第二話 感染
とぼとぼと重い足取りで帰路に就いていた俺。今日も美咲のためにスーパーで安売りされていたプリンを買って、そのまま美咲の家にお邪魔する。
美咲の部屋の前まで行くと、俺はそこの壁に寄りかかって話しかけた。
「美咲……出てこないなら出てくるまでここにいるからなー。嘘じゃないぞー。お前の両親には許可もらってんだからなー。……はぁ、なんで武志なんだよ」
佐倉さんに惚れるやつはいねーと思ったのに、なんで武志も佐倉さんと付き合うって決めたんだよ。
……自称天然だぞ? クラスメイトの大半がそのウザさに引いているんだぞ? 俺だって最初は抵抗あった。私って天然なの〜、って言われたときは俺も顔が引きつっていたと思う。
でも、さっき佐倉さんが武志の話をしていたとき、とても幸せそうに彼女は話していた。今思うと見ているだけでこっちも嬉しくなるような話し方だった。
きっと俺じゃ佐倉さんをこんなふうにはできないだろうなぁ、って思うしかない。
「ふっ……あーあ、俺も明日から学校行かねーかな。美咲の説得しろって頼まれたのに、逆に俺まで不登校になるかもしれないとかすげー笑いもんじゃん。……武志とか笑ってくれるかな? ま、あいつはいいやつだからすげー心配するだろうなぁ……俺の好きな相手と付き合っているくせにな」
はは、と自嘲する。ただの愚痴。美咲がこれを聞いたところでなんにも思わないだろうな。
今の美咲に同情できるような心の余裕なんてない。だからこうして部屋に閉じこもっているんだ、美咲は。
夏木に振られたから。ただそれだけで学校に行かなくなるなんてバカじゃねーの? って思ったこともあるし、美咲がこうやって不登校になっていれば振った相手だって俺のせいじゃないのかって迷惑もかかると思ったりもした。
それに、こうやって閉じこもっていたからってなんにも解決はしない。
都合のいい展開なんて起こらない。
出席すべき日数が足りなくなって成績が出せなくなり、留年扱いになってしまうだろう。そうなった場合、俺はもうここには来ない。留年したやつのことまで面倒見する気は更々ない。
こうやって今は俺が説得しに来てるからいいけど、そのうち担任だって来るようになるだろうし、カウンセラーの人も来るかもしれない。
それでもここから出ないというのなら、夏木に振られたショックで立ち直れないのなら、そのときこそ美咲の人生はゲームオーバーだ。
この世はゲームじゃないからセーブもリセットもできない。もう一度最初からなんてこともできない。残機も回復アイテムもない。それが人生だ。
死ねば違う人生が歩めるかもしれないと思っているなら、一度死のうとしてみるがいい。怖くて手が震えるだろう。足がすくんで立てなくなるだろう。死ぬ恐怖には誰も打ち勝てない。俺も一度車に轢かれそうになったとき、鳥肌が立ってその場に尻もちついたもん。怖いものは怖い。
ニュースで殺人や自殺とか平気で人を殺している連中を見るけれど、どうしてあんなことができるんだ? 俺には到底理解できそうもない。殺す決断ができるなら今ある自分の状況だって納得するべきじゃないのかって思うし、死ぬ覚悟があるのになぜそれを目の前にある恐怖に立ち向かわないのだろう。
人は何をするかわからないから怖い。誰かが言っていた、この世で一番怖いものは人間というのはあながち間違いじゃないんだと思う。
「…………はぁ」
哲学的に考えている間に美咲がもしかしたら出てくるかもしれないと思ったが、結局それは無駄だったようだ。出てくる気配もいる気配もない……ん? あれ?
ドアに耳を当てて中の様子を聞く。何も聞こえない。寝息もなければ泣いている声もしない。そもそもドアが厚いからかもしれないが、前に耳を当てて確認したときは泣き声やスースーと鼻息も聞こえた。
ドアノブに手を当てる。いつもならここからは何もできない。鍵がかかって何もできないのだ。
でも、どういうことだろうか?
ドアノブを回すと普通に開いた。
「美咲……?」
中に入ってみると前に来たときとなんら変わっていない。カーテンだって開いてるし、窓の外からはほんのり赤みがかかった光が入ってくる。窓の桟には多少の汚れは目立つものの、それ以外は至ってなんら変わっていなかった。
ベットには誰もいなかった。ぐちゃぐちゃになっているかけ布団が置いてあるだけであり、この部屋の主はここから出ているようだ。
「トイレか?」
すぐさま一階にあるトイレに向かう。ノックをしてから中を見るが誰もいない。トイレではないようだ。
家の中を勝手にくまなく探してみるが、どこにも美咲は見当たらない。玄関に行って靴を確かめると、どうやら外に出かけているようである。
どこかに出かけたのか? でも、どこかに行くにしてもあまり遠いところには行かないだろう。
教師にでも見つかったらすぐさま事情聴取だ。学校をサボタージュしておいて遊んでいることがばれたら停学もありえる。
そんなリスクを背負って美咲が遊びにいくとは思えないし、俺はそうあってほしくないと強く願わずにはいられない。
とりあえず、荷物を家に置いてきてから探すとするか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
美咲は呆気なく見つかった。いや、見つかったというよりは帰ってきた。
俺がこの家を出ようとした瞬間、同時に美咲と美咲の両親が帰ってきたのだ。その両親に話したいことがあると言われて、今はリビングにあるイスに座ったところである。
「ごめんなさいねぇ、務くん。うちの美咲が迷惑かけて」
「……あの、どういうことなんですか?」
美咲に視線を向ける。美咲の口を大きく隠すようにつけられたマスク。よく見れば顔色が悪い。時折ごほごほと咳をして苦しそうにしている。
「実はねぇ──」
美咲の母親が言うには、美咲はインフルエンザにかかってしまったらしい。
昨日の夜に部屋から出てきたらしいのだが、今のこの美咲の状態よりひどかった状態だったそうで、そのまま病院に連れていったらインフルエンザにかかっていることがわかったそうだ。
このことは学校に連絡済みらしく、明日と明後日は休み、そのあとに続く土日をはさんだあとの月曜日からやっと学校に行くそうである。
「務くんも明日は休んで病院で検査してもらった方がいいわよ。もしかしたら美咲のインフルエンザが移っているかもしれないからね。一応美咲のことで電話したときにあなたのことも喋っておいたけど、あとからちゃんと務くんの両親に電話してもらいなさい」
「は、はい」
「じゃあ、今日はもう帰りなさい。今まで美咲のためにありがとね。月曜日からはちゃんと学校に行かせるから」
終始苦しそうにしていた美咲を最後に一瞥したあと、俺は小さくお辞儀をして美咲の家から出ていった。