第五話 図書館
とりあえず、図書館に行くことは了承した。
あれだけ行かない行かないと考えていながら出かけるのは矛盾しているとは思うが、勉強しに行くのだからいいだろうと開き直った。
図書館までは結構近い。徒歩で十五分くらいだ。自転車で三十分くらいかかる学校よりは断然近い。
ということで、俺も出かける準備をするために自分の部屋に戻った。
いそいそと着替えを始める。
土曜日に遊びに行こうと誘ってくれた武志には悪いがこれは致し方ない。
佐倉さんとデートでもしてやがれ、と意味不明な罵倒が頭に浮かんだが、すぐにそれは破棄した。佐倉さんと武志がデートしているところなんて考えたくもなかったからだ。
しかし、やはりこの一万円は気になる。あとからなんだかんだ言われるのは嫌だ。
行く準備ができ、玄関で待っていた母さんに一応聞いてみた。
「これってやっぱりなんかある?」
一万円札をぴらぴらさせた。
「美咲のために頑張ったからその頑張りを評価したの。美咲のお母さんがすごく感謝してるって電話来たもの。美咲のためにプリンも買ってたらしいじゃない? それも兼ねて今日は特別に渡したの」
どうやら何かしらの裏はなさそうだ。これで安心して遣うことができる。いつも半額の日にしか買わない惣菜も今は普通に買って食えるぜ! たまにしか行けないファミレスだって行けるぜ!
サイコーだな。今度美咲にも奢ってやろう。武志には奢ってやらないでもないが、佐倉さんには有無を言わずに奢ろうと思う。ま、彼氏持ちの佐倉さんが俺の誘いに乗ってくれるとは思わないから結局は奢らないけどね。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。車には気をつけるのよ」
「わかってるよー。つうか早くしてよ! 務」
外で聞いていた妹がイライラした様子で答えた。
玄関の戸を開けて確認すると、腕を組んだ妹に睨まれた。おお、怖い怖い。早く行かないとブチ切れそうだな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まだ? そのページにいくらかけるつもりだよ」
「ちょっと待っててば。いま解けそうだから」
図書館に着いたのはいいが、かれこれ一時間ほど妹は参考書とにらめっこしている。解ける解けると言っていながら全然先に進んでない。わからないなら聞けばいいのに、どうしてもそのページの問題だけは自力で解きたいらしい。
そのせいで俺はかなり暇だ。勉強道具は一応持ってきたがやる気が起きない。場の雰囲気で「やらねばならぬ!」という気持ちにもならない。暇だ。
「本、取ってくる」
「ん」
まだまだにらめっこ中である。
そこまでわからないなら飛ばして別の問題をやればいいのに。ほんとに頑固なやつだな。試験でそんなことやったら時間に追われることになるぞ。
席を立って、目標を決めずに本棚のところへ歩く。
何を読もうか決めてないから適当なもんを手に取る。開いてページを捲る。
少なくとも高校で習うようなもんは書いてないことだけはわかったので、すぐに閉じて元の場所へ戻した。
こんなことを読むやつがいるのか? とその本の存在を否定するが、知らないおじさんがその本を取ってテーブル席で読み始める。それを見たら俺の世界はまだまだ狭いと感じられた。
身の丈に合った本がないかと探していると、早歩きで近づいてきた妹が俺の腕を軽く叩いてきた。
「うろちょろしてないで早く教えて!」
図書館内なので声を小さくしていたが、妹の声と表情でイライラしているのが丸わかりだった。やっぱり解けなかったらしい。
時間の無駄だったな、と言うのはやめておいた。
図書館内で泣かれたり暴れたり大声を出されたりしたら出入り禁止にされるかもしれない。
ああ見えても妹は中学三年生だ。自分のやっていたことを無駄と言われるのは我慢ならないだろう。
俺はおとなしく自分が使っていたテーブルに戻った。
妹がイスに座るとすぐに利き手の人差し指をとある問題に向けた。
「ここ!」
その問題は先ほどにらめっこしていた問題のすぐ下にあった問題だった。
なんだ、さっきの問題は解けたのかと思って安心していたが、この問題はさっきの問題よりも難易度が高いみたいで、難易度を示す星が一つ増えている。
「ここって言われてもわかんないんだけど? 何がわかんないだよ?」
「全部」
さっきの問題で力を使い果たした、と言っているようなものだった。
ぱっと見たがやはり中三の問題だけに軽々と解ける。しかも数学の問題だから余計簡単だった。
とりあえず俺はそれを解くことにした。
自分のノートにその計算式を書いていく。いつもよりも丁寧に計算し、数学が苦手な人でもわかるように公式や定義も隣に書いておくのがベストだな。
「はい」
ノートを妹に手渡す。
「字、きたな!」
すぐさま罵倒された!
え? それでも丁寧に書いたつもりなんだが……。
妹のノートを見てみたが、確かにこの字と俺の字を比べたら俺の字は汚い。男と女が書く字はこんなにも違うのかというほどだった。それと、妹の字は小さかった。
文句をいいながらも妹はしっかりノートを見ていた。
だが、すぐに妹はそのノートに書かれてあることを自分のノートに写し始めた。
「おい、なに写してんだよ。それじゃあ意味ないだろ」
俺は妹からノートを奪う。
ただ計算式を写されては実際に理解したかどうかわからないだろうが。模範の解答は見せるが写させないぞ。
俺が問題解いてそれを写すってなんだよ。意味ねーだろ。ほんとに……これだから数学ができないんだろうが、お前は。
はっ! 鼻で笑ってやるぜ! ま、心の中でだけど! 実際に笑ったらシャーペンでグサリとやられるかもしれないからな。
「いいから貸してよ、ケチ」
「だったらその参考書の答えが書いてあるところを見ればいいだろ。俺のより丁寧な字で書いてあるぞ」
あーだこーだと言い争っていたが妹は渋々自分で問題を解くことにしたようだ。
うん、これでいい。他人に頼ってばっかりじゃ、いざってときに何もできないからな。一人でできるようにならないとこの先苦労することになる。ま、それは俺にも言えることなんだけど。お小遣いもらっている俺も偉そうな口は聞けないよな。
「正午になったら近くのラーメン屋にでも行くか?」
「行く。もちろん、務のおごりだからね」
「はいはい。あ、でも、あそこのラーメン屋って日曜は開いてなかったような……」
最近行ってないからわからん。あそこの味噌ラーメン、チャーシューの代わりにそぼろみたいなもん入れてるから美味しいんだよなー。結構量もあって四百五十円とワンコインだし。ま、それでも金欠のときが多いからあまり外食はしないんだけどな、俺は。
「行って休みだったら違うところに行けばいいじゃん。あの店の隣だってうどん屋だし、喫茶店だって近くにあったじゃん」
「いや、喫茶店はなぁ……あまり行きたくない」
「務ってほんと食べ物の量と値段にこだわるよね。ケチくさいよ」
喫茶店に行きたくない理由はそれだけじゃないんだけど、言う必要もないので黙っておくことにした。
「いいじゃん別に。金欠の高校生男子はそういうもんなんだよ。つうか、手、止まってる」
「うるさい。今、休憩してんの」
俺のおごりでどっか行けるからってだらだらし始めやがったな、こいつ。……よし、今、妹がやっている問題が終わらなかったらおごってやらないことにしよう。うん、それがいいな。
そのことを妹に伝えると途端にやる気と愚痴をもらしてきたが、問題を解くペースは上がっているようだった。