1話 権利
どうも、シェイフォンです。
この物語は以前投稿した『十二神器』の推敲版です。
かなり力を入れ、哲学的な要素を詰め込みましたので重く、濃い内容であることをご了承ください。
十二神器。
それは神々が祝福を与えたとされる十二の武器。
その武器の保持者は大いなる力を与えられ、一人で国の趨勢を左右する働きを齎した。
ルスト王国。
大陸の辺境にあるその国はその十二神器の保持者によって亡国の危機に瀕していた。
隣国のガウェイン皇国に現れた保持者率いる一軍によってルスト王国の主力部隊は壊滅、後は蹂躙されるだけという悲惨な運命が待ち受けている国である。
「……」
場所はルスト王国の謁見室。
ルスト王国の重臣が立ち連なる場面、その中でも一際光を放つ美姫――第一王女、シルヴィア=ローゼンハイムはサファイアの瞳に怒りと屈辱の色を滲ませ、王の御前にも拘らず平伏せず、立位を取る人物を見据えていた。
「マルス=ファルシオンよ」
「は」
マルスと呼ばれた人物は国王の呼びかけに笑みを深める。
奴隷や物乞いといった下層階級に多く見られる黒目黒髪の青年。
放浪人であることかを象徴するように軽装備に身を包み、その肢体は痩身で無駄な脂肪や筋肉が一切なく、せっかちな印象を与えた。
そして、細身な分その体に背負う物々しい武器が余計に映える。
熟練の騎士でも抱えるのがやっとと思える重量を放つ金の大鎚。
柄の太さは子供の握りこぶし分ほどあり、長身であるマルスの頭から突き出た面は柱と同じほど広い。
金と銀で装飾されているが、その程度の小細工で誤魔化せないほど大鎚から放たれる威圧感は本物だった。
「其方は眼前の十二神器の保持者を抹殺し、彼奴等を追い払うことが出来るのじゃな?」
「不可能ではないでしょう。何せ私は十二神器の一つ、雷鎚――トールハンマーの保持者なのですから」
そう、マルスは十二神器の保持者。
それゆえに一放浪人であるマルスが王と謁見しあまつさえ立位で話し合うことが出来る。
いわば十二神器の保持者は一国の王と同格かそれ以上。
が、建前上はそうでも納得がいかず、シルヴィア王女を含め、マルスの言動に眉根を上げる者も見受けられた。
「この場に揃った者全員を束にしても私の方が可能性はありま――」
「マルスとやら、これ以上の発言は慎みなさい!」
堪らず声を上げるのはシルヴィア王女。
彼女はウェーブした金髪を掻きあげ、一歩前に進み出て続ける。
「十二神器の保持者が至高であることは認めます。しかし、それを以て周りを貶すことは何事でしょうか!?」
「控えよ、シルヴィア」
「お父さ――いえ、王! ですが!?」
「控えろと言っておるのだ」
マルスが口を開く前に王がシルヴィアを黙らせる。
彼女は納得がいかないのだろう、唇をかんで引き下がろうとするが。
「最後まで言って頂きたい」
意外なことにマルス本人からシルヴィアを擁護する声が出る。
「王女の言葉は私にとって不快だろうと想像しますが、それを発する権利は命にかけて護りましょう。何故なら人の意志と言葉は十二神器を創造した神が人に与えた賜物ですから」
そうまで言い切ったマルスは手を二、三度叩いた後。
「王女のみならず皆さんも私に対して思うことはあるでしょう。遠慮なく言って下さい、どんな発言だろうと内容だろうと私は受け取ます……しかし!」
ここでマルスは後ろに背負ったトールハンマーを掴んで振り回す。
とてつもない質量を想像させるそれを残像が残るほどの速さで振った結果、謁見室は暴風が巻き起こった。
「発言した結果、どのような災厄がその身に降りかかろうと覚悟してくださいね? あまりに無責任な言葉は死を招きますよ?」
マルスの笑みは変わらない。
が、その裏の激情を感じ取った面々は顔を真っ青にして俯いた。
沈黙が満ちた謁見室、その空気を知ってか知らずかシルヴィア王女が前に進み出る。
「止めてくれ! シルヴィア!」
王は切羽詰まった様子でシルヴィアを諌める。
「余はお前を失いたくないのだ。妻も先に逝き、息子の王子すら保持者に討ち取られた今、お前までも死ねば余はどうすればいいのだろう?」
「……」
王の言葉に心を打たれたのか、王女は目に涙を湛え王に一礼して元の場所に戻った。
「無様な面を見せてしまった、マルス殿」
「そうですね。何故王女の発言を遮るような真似をしたのです? 折角神から与えられた権利を人である貴方が行使に邪魔をするのですか?」
意外なことにマルスは笑みを消し、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
どうやらマルスは言いかけた言葉を最後まで出させることが矜持らしい。
「それで私の逆鱗に触れ、死ぬのも一興。私に殺されたからといって神は怒りません。むしろ死に怯え、黙ってしまった方が神の機嫌を損ねるでしょう」
「……」
マルスの怒気に王は何と答えて良いか分からず、俯いて黙りこくってしまった。
「して、マルスよ。十二神器の保持者よ」
王の中では先ほどの、シルヴィア王女の脱線はなかったことにしたいらしい。
「……何でしょうか?」
その態度が気に入らなかったのだろうか。言葉こそ丁寧なものの、マルスの表情には怒りが満ちている。
「お前は何が望みじゃ? 眼前の危機を払い除けられるのであれば、余は出来る限りの恩賞を賜ろう」
「……」
王の言葉にマルスは黙考する。
揃った面々は、マルスは王に何を要求するつもりなのかを考えていると当たりを付けた。
そして数分後、マルスは口を開く。
「いいえ、何もいりません」
予想外の言葉にマルス以外の全員が目を丸くする。
「私は絶世の美女と褒め称えられる王女を貰いに来たのです。まあ、そのついでに敵を追っ払おうと考えていましたが、王の先ほどの対応を見て翻りました、王女は攫います、ご自分達の身はご自分でお守りください」
マルスの中では言葉を、それも身を危険に晒してまでも発しようとした王女の言葉を情によって諌めたことが相当癪に障ったらしい。
冷酷な発言を行うマルスには一片たりとも慈悲らしい慈悲は見えなかった。
「っきゃ!?」
マルスの言葉に皆が唖然となる中、突如シルヴィア王女が驚きの声を上げる。
「驚かせましたか? それは失礼しました」
原因はマルス。シルヴィア王女を抱えているマルス=ファルシオン。
瞬き程の瞬間にマルスはシルヴィアへと近づき体を抱き上げ、元の位置に戻る所行。
その非現実的な事実に周りは別の意味で硬直した。
「それでは皆さんさようなら」
マルスは王女を抱えて窓辺へと移動する。
マルス達のいるフロアは最上階、王都の中で最も天空に近い場所。
地面を歩いている人々が豆粒のように小さかった。
「無礼者! 離せ!」
王女はあらゆる抵抗を試み、罵詈雑言を浴びせるがマルスはまるで意に介さない。
保持者の膂力は王女の華奢な体躯を万力の如く固定していた。
「王女は私が責任を持って身の安全を保障します。王族は生きているので貴方達は何の憂いもなく抵抗なり降伏なりを決めて下さい」
そう言い残したマルスは何の躊躇もなく窓を突き破り、ガラスの破片ごと落下していく。
「キャアアアアアア――」
途中まで絶叫していた王女だったが、恐怖の臨界点を突破してしまったのだろう。
糸が切れたように音が消えた。
マルスが動いてから消えるまでの間は数十秒足らず。
王を含む全員が正気を取り戻すのはその十倍の時間が必要だった。
「う、ううん……」
眠れる森の美女――シルヴィア王女は瞼をしばらく震わせた後、意識を覚醒させる。
彼女の本能がまだ睡眠を欲しているのでしばしまどろみの中に佇もうとしたが。
「おはようシルヴィア、よく眠れたかな?」
耳に付くメゾフォルテの声音を聞いた瞬間、彼女は勢いよく跳ね起きた。
「突然起き上がらない方が良い。眩暈がするだろう?」
「大きなお世話だ、下郎が」
マルスの指摘通り景色に光が瞬いていたが、それをねじ伏せて立ち上がる。
「だから無理はしないで欲しいな」
貧血によって体が傾き、地面に倒れそうになったシルヴィアをマルスが支えた。
「離せ!」
突然の接触にシルヴィアは抵抗するが、マルスの体はまるで岩のようにビクともしない。
「とりあえず座ってもらおう」
僅かの苛立ちを混ぜた声音で注意したマルスはシルヴィアの体をベッドへと戻した。
「さて、何処から話してほしい?」
近くにあった簡素な椅子に腰を下ろし、足を組んだマルスはシルヴィアに尋ねる。
「言葉と意思は神から人に与えられた特権だ。ゆえに僕は君の疑問に出来る限り応えよう」
「信用できるのか? 私に嘘をつく可能性も否定できんぞ?」
「君がそう思うんだったらそうなんだろうね。ただ、君が僕を信じようと信じまいと君の行動は全て僕が決めるから」
マルスの言葉が嘘であると決めつける意思を彼は否定しない。
が、それでもシルヴィアの行動の全てはマルス自身に決定権があると暗に訴えていた。
「此処は何処だ?」
「メリンダ地方にある森の奥の山小屋。廃墟同然だったけど、大分綺麗になったと思わない?」
シルヴィアは周りを見渡す。
一部屋しかない大部屋に置かれた家具一式は新品のように新しく、壁や床の色と合っていない。
そのアンバランスさからマルスが家具を最近持ち運んできたのだと予想した。
「付け加えておくけどこの森には魔物が出るからね。みだりに出ると冗談抜きで食われるよ?」
「私を監禁するつもりか?」
「肉体の自由を奪う行為を監禁と呼ぶのならそうなんだろうね」
「……」
「うん? もしかして理不尽だと思ってるつもり? けど、僕から見れば愚かな感情、何せ人を含め、あらゆる生物は神から食べることや眠ること、そして子孫を残すことを強いられている。神の監禁を受け入れているシルヴィアが何故僕の監禁を嫌がるのかな?」
神は万物にあらゆる制約を課した。
それに異を唱えないにもかかわらず、何故神が賜った十二神器の保持者の制約を受け入れられないのかとマルスは問いていた。
「お前の行為は神の意志か? こうまで私を苦しめることを神が望むと思うのか?」
「アハハ、その理論を持ち出すとキリがないよ? 今、こうしている間にでさえ大陸のどこかで戦乱が起き、国や都市が襲われ女子供が地獄を見ている――僕が想像する神と君が想像する神とでは大分かい離があると思うけどねえ?」
あらゆる場所へ足を運び、戦争の現実をこの目で見てきたマルスと王族として机上の空論として扱っていたシルヴィアとの間に違いがあるのは当然である。
「私を王都へ戻せ」
「それは出来ない。無駄かと思うけど理由を述べようか。君は王都に戻ってどうするつもり? わざわざ滅びかけの自国へ戻って殺されるつもりかい? 死ぬんだったら君の全てを僕が貰っても構わないだろう?」
「私はルスト王国の王女だ! 亡国の今こそ立ち上がって鼓舞し! 果てはその責任を取る立場でもある!」
「それはそれは素晴らしい心構えだ。神の制約をものとしもしない強靭な意志は称賛に値する。が、今の君の身体の自由は神でなく僕にある。その身体が危険に晒すことを僕は認めないと宣告しよう」
堂々巡り。
幾らシルヴィアが懇願しようとマルスは一向に聞き入れる素振りを見せない。
「っ、もういい!」
平行線の議論に苛立ちを爆発させたシルヴィアは立ち上がって出口へと向かう。
白く細い脚で床を鳴らして進む様はまるで怒れる女神だったと追記しよう。
「何処へ行こうというのかな」
すれ違いざまマルスは低い声音で言い放つ。
「僕は君に動くなと命令したはずだが?」
「そんな命令など聞かん! 止めたければ私の足を引きちぎってみろ!」
「クツクツクツ。さすがシルヴィア王女。トンビがタカを生んだと表現しようか、あの凡庸な王からどうして絶世の美貌と気高い魂の両方を持った聖人が生まれたのだろうね?」
「……父上を愚弄するな、何も知らぬ根無し草が」
マルスの言が癪に障ったのだろう、シルヴィアは足を止めて噛み付く。
「愚弄? 事実を述べることの何が愚弄なんだい? 先王のやり方を真似て己という存在を無理矢理型に嵌めて委縮させる。滑稽なのはその悪手を最善だと信じ切っていることだよ」
模倣することは決して恥でない。
型に嵌めて己を委縮させるのも組織を維持するには必要なこと。
しかし、それを以て良しとするのは愚の骨頂。
模倣も型に嵌めることもあくまで一時的であり、最終的には己を出さなければならない。
そうしなければ個人も組織も不幸になってしまう。
「……」
シルヴィアはマルスの言に心当たりがあるのか、黙って俯いてしまった。
そんなシルヴィアは見ながらマルスは溜息を一つ吐いて。
「やれやれ、こんな調子じゃ死んだ王妃も二流だったんだろうね。実は君という存在は別の親から引き取ってきた――」
パアン!
マルスはそれ以上の言葉を続けることが出来なかった。
シルヴィア王女の母親を嘲った瞬間、彼女の手がマルスの左ほおを打ったからである。
「っ!」
反射的な行為のだろう。
叩いた張本人のシルヴィアは大きく目を見開き、何が起こったのかマルスよりも知らなかった。
「……っク、アハハハハハハハ!!」
しばしの沈黙の後、マルスは腹を抱えて笑う。
「父は許しても母は駄目!? なるほど! 君は父でなく母から全てを学んだね!? 母が親であり師匠であり主人! だから母を愚弄される有無を言わさず殴った! アハハハハハ! これは良い! 傑作だ!」
足を鳴らし、狂ったように哄笑を続けるマルス。
「え? あ、これは……何だ?」
シルヴィアは自分でも何を言っているのか分からない。
とりあえず確定していることは、シルヴィア自身がマルスの頬を叩いたことと、今のマルスは尋常ではない様子なことである。
マルスは十二神器の保持者。
ちょっとした気まぐれで己の命など軽く吹き飛ぶ。
身の危険をひしひしと感じたシルヴィアは振り返りもせずその場所から逃げ出した。
「は……は……は……」
道なき道をシルヴィアは駆ける。
目的地など考えない。
あのマルスから遠ざかることが先決だった。
「靴が邪魔」
少し歩いたシルヴィアは履いていたハイヒールを脱ぎ捨てる。
見た目を重視して作られたそれで歩くには、この森の中を進むのに危険すぎる。
事実、靴を脱いだシルヴィアの速度は目に見えて速くなっていた。
「あいつは……まだ追ってきている!」
シルヴィアは走り名が振り返る。
姿こそ見えないものの、マルスが放つ独特の雰囲気は消えていない。
濃密で、ねっとりと纏わりつくそれは彼の場所を嫌というほどシルヴィアに教えていた。
このシルヴィアを責めるというのは酷だ。
見知らぬ森を、あてもなく逃げるというのは危険地帯へさらに歩を進めることに変わりない。
例えるなら山賊の一団を見つけた初心旅人。
山賊という危険から逃れようとするあまり、別の危険を見過ごしてしまう。
多くの危険生物が生息する森。
そこを無防備、裸足で進もうというのは危険極まりなかった。
「キャアッ!?」
足を一歩踏み出した途端、何か細長い物を踏みつけた感触が足裏から伝わる。
それが何なのか確認する前にそれが動き出し、シルヴィアの足に噛み付いた。
その細長い物体は蛇だった。
幸いにも蛇はこれ以上害意を持たなかったらしく、あっという間に草むらの中へと消えていった。
「……え? あ、――! ――!」
そして襲ってくる激痛。
噛み付かれた場所が焼印で押されたかのように苦痛を訴えていた。
「これ以上は危険かな」
狙ったかのようなタイミングで登場するマルス。
今の彼は見かけ上平静に戻ったようだ、少しの固さに目を瞑るならば。
「何をする!?」
「毒を吸い出すんだ」
無遠慮に足を持ち上げたマルスにシルヴィアは抗議するも彼は意に介さない。
そもそも化け物じみた怪力を誇るマルスがやればシルヴィアは足を僅かすら動かすことができなかった。
「……」
屑口に唇を当てて血を吸い出し、それを吐き出す行為を五、六回繰り返す。
当初は抵抗していたものの、無駄だと観念したのか最後は為すがままにされていた。
「さて、戻ろうか」
応急措置を終えたマルスはシルヴィアを抱える。
「あそこに戻れば本格的な処置ができる」
マルスの態度にシルヴィアを害そうとは考えられない。
「……どういうつもりだ?」
山小屋の時とは打って変わって神妙な態度にシルヴィアは恐れる。
「お前の頬を叩いたことを何とも思っていないのか?」
「怒りがないといえば嘘になる。ただ、僕としてはそれを抑えてでも君の母のことを知りたい」
「……」
一体マルスは何の意図があるのか。
シルヴィアの常識に当てはまらないマルスの態度にシルヴィアは混乱した。
「断っておくけど、怒りの感情を抑えているけど消えたわけでない……そのことを理解しておくように」
マルスのその言葉にはいらつきが相当混じっている。
逆説的だが、今の険のある言動の方がシルヴィアにとって安心できた。