第四話 自宅
自宅待機が命じられているとはいえ、せっかくの休日にそれを守っている人は少ないだろう。
かくいう俺も武志から「どっかに遊びに行かないか?」とメールで誘われたりしたが、「俺はインフルエンザかかったやつの近くにいたの。俺と一緒にいたらインフルエンザ移るかもよ?」と送り返すと、「了解。俺もインフルエンザかかりたくないから大人しくしてるわー」と返事が来た。
返す必要もないのでそのままメールを終えた。
と、それから五分後に今度は美咲からメールが来た。
内容は迷惑かけた謝罪とその感謝の文。
今度お礼がしたい、と最後に書いてあった。
だが、俺はお礼目的で美咲の家に行っていたわけじゃないのでお礼はいらない。美咲が心配だったから俺は毎日美咲のところに行ったんだ。
そんな感じの内容のメールを返してやったら、今度は電話がかかってきた。相手は今メールしていた美咲からである。
「はい、もしもし、中谷ですけども……美咲か?」
「うん。あのさ……あ、ありがと」
美咲はそれだけ言ってすぐに電話を切ってしまった。
……もしかして言葉で感謝の意を伝えたかったのか? 律儀なやつだな、病人なのに。
携帯電話をテーブルの上に置いて、俺は水曜日にスーパーで買ったプリンを食べる。
賞味期限がアレな状態になっているが、一日二日すぎたところで問題なし。というか、一週間くらいこのプリン食ってるけど、一切腹は壊さないんだよなー。俺の胃は丈夫だ。
「またそのプリン食ってるの? 飽きないわねぇ」
と、後ろから妹の声が。悪態をついてくるということは機嫌が悪いんだなぁ、と判断できる。
「うるせぇよ。お前だっていっつもポテチばっか食ってんだろうが」
「は? いいじゃない別に。自分の金で買ってんだから」
「俺もそうなんだけど」
「邪魔。どいて」
俺の発言はスルーですか。ま、いつものことなんだけどね。
俺がソファーの端に移動すると、妹はドスンと真ん中に居座った。そんでもって俺のプリンを食らいやがったぁ!?
「ああっ! なに食ってんだよ!」
「はい、ちゃんと洗って捨てろよ」
お前に言わなくてもちゃんと洗ってから捨てるわ! くそっ……次は覚えてろよ! てめぇが買ったポテチを次に食らうのは──この俺だ!
「ねぇねぇ、明日ヒマ?」
機嫌がすぐに変わるのも妹の特徴。友達とケンカしたところで翌日には忘れるというか全く気にしなくなるタイプである。
要するに、気分屋なのだ。
「は? ひ、ヒマだけど? なに?」
「どっかに遊びに行かない? 私も明日ヒマなんだよねぇ……。ねぇヒマでしょ? ヒマだよね?」
なにその誘導尋問。ヒマ以外の選択肢は選べません、ってか? ゲームの中の勇者じゃないんだから俺はヒマ以外の選択肢を選ぶ!
でもまぁ、自宅待機だからヒマなんだよねぇ。家にいるだけってのは意外とすることないんだよなぁ……。ま、遊びには行かないけど。
妹はヒマだヒマだと言っているが、妹は今年受験生だ。
母さんからもあまり遊ばせるなと俺は言われている。
ここで甘やかすのは簡単だ。しかし、妹のためにはならない。
妹には悪いがきっちり勉強してから遊びに行かせよう。俺はもちろん自宅待機だ。
「お前、まずは勉強しろ。それに俺は学級閉鎖で自宅待機中だから遊びには行けない」
「これだから引きこもりは……」
「引きこもりじゃねーから。自宅待機中だから」
学級閉鎖なんだよ。短いけどさ。
「同じようなもんじゃん。要するに家から出ないか部屋から出ないかの違いしかないし」
「いいから勉強しろや!」
もうめんどい! こいつと話すとイライラゲージが急速に溜まる。つうかこいつ、俺が大声出したの見てヘラヘラ笑ってんだけど。すげームカつくんだけど!
あああっ! これだから妹とは関わりたくねぇんだよ! プリンは食われるわ、引きこもり扱いされるわ、笑われるわ。こいつより先に生まれたのになんなんだよ、この扱いは!
「さ、勉強でもしようかな」
と、妹は二階に戻っていった。
くそが! 二度と下に来るな! と心の中で叫び、俺はプリンのからを洗って捨てるために台所に向かう。
こうやってあいつの言われるがままにやっている時点で、俺はあいつより下の段落にいるのかもしれない。
「はぁ……」
と、溜息が漏れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日曜日。
妹が外に出かけるときの服装でソファーに寝転がっていた。
俺が断ったからといって遊びに行くのはやめたくないらしい。これからきっと友達と遊びに行くのだろう。
昨日はあのあとみっちり勉強していたみたいだし、やることはちゃんとやって遊びに行くのだから、俺がなんだかんだ姑みたいに文句をつける必要もない。母さんもそれはわかっているみたいで、これから出かけようとする妹には何も言っていない。
「美咲はもう大丈夫なの?」
母さんが心配そうに話しかけてくる。
美咲は何度も家に来たことがあるし、妹とも友達なので、俺の母さんは美咲をもはや家族のような扱いにしている。
それほどまでに仲がいいってことだ。
「あー、たぶん大丈夫。昨日電話来たときは普通の声だったし、咳も出てないみたいだった。月曜からは学校行けると思う」
美咲の母親も月曜日からは行かせるって話していたし、大丈夫だろ。
「務も気をつけなさいよ? 私の職場でも何人かインフルエンザで休んでいる人もいるから」
「ふーん、そうなんだ。ま、今日は家から出ないから大丈夫だよ」
普通に答えたつもりだが、母さんは驚いた顔をしていた。
俺、何かおかしいこと言ったか?
「え? 愛衣と出かけるんじゃないの?」
「は? あいつ、友達と出かけるんだろ? 俺は昨日それ断ったし」
断った瞬間に引きこもり扱いされたけどな。自宅待機だって言ってんのに、あいつはそこのところをわかってはくれない。
「でも、さっき『務と勉強しに図書館まで行くー』って言ってたわよ?」
そんな話は聞いていない。つうか、そんな話をされたところで結局は断っただろう。なにせ今は自宅待機中だからな。外に出ること自体禁止なんだから。ま、保護者同伴ならいいらしいけど、そんなの守る連中はあまりいないだろうな。
俺みたいにインフルエンザがかかるかもしれないとビビって家から極力出ないようする人もいれば、せっかくの休みなのに遊びに行かないなんて損だろ、青春を謳歌しようぜ! というやからもいる。
元気があるのはいいことだな。俺は見習うつもりはないけど。
それに俺はインフルエンザにかかったやつの近くにいたんだ。今は大丈夫でも疲れた瞬間にばたんきゅうになるかもしれない。
昨日だって武志の誘いも断っている。それなのに俺が他のやつと出かけるのは筋違いだと思うから余計に外に行こうとは思わない。
「……おい、愛衣」
ソファーに寝転がる妹に近づいて一連の説明を求める。
名前を呼ぶだけでそれだけの意味を込めれるって便利だよな。家族と仲のいいやつにしか使えないけど。
「昨日、勉強しててわかんないところあったから務に聞こうと思ったの」
「別に出かける必要なくね?」
「図書館なら色々調べるときに便利じゃん」
つまり、俺が使いものにならなければ図書館にある本を使って調べると? 一応俺を期待しているようだけど、きっとほんの少しだけなんだろうなぁ。
「だったら一人で行けばよくね? あそこのでっかい図書館行くんだったらなおさらじゃん。あそこの図書館って無駄にいっぱい本あるし、俺、必要ないじゃん」
何度も言うが俺は自宅待機を命じられている。だから、外には出ない。インフルエンザにかかりたくない。健康が一番だ!
大丈夫大丈夫、へーきへーき、とか言って遊びに行くのはどう考えてもバカのやること。そういうやつらはたいてい病気やケガしたあとにすげー後悔するんだよ。俺はそんな目に会いたくないし、会いに行くつもりもない。
「お母さーん、務が私の頼み断ったー。ひどーい」
うわっ、最終手段をとりやがった。母さんに頼まれたら俺だって断れない。小遣いの管理者に逆らったらどういうことになるのか子供でもわかる。
それに断ったらすげーギスギスした雰囲気にもなりそうだし、だからといって断らないわけにもいかない。外に出たらインフルエンザになる危険性もあるし、武志と遊びに行く約束を断ったことも無駄になるし……。
ああもう! めんどい! これだから妹とは関わりたくないと昨日も思ったはずなのに! 断るにも断らないにしても、どっちも損するっていう状況にされた俺ってかなり不幸じゃん!? こういうのって確か……『ジレンマ』っていうんだっけ? いや、今はそんなことどうでもいいんだけど! この状況をなんとかしないといけないんだよ! でも、なんにも思いつかねーからすげー焦ってんだけど!
「務、私が許すから愛衣のわからないところ教えてやって。昼間はこれで何か食べてきてもいいから」
「そ、それなら仕方ない。俺も準備するから待ってろよ、愛衣」
「先に外に出てるからねー」
小遣いの神が舞い降りた。一万円という昼飯代にしては多い大金が手に入ったが、何やら裏がありそうだ。