わず目を見開く。
「彼女がね、南のトラスト地区のこの辺りに出没しているんだ。時間帯は朝から正午まで。もし神に愛されていれば会えるかもね」
マルスは手書きの地図と注釈を記した羊皮紙をシルヴィアに手渡して。
「念のために告げておくけど、明日で宿を引き払うから。もし進展がなかったら大人しく従ってもらうよ」
マルスのその笑みは最後通牒だと暗に教えていた。
王都といえど、都市全体が秩序に守られているわけでもなく、中には無法地帯に近い区域も存在する。
南のトラスト地区。
そこは王都の中で最も治安が悪く、日が没したのなら、例え騎士であろうと入り込んではいけない場所だった。
「……」
「大丈夫ですよシルヴィアさん」
シルヴィアのよそよそしい動きから勘付いたミディアは励ます。
「私の勘が告げています。今、近くに明白な危険が迫っていないと。大手を振って――とはいきませんが、普段の警戒で十分事足ります」
「うむ、信じるぞ」
ミディアがそう断言するのなら安全と表現しても差しさわりないだろう。
一つ頷いて気を取り戻したシルヴィアは手掛かりを探すべく一歩を踏み出した。
「これで二十枚目……と」
シルヴィアはチラシを目立つ場所に張り付ける。
書いてある内容はこれ。
『イリーナ=グーデンターク、あの日の誓い、あの日の場所で待つ。シルヴィア=ローゼンハイム』
ミディアを始めとした第三者にはただの怪文書に過ぎないが、シルヴィアとイリーナなら見当が付くだろう。
この方法が最もイリーナと邂逅する可能性が高かった。
「よし、次はあちらに行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ミディアはよろめきながらシルヴィアの後をついていく。
ミディアの腕には未だ百枚近いチラシがあり、加えてノリが入ったバケツも抱えているゆえ重さも相当なもの。
小柄なミディアにはそれが相当重荷となっている、が。
「少しゆっくり行きましょうよ。でないと落ちてしまいそうです」
文句は垂れるものの、シルヴィアに抗議はしない。
ミディアは長年マルスの無茶苦茶に付き合わされてきたゆえ、これぐらいの無茶ぶりは慣れっこだった。
そうして一、二時間ほどチラシを張り付ける作業を行った時、二人に近づく男が現れた。
「おい、嬢ちゃん達。イリーナ=グーデンタークを探しているようだな」
パッと見中年の男。
能面のように無表情なのに声は氷のように冷たい。
この男はミディアと同じく闇の道を歩いているのだとシルヴィアは直感した。
「……はわわ」
まあ、当の本人であるミディアは生来の人見知りが発動してしまい、シルヴィアの脚に掴まって震えていたが。
「そうだ、私はその者を探している」
ミディアを安心させる目的もあってシルヴィアは一歩進み出る。
「何のために?」
「己の騎士の安否を気遣わない主君がどこにいる」
「は?」
「私はルスト王国の王女――シルヴィア=ローゼンハイムだ。近衛兵の一人、イリーナ=グーデンタークがここにいると聞いて参った」
シルヴィアは堂々と、清々しささえ覚える口調で言い放つ。
「……」
シルヴィアがそう答えるとは予期していなかったのか、男は目を点にして固まった。
「……ちょ、ちょっと待て。俺に付いてきな」
己の判断を超える案件にぶちあがってしまったことを悟ったのか男は狼狽を始める。
「駄目だ、私はお前を信用していない。だからイリーナにこれを渡してくれ――『あの日の誓い、あの日の場所で私は待つ』とな」
そしてシルヴィアは中年の男に貼っていたチラシを押し付ける。
これなら中年の男がシルヴィアを騙すことは出来ないだろう。
一仕事終えたシルヴィアは満足し、踵を返してこの中年男の前から姿を消した。
東のマナツ地区。
王都の中でも緑が多い地区であり、この地区を訪れる市民は表情も穏やかで歩く速度もゆっくりである。
マナツ地区にある公園、その中心地にある噴水台にシルヴィアとミディアの姿があった。
「あの……本当にイリーナさんは来るのでしょうか?」
「来る、絶対来る。私が知っているイリーナならここに来るしかありえない」
ミディアの不安げな声に対し、シルヴィアは大きく頷く。
その自信満々な様子は、間違いなど到底ないと信じているようである。
「私が心配しているのは、イリーナさんの登場より先に追っ手に見つかることです」
ミディアの悩みの種は、ガウェイン皇国が解き放った刺客の存在。
隠れる場所の少ない、こんな開けた場所では追っ手を撒くことは至難の業。
つまり見つかればそのままアウトに繋がるのである。
「あああ、早く現れてくれませんかねえ」
ミディアの嘆きは、逃げ場所の無い此処で待たざるを得ない状況を嘆いていた。
「うん? あれは?」
幸運なことにミディアの心配は杞憂に終わる。
シルヴィアの注目している先に目を向けると、急ぎ足でこちらに向かっている女傑がいた。
銀髪をたなびかせ、白い肌を紅潮させて一目散へ走ってくる者といえば。
「――シルヴィア王女! お待たせして申し訳ありません!」
「おお、イリーナか!? よくぞ参られた」
シルヴィアに近づくや否や平伏した女傑に対し、彼女は大きく手を広げ、始めるような笑みを浮かべて招き入れた。
「紹介しよう、ミディア。この者の名は」
「イリーナ=グーデンタークです。王女を護るロイヤルガードの末席に座る者でした」
ロイヤルガード。
つまり近衛兵。
王女を護るに相応しい技量と才能を兼ね備えた者だけで構成されたエリート集団の一人がイリーナだった。
「王女殿下、よくご無事で」
そのままイリーナはハラハラと落涙し、蹲り続けようとする。
「……あの、シルヴィアさん、イリーナさん。私としては別の場所に――ひゃうっ!?」
ミディアが素っ頓狂声を上げたのは、イリーナに睨み付けられたから。
まるですぐさま切り殺すぞといわんばかりの凄味は、ミディアを怯えさせるのに十分だった。
「これ、イリーナ。ミディアを怖がらせるでない」
苦笑したシルヴィアは続けて。
「互いに積もる話もあるだろう。ここは場所を変えんか?」
ミディアの言わんことはシルヴィアでも理解できる。
しかし、イリーナはミディアを邪魔者扱いして意見を聞き入れようとしないのでやむなくシルヴィアが彼女の意見を口にした。
「は、そう仰るのであれば従いましょう。私についてきてください……ただ、何分突然でしたので王女に相応しくない場所であることを先に謝ります」
「よいよい、それぐらい受け入れる度量はある」
イリーナが申し訳なさそうに謝罪したので、シルヴィアは破顔して手を振った。
場所は再びトラスト地区。
治安の悪さで有名だが、イリーナが先導する先はさらに悪かった。
浮浪者は勿論のこと、道端には血痕が染み付いている。
座り込んで動かない浮浪者を観察したところ、なんとその人物はすでに死んでおり、蛆が体中に湧いていた。
「あわわわわ……」
ミディアの中で危険察知能力が警報を鳴らしているのだろう。
ガチガチと歯が震え、シルヴィアの手が白くなるほど強く握りしめている。
「こらこら、そんなに掴むと痛いぞ」
「も、申し訳ありません。しかし、怖いのです! 無理なのです!」
ミディアの叫びは本心からきているのだろう、先に進むイリーナはそんな彼女を咎めなかった。
「話を纏めると――」
シルヴィアはイリーナから得られた情報を整理する。
「父上を含む国の重臣は殺されたわけでなく、地下に幽閉されているのだな」
イリーナ曰く、ガウェイン皇国の占領軍は王城こそ制圧したものの、粛清や財産没収を行わず、可能な限り手を加えていない。
反抗したら家族親戚一同処刑するが、何もしなければ彼らは何もしなかった。
「現在のガウェイン皇国はルスト王国の処遇に力を割く余裕がないのです」
ガウェイン皇国内には二つの派閥――過激派と穏健派が存在している。
此度のルスト王国の侵略はその過激派が何の承認も得ずに行ったことに加え、皇国中の羨望を集める聖女を十二神器の保持者が犯し、それを理由に聖女が絶望して命を絶ったことが民の怒りを買う。
詰まる所、ルスト王国を併呑した功績以上の失態を保持者が犯したために、自国内の統治で一杯一杯なのがルスト王国が平和な理由であった。
「ここです、お待たせしました」
イリーナが指さした先。
そこは廃墟と化した元屋敷であり、その門の手前で二人の浮浪者が陣取っていた。
「イリーナ=グーデンタークだ」
「……入れ」
浮浪者に擬した門番はイリーナを一瞥し、中に入る許可を出す。
「この二人は大事な客だ」
門番はシルヴィアとミディアの二人に警戒心を出すが、それを諌めるようにイリーナの一言。
「特に右の方は私が仕えていた王女殿下。あの方も気に入るであろう」
「……あの方?」
イリーナの言葉にシルヴィアは眉根を上げるも話は先に進み、シルヴィアに許可が出た。
「王女については分かった。しかし、そっちは駄目だ」
シルヴィアは入れるものの、ミディアは駄目だと言い放つ門番。
しかし、それで納得するミディアではない。
「お、置いていかないでくださいー!」
さらに強い力でシルヴィアの腕を掴み、泣き喚くミディア。
その様子は駄々っ子そのもの。
振り払うには相当な力が必要だった。
「ガザス、ミディアにも許可が欲しいのだが」
見るに見かねてイリーナが門番の一人であるガザスに頼み込む。
「こんな危険な場所で少女を一人残すのは忍びない。どうか、私に免じて頼む」
「……」
イリーナはそう頭を下げるが、シルヴィアからすれば噴飯ものの茶番。
ミディアは数人の男を一瞬で屠った凄腕の暗殺者。
ロイヤルガードが最も警戒しなければならない類の敵であった。
「素性が知れぬ人物を――」
「全ての責任は私が取る。だからこの娘も入れてやれ」
渋った門番だが、イリーナにそこまで言われてようやく観念したようだ。
門番は不承不承な様子でミディアにも許可を出した。
イリーナの進む先は前……ではなく地下。
正面階段の裏手にある地下階段へと二人を誘導した。
「ところでイリーナ。お前は私を何処に連れていくつもりだ?」
邂逅してからこの間イリーナは身の上話は核心的なことを話してくれなかった。
「私に何を見せたい?」
「……それにつきましては私よりもあの方に聞かれた方がよろしいでしょう」
「……」
またしても登場したあの方。
その不気味な言葉にシルヴィアは知らずミディアを傍に招き寄せた。
階段を降り切ると、改造されたのであろう巨大なドアが立ち塞がる。
「さ、ここです。今は開催中ですので静かにお願いします」
と、イリーナが前置きしてドアを開けた先に待ち受けていたのは――。
「十二神器の保持者を殺せーー!!」
「「「「わああああああ!!」」」」
地下の薄暗さなど吹き飛ばす熱気、狂気、殺気。
広大な空間に所狭しと人が集まり、そして彼らの注目する場所には演説者が熱弁を振るっていた。
「こ、これは……」
異常な空気に充てられたシルヴィアは後方に数歩よろける。
もしミディアの支えが無ければ倒れていただろう。
「反十二神器同盟の集会です。ルスト王国を王女殿下に戻すために必要不可欠な団体です」
そう自信ありげに宣言するシルヴィアの瞳からは理知的な色が消え、代わりに破壊一色に染められていたと追記しておこう。
ミディアは毒を持っています。それも強力な毒を。




