プロローグにつき
深く息を吸った。生ぬるい空気の塊が気管を通ることすら認識できる気がした。客席のざわめきも窓を打つ雨音もチューニングの音も、アタマの中で響く鼓動にかき消される。気温と湿度は立っているだけで汗ばむほど高いはずなのに、全身の血液が凍りついたように体の芯が冷たい。
ああ、私は緊張してるんだな―― 他人事のように思考の片隅でつぶやいた。
どこに視線を向ければいいのかわからない。眼球を動かす筋肉がつりそうだ。ステージの床の傷が妙にはっきりとみえた。体育館にあつまった何百という生徒の視線はほとんどすべて自分に向けられているようであった。そのなかにいる見知ったクラスメイトの顔でさえ今は遠くの国の赤の他人のように感じられた。
日常の空間である体育館は今だけは非日常と化していた。少なくともそう感じられた。妙な緊張感と雨粒が弾ける音が空間を支配していた。
静寂の中でぐるりと振り返り、そこにいる面々に視線をやった。彼らは遠くに国の誰かじゃない。たしかにそこにいて、いつもみたいにバカみたいな顔してこっちをみていた。
ひとりひとりと眼差しを交差させ、小さくうなずく。鼻から大きく息を吸った。肺が膨らむ。ステージへと向き直る。
肺いっぱいにためた緊張感と湿気を一気に破裂させた。
叫びは気管を通り、喉を震わせ、天井にぶつかり、こだます。噎せ返るような湿った非日常は一気に加速した――