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悪女は一日にしてならず〜スパイ護衛官による悪役令嬢無自覚溺愛コンサルタント  作者: 花嵐


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第8話 知都パルティナへ



「なるほど、ではそろそろ出立ですか」


「そうなるでしょうな。『海越え』は中々に危険ですから、できればあと2団体ほど居てくれれば心強かったのですが、まあ何とかなるでしょう」



海原を渡り、馬車を乗り継いでおよそ一週間。

知都パルティナへ向かう旅路の中にあっても、エンディミオの朝はそう大きくは変わらない。



「おはようございます、アルテミシア様。お目覚めの時間ですよ」



キュートスから幾つかの島を経由し知都パルティナを目前に控えている今、エンディミオ達は最後の島ツィア島で野営をしていた。


自分達に与えられた天幕を覗き込み、エンディミオは隅で丸くなって眠っている主人に声をかける。



「アルテミシア様、起きてください。そろそろ『海越え』のために動くそうですよ」



『海超え』――それはツィア島とアテネを隔てる最後にして最難の試練だ。


ツィア島は海洋に浮かぶ島々の中で最も知都パルティナと近い。しかしツィア島と知都パルティナを隔てる海域には、凶暴な水獣達が棲んでいた。生半可な船ではあっという間に転覆させられ家財諸共海の藻屑である。

このため海洋諸島と大陸とを渡ろうとする人々は複数の団体で協力し合い、魔術や魔導具などで自分たちの身を守る必要があった。


これは半神であるアルテミシアにもどうにもできない問題であり、かくして2人は一般人に紛れて『海越え』の日を待ち続けていたのだった。



「(ダメだな、うんともすんとも言わない)」



まったく、寝汚い少女神だ。声をかける程度では当然起きるわけもない。

見下ろす主人はさぞ心地よさそうにすやすやと寝息を立てている。腹が立ちそうなほどの快眠だった。


――こうして眠ってしまうと、普通の少女と見分けがつかない。


はだけた服を直してやりながら、エンディミオはその傍らに座り込んだ。



「(……今なら殺せる)」



波のような黒髪から覗く、白く細い首に手を伸びたのは無意識のことだった。

その白い首筋に指先が触れる、その寸前でぴたりと動かなくなる。


いつも警戒心のない女であるが、就寝中は更に増して無防備だ。こんなに近寄っても身じろぎ一つしない。

狩りの神らしく、平時は対抗手段を複数取り揃えている彼女。しかしこうも眠っている今であれば簡単に殺せるのでは、と邪念が走る。



「(……馬鹿馬鹿しい。命令が下されるまでは監視だというのに)」



エンディミオは仕事を履き違えない。

この女にはまだ利用価値がある。搾り取れるところまで情報を搾り取って、殺すのはその後からでもいい。

これだけ信頼を寄せられているところを衝動で壊してしまうのは、仮に成功しても失敗しても、長期的に見ればマイナスだ。


エンディミオはそう結論付けると、代わりに少女神の肩を揺すって呼びかけた。



「ほら、起きてください駄女神。朝食、一緒に食べるんでしょう?」


「……………………食べる」



そうしてようやく天幕の隅の小兎は、もぞもぞと身を起こしたのだった。




***




料亭を出て、小さな町の大通りを満腹の少女神が闊歩している。



「ん! 美味しかったなエンディミオ。特に海鮮焼きは絶品だった」


「ご満足いただけたようでよかったです、『ミーシャ』様。お気に召しましたら、月都エフェシスでも作りますよ、俺が」



いつにない呼び方に私はくすぐったくて笑ってしまう。

強要したのは自分なのだが、エンディミオがそう呼ぶという事実が面白くてたまらない。


平時であるのならともかく、今は一般人に紛れて『海越え』を待つ――謂わばお忍びの状態にある。

半神はただそこに存在するだけで注目を集めてしまうものだ。なにせ曲がりなりにも神であるのだから。

であるので、こちらの正体に気づかれぬよう細心の注意を払うのが急務なのだった。



「(アルテミシアは個人名じゃなくて、むしろ団体名だからな……)」



『月の半神』に成った者は元の名前を捨てて、皆そう呼ばれる運命にある。私も、先代も、先々代も、そして私以降の半神たちも、その運命から逃れられることはない。

『月の半神』に限らず、全ての半神がそのようにして代替わりをしていた。

要するにアルテミシア様と呼ばれれば、私が『月の半神』だということがうっかりすっかり全部バレてしまうのである。



「この島での滞在も今日で終わりか。なんだか寂しいな……」


「この島が恋しくなったのなら、知都でも月都でもここのお土産を買えるともいますよ。故郷で買ったとっておきのお土産を持って都に行ってみれば、降り立って早々、都の物産展で売ってるところを目撃してしまう……よくある話です」


「世の中は悲劇に溢れているな……」



逆に言えば、またこの土地のものを今度は月都でも食べれるかもしれないということである。こういうのはポジティブに捉えるのが肝心だ。




『海越え』を待つ人々は、町を少し離れ、港付近の広場に野営することを許されていた。

町と広場とを繋ぐ街道の道すがら取り留めもない話を続ける。そうしているうちに、前方で何やら揉め事をしている姿を見留めた。



「――病人と一緒に『海越え』するなんて、俺は反対だね! 感染が広まったらどうしてくれるんだ!」


「だから病気じゃないって言ってるでしょ! 治癒魔導師様に診て貰ったもの!」


「頭痛に腹痛、倦怠感のある人間が病気じゃねぇわけないだろ!」



大声で怒鳴る中年の男と、負けじと言い返す少女。

仲裁に入りながらも2人の間でおろおろとする男と、少女の背後に庇われた女。


話を聞く限り、この庇われた女というのが『病人』なのだろう。勝ち気な少女とは対照的に、彼女は不安げに赤い唇を舐め、ぎゅっと噛み締めている。


仲裁をしていた男はこちらを――正確にはエンディミオの姿を見留めると、ぱぁと顔を綻ばせた。



「ああ、どうもエンディミオさん、朝ぶりですな。それから連れのお嬢さんもこんにちは」


「こんにちは。……これは一体どういう状況で?」


「ええと、そちらの女性が体調不良だってので……『海越え』の間は暫く船を共にするでしょう? 伝染ったらいけないという話になりましてね」


「だから、病気じゃないんだってば! ちゃんと錬金術師から買ったら風邪薬も飲ませてるし、治癒魔導師様にも診て貰ったけど原因が分からなかったの!」



そこで、鞠のように跳ねる少女が飛びついてきた。

金の髪に燃えるような赤い瞳の少女がキッとこちらを見つめる。

エンディミオが怪訝そうな顔をしたが、それを私は後ろ手で制して口を開いた。



「君、名前は?」


「アタシ? アタシはクロエ。こっちはベルナ姐さん。ねぇ、貴方も治癒魔導師様なの?」


「私は駆け出しの医者ってところかな」



医者と治癒魔導師は違う。治癒魔導師が症状を解決するものなら、医者はその原因を突き止めるものだ。

治癒魔術は万能だが其の場凌ぎに過ぎない。風邪などの症状であれば問題ないが、先のイリスの例のように原因を取り除けるわけではない。

双方、一長一短といったところである。



「ベルナお姉さん、良ければ口を見せてくれる?」


「え?ええ……」



ベルナは、当惑しながらも素直に屈んで口内を見せてくれる。私は一点一点を手早く観察していった。

治癒魔導師にかかっても治せなかったということは、病気の線は除いていい。



「(白粉かと思ったが、口内は鉛中毒の症状っぽくはないな。涎の多さと、歯ぐきの腫れ……何よりこの紅の発色)」



一つ一つの症状がまるでパズルのように当てはまっていく。

私は口内からベルナの瞳へ視線を上げた。



「この紅、『丹』という名前で売られていなかったか?」


「え! ええ、そうよ」


「それでもしかして、この紅を愛用していた?」


「ええ、私たちは旅芸人だから……目を引く色がいいと思って」


「じゃあ恐らくはそれが原因だな。『丹』は辰砂の別名として使われることもあるんだ。これは病気じゃなくて辰砂による中毒症状だ。お姉さん、よく唇を舐める癖があるでしょう? 食事の際や癖で慢性的に体内に辰砂を――毒を摂取していたんだろう」



ぱっと、恥ずかしがるようにベルナが口元を覆った。

先ほどまで怒鳴り散らしていた男はバツが悪そうに引きが下がっていく。伝染るものでないのなら『海越え』参加を妨げることはできない。

一方でクロエはと言えば自分の主張が保証されて安堵する一方で、複雑そうな面持ちでツンっと口先を尖らせていた。



「そんな……だって、あんなに綺麗なのに毒なの?」


「ああ、残念だが。その紅の使用を控えて治癒魔導師にまた治して貰えば症状も改善するだろう。神殿付きの治癒魔導師へ紹介状を書こうか?」


「ううん、そこまでは申し訳ないよ。ありがとうお医者ちゃん。おかげさまで『海越え』に参加できそう……いいですよね、キリロスさん?」



クロエの呼びかけに、キリロスと呼ばれた柔和な男はぴょんと跳ね上がって、それからこくこくと頷いた。



「あ、ああもちろんですとも。そろそろ出立しますので皆さんもご準備くださいね」


「ありがとうございます。あ……そうだ、お医者ちゃんの名前は? 聞いてなかったわね」


「『ミーシャ』だ。これから私たちも『海越え』に参加する。短い間になるがよろしく」

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