第三話 休養
幼馴染みの美咲がインフルエンザにかかり、近くにいた俺ももしかしたらかかっているかもしれないので明日は病院に連れていってくれ。
美咲の家から帰ったあと、そう両親に頼んだら翌日の朝に学校に電話をしてくれた。母さんはパートを休み、俺をいつも行っている病院に連れていってくれた。
診断結果は問題なし。至って健康だ、そうである。そういえば、九月頃に予防接種を受けていた。多分、それのおかげでインフルエンザにはかからなかったのだろう。
心配して損した。
そう母さんはぼやいていたが、一応のこともあるから明日も休みなさいと言ってくれた。
だが、流石に体がピンピンしているのに休むのは気が引ける。だいたい、休みの日でもないのに休んで家にいたって午前中で飽きがきてしまう。
明日の朝、体調が悪くなかったら学校に行く。
そんなふうに伝えると母さんは苦笑し、「真面目ね。誰に似たのかしら」とまたぼやいていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お、今日は学校来たのか」
「まるで毎日来てないみたいな言い方だな。ま、なんともなかったから大丈夫だよ。それにしてもさ……」
周りを見てみると、登校時間ももうすぐで終わるというのに人影はまばらである。本当に少なすぎる。
美咲がいないことはわかってはいるが、俺が一日休んだだけでこんな状態になるとは思わなかった。
昨日の学校で何かあったのか? これは学級閉鎖ものだぞ、と思っていると担当の工藤先生がやってきた。いつもは登校時間がすぎて五分くらい経ってから来るのだが、今日はなぜか早かった。
「えー、まことに残念だが、今日はもう帰っていいぞ」
クラス中がざわめく。先生が何を言うかわかった俺は、溜息を吐いた。
「皆もわかっていると思うが、最近インフルエンザが流行っている。学校閉鎖までしているところもあるくらい、インフルエンザというのは恐ろしいものだ。このクラスでも三分の一の生徒がインフルエンザで休んでいる。校長と学年主任にこのことを話したところ、金・土・日はゆっくり休養するようにと言われた。よって、今日はもう帰っていいぞ」
予想した通りの答えが来て、また溜息を吐く。クラスの皆はぞろぞろと帰っていく。
「せっかく来たのに意味ねーな。寄り道もできなそうだし」
確かにこんな時間に遊び歩いていたら不審に思われるだろうな。学校はどうしたんだ? って聞かれてそれに答えても注意はされそうだ。
ま、今はそんなことよりも武志に聞きたいことがあったんだよな。もちろん、佐倉さんのことで。
「武志、佐倉さんが武志と付き合ってるって言っていたんだが、本当なのか?」
「……詩織がお前のことをやたら話すと思ったらそういうことかよ」
なに!? 佐倉さんが俺のことを話してくれたのか! なにそれ、すげー嬉しいんだけど! 彼氏の友達をほめるなんて案外できた人間だな、佐倉さんは。
というか、お前も下の名前で呼んでるのかよ。二人とも仲がよろしいんだな、コノヤロウ。
「付き合ってるのは本当だ。でも、案外かわいいぞ? 詩織はちょっとアレな部分もあって付き合いづらそうだったけど、全然そういうのはなかったかなぁ。今時の女の子にしては純粋っぽいし」
「おい、武志と務。雑談してないで早く帰れ。鍵かけないといけないんだよ、先生は」
そう言われたので俺と武志は教室を出た。どうやら俺たちが最後のようで、他のクラスメイトはすでに帰っていた。
「先生は帰らないんですか?」
「先生はこのあと普通に授業あんの。一学年の数学教えてんのは俺だけだから忙しいんだよ。入学してきた当時に説明されたろ?」
「……そういえばそうでしたね」
すっかり忘れていた。武志の方を見てもそれは同じだった。
「ま、どうしてもって言うなら図書室で残って勉強していくか? 今やってる三角関数は二年生になっても勉強するから大切なんだよなぁ。ここでつまずいたらあとから大変だぞ?」
武志が露骨に嫌そうな顔をする。武志は数学が苦手だ。俺は数学は得意だから別に問題なし。工藤先生からの信頼も厚い。
「お、俺は遠慮しておきます。しっかり家で休みたいので……」
「ふーん、そうか。ま、課題をちゃんと出してれば赤点にはしないから安心しておけ。武志は出すもの出すからな」
「やってなくても出しますからね、武志は」
武志の顔が青くなる。逃げようとしたところを腕を掴んで止めさせると、武志がさらに顔を青くさせた。
「そうなんだよなぁ、白紙で出されても俺はどうしたらいいかわからないときもあるくらいだよ。大抵のやつは忘れてきたとか言いわけしたり誰かの写してもらっているときに、こいつは平気で白紙のプリントを渡してくるからなぁ。しかもその理由が全部わからないって……。俺の授業ちゃんと聞いてなかったのか? ってツッコミたかったくらいだよ」
はは、と先生は苦笑い。横にいる武志も苦笑い。俺はそれをふっと鼻で笑ってやった。
「んじゃ、お前らもさっさと帰れよ。寄り道したことがばれたらしっかり反省文書いてもらうからな」
「俺は大丈夫です。武志はどうだかわかりませんがね。もしかしたら彼女と卑しいことをするかもしれません」
「ちょ! 務!?」
これは嫌がらせだ。主に佐倉さんと付き合ったことに対する嫉妬と憎しみから成り立つ。
女の嫉妬も恐ろしいが、人知れず失恋した俺の憎しみはそれと同等──いや、それ以上だ。
「お前ら、ほんと仲がいいな。ま、気をつけて帰れよ」
先生は職員室に戻っていった。
先生がいなくなると同時に武志がなんだかんだ喚いていたが、早く帰らないとほんとに学校に残らないといけなくなるぞ? と伝えたら大人しく帰路に就いてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の土曜日の朝。まだ五時半と家族も寝ている時間に俺は起きてしまった。やはり昨日は早く寝すぎたか、とあくびをかく。
昨日は家に帰ってから月曜日提出のプリントをやったが午前中で終わってしまった。午後はテレビを数十分、ゲームを約二時間、散歩を十分、残りの時間は三角関数の復習をし、そのあとは日がすぎる前に目をつむった。
これなら早起きするに決まっている。ちょっと肌寒い朝だが、昇りかけの太陽が綺麗だ。早起きするのも悪くないな、と俺はベットから出た。
朝のランニングに出かけることにした俺は、ジャージに着替えて静かに外に出る。
「さっむっ! 十月の朝ってこんな寒いんだなぁ……」
車の騒音も人の数も少ない。住宅街とは思えないほど、しーんとしていた。いつもと違う街の景色に驚きながらもどこまで走ろうかを計画し、近くの川原まで行こうか、となった。
冷たい風の中、足音がくっきり聞こえていた。吐息が白くなっては消えていく。
十月はかなり寒い。そう思わずにはいられない朝だった。