ぼたもち
「……かぁちゃん。俺ぁ、餡蜜が喰いてぇ」
訓練所から帰省を許された息子と過ごした日の夕暮れ時にぽっかりとそう言われ、彼の母親は仰天した。
「アンミツはむりだよ、ぼだもち、ぼだもちならあるよ」
食糧難の時代だった。
母親は狼狽しながら、それでも勤めに出て励んでいる18の息子の為に今の精一杯でなんとか用意できる別の甘いものを提案した。
すると、どこか虚ろだった息子の目は、にっこりと母親に向けて笑いかけられた。
「牡丹餅だって大御馳走だぁ」
そう明るく息子は言った。
線の細い、腕と脚の長い体躯に、儚げな細面。
大きく張られて端がスゥと流れている、凛とした黒い双眸、やや長めに通った鼻筋、その下に小さく整って置かれ謙虚に重ねられた薄い唇。
眉目秀麗であり高等教育で優秀な成績をおさめ、誉れある職へ志願し、立派に勤め上げる意志を難解な言葉を用い漢詩などにしてスラスラと誓言する我が子は、読み書きの出来ない母親には痛いぐらいに眩しかった。
母親は、美しく優れた息子に恵まれた。
この子からの我儘なんて、さっきまで聞いたこともなかった。
息子は砂糖を使われていない牡丹餅を、有り難い有り難いとしきりに言いながら頬張って『かぁちゃん、ありがとう』、と涼やかに笑った。
海へ。
本州の最東端の田舎出身の若い訓練兵は、己の飛行機を操り、ただ、青黒い海の上を駆けていた。
はやく。
飛行機の燃料は多くはなかった。
――俺が故郷をたてるんだ、かぁちゃんらに良いもの喰せてやって、家たててやって、貧しい暮らしおしめぇにする。にぃちゃんの俺ぁ、偉くなきゃあなんねぇ。御國もかぁちゃんも弟らも、俺が――
海は青黒く。
爆音の下に何処までも廣がっているようだった。
彼が飛ばなければならない空が、夏を照らしていた。
――俺が。俺が偉くなって弟に勉強させてやるんだ、妹も学校いかしてやるんだ、もう貧しいのはやめだ、俺が変えてみせて、いい暮らしを――
煌めく勲章を軍服につけ、錦の旗を貧しい故郷に贈る、その為に。
「……かぁちゃん……!」
自分の生命を、青年は飛ばすのだ。
黒い海の上を飛んだ青年は、故郷へ帰ることは無かった。
いちばん。
できたこだった。
アンミツを、アンミツを、あんとき、かせてやりゃあ、よかった。
なんでかせてやれなかったのか。
きんじょまわりこんでたのみこんででも、かせてやりゃあ、よかった。
あの子のいちどのわがままを、かあちゃんはかなえてやれなかった。
わりぃことした、わりぃことした。
あの子にアンミツをかせてやりゃあよかった……。
青年が期待した褒賞は薄く、母親の胸には無念がいつまでも遺された。
彼の弟は召集されたあと、家へ帰って日雇いの大工になり、百歳を越えて生き、身体の衰えから彼の家の寝台の上で息を引き取った。
弟は、自分は飯炊き兵だったとだけ言いそれ以外は戦についてあまり語ろうとはしなかった。
これは家に生まれた女児たちへ世代を越え語られる話だ。




