第八章 ある暗殺者たちの襲撃(2)
「ナシェとルティはどうしているでしょうか。無事ならいいのですが……」
心配そうにユフィが呟く。今のところ、辺りに敵の気配は無いようだ。ユフィは過度に音を立てないよう、ゆっくり目に馬を進めている。
「無事は無事でしょう。切り抜けた後で僕たちを探して森に入ったか、そのまま次の村を目指して進んでいるかはわかりませんが。いずれにせよ、森を進んで、村を目指していればそのうち会えると思います」
日の傾きから大まかな方角を計算し、二人は村のある南を目指して進んでいった。しかし、予想外に森は深く、まっすぐ南を目指して進むこともできない。結局二人は、森から出ることができないまま、夜を迎えてしまった。
「困りましたね……」
さすがに疲労困憊といった様子でユフィが言う。
「すみません、当てが外れてしまいましたね……」
アゼルも疲れていたが、それよりも焦りの方が強かった。ユフィはそろそろ限界だろうが、仮にも王女を野宿させるなどあってはならないだろう。ましてや、敵がいつどこで襲ってくるかも分からない状況なのだ。
「いえ、アゼル殿のせいではないです。今日は見張りを立てながら野宿するしかないですね。この辺りはどうでしょうか?」
そんなアゼルの憔悴をよそに、ユフィはさほど抵抗もなさそうに野宿を提案した。丁度運良く水場を見つけたのだ。
「確かに、ここなら見通しも悪くないですし、飲み水も確保できますが……」
宿に着くまで強行すべきか悩む間もなく、ユフィは馬を止めて降りてしまった。
「アゼル殿、突然で申し訳ないのですが……」
ユフィが言いにくそうに切り出す。
「なんでしょう?」
何の用件か想像も付かず、アゼルが訝る。
「あの、少しでいいので、その、えっと、水浴びを、してもよろしいでしょうか? 返り血の気持ち悪さが、限界で……」
常の明瞭さからはほど遠い、恥ずかしそうな様子で、おずおずと訊ねる。追っ手がいつ襲ってくるか分からないこの状況で水浴びなど、甘えに他ならないとの自覚があるのだろう。
「あぁ……すみません、気が付かず……」
アゼルは謝ったが、頭に浮かんだのは水浴びの最中に敵が現れる危険よりも、何かの間違いで覗いてしまうのではないかという危険だった。ちょっとした異変でも感じれば、それが結果的に敵襲でなかったとしても確認せざるを得ないからだ。
「では、少し離れていていただいていいですか?」
「それは、勿論。ただ、念のため、剣をお借りしておいていいですか?」
ユフィも剣がなければ身を守れないが、剣があっても服を着ていなければ羞恥心で戦えないかもしれないという判断だ。戦士としての覚悟の不足を指摘してしまうようでアゼルは少し悩んだのだが、ユフィは明るく微笑んで剣を差し出した。
「そうしていただけると、助かります。これで、もし敵が襲ってきても、安心ですね」
ユフィにこんな風に素直に頼られると、昔を思い出して鼓動が早くなってしまうアゼルだった。
アゼルは水場から少し離れて、努めてユフィの姿が見えないようにしつつ、周囲に気を配った。
「リルル、ユフィの守護妖精以外の守護妖精の気配を感じたら、教えてくれ」
「わかったルル!」
元気よく返事して、リルルは張り切って辺りを飛び回り始めたが、そのふらふらとした飛行はいかにも危うげで、あまり信頼はできなさそうだ。
微かな衣擦れに続く水音で、ユフィが水に入ったことがわかる。月明かりの美しい夜だ。ついユフィの姿を覗き見たい衝動に耐えながら、アゼルは直立不動で警戒し続けた。
「アゼル、妖精がいるルル!」
期待していなかったリルルからの報告に、アゼルは迷わず魔術を発動した。
「堕天の軍靴よ、鬼神の手甲よ、そして断罪の魔剣よ、宿れ!」
アゼルの四肢と剣に力が満ちてすぐ、四人の騎士が泉にいるユフィ目掛けて疾駆してきた。こちらが隙を見せてすぐに襲いかかってきた辺り、ずっと監視されていたのだろう。
「四人同時かよ!」
アゼルは駆け出すと、先頭の一人を、体当りするような刺突で倒すと同時にもう一人を蹴り飛ばした。幸いにも、敵はアゼルを《魔術師》と思っていたのだろう、アゼルの突進の速さに虚を突かれたのだ。魔術は警戒していたのかも知れないが、アゼルの突撃は完全な奇襲になった。
「まず、一人!」
「貴様!?」
仲間を斬られ、敵の一人が怒号を上げるが、その声には、仲間を瞬殺された動揺があった。敵に気付いたユフィが軽く悲鳴をあげる。
後続の二名が動きを止めたのを見て、アゼルは蹴りを喰らって地面に転がった一人に追い討ちをかけた。敵が起き上がる前に一撃で仕留める。
「これで、二人」
ここまでは上出来過ぎるほどであったが、まだ二対一である。敵は怒りの表情を見せているが、奇襲の混乱からは回復したようだ。二人は示し合わせて、一人がアゼルに斬りかかり、もう一人がユフィの元に駆けた。
アゼルは冷静に、自分に襲いかかってきた一人を迎え撃った。武器がなくとも、ユフィならしばらくは持ちこたえてくれる、そう信じてのことだ。
二、三合斬り合って、アゼルは相手のおおよその力量を把握した。腕は中の上といったところで、ルティやナーシェス、ユフィと比べてもかなり落ちる印象だ。
ただ、今のアゼルが真正面からやり合うとなると、瞬殺とまでは行かなかった。手こずり、幾つか手傷を負いながら、何とか倒したものの、思ったよりも時間がかかってしまった。
慌ててユフィに目をやる。「間に合わなかった」過去の恐怖が脳裏をよぎったが、ユフィはエフィとは違った。木々を利用しながら水場を優雅に舞って、敵の猛攻を巧みに凌いでいる。
「時間切れ、だ!」
アゼルは身体強化の魔術をかけ直し、一気に距離を詰めて敵を背後から斬り伏せた。盛大に血飛沫を上げて、最後の一人が倒れた。
「ユフィ、怪我はないか?」
「はい、アゼル殿のお陰でなんとか」
「思わず殺してしまったが、失敗だったかな……最後の一人くらい生かしておいて、何故ユフィを狙ったのか聞けば良かったか……」
言いながらも、アゼルは大した問題ではないと思っていた。仮に王妃が黒幕であっても、暗殺者たちがそれを知っている可能性は低いだろうし、もし知っていたとしても、暗殺者の証言だけで王妃に罪を認めさせるのは難しいだろう。
アゼルは、水がこれ以上血で汚れないように、敵の死体を水場から引き上げた。
「僕も血まみれになってしまいました。水浴びしたいですね……」
四人も人を殺めた後味の悪さを誤魔化すように、アゼルは軽くおどけて言いながらふと水場のユフィに目をやった。
「み、見ないでくださいっ!」
そう、激しい戦いで失念していたが、ユフィはまだ一糸纏わぬ姿だったのだ。
「ご、ごめん、つい……」
謝りながらも、アゼルはユフィから目を離せないでいた。月明かりに白く輝くようなユフィの美しい肢体が、あの時はよくよく見ることもできなかった、想い出の中のエフィの体と重なったのだ。
「アゼル、殿?」
ユフィが動かないアゼルを不審がる。よく見ると、アゼルの目には涙が浮かんでいた。
「泣いて――いるのですか?」
ユフィが驚きの声を上げる。アゼルの顔は、さすがにユフィの裸体を見て喜びのあまり泣いているようには見えなかった。戦いと、血の匂いと、愛する少女の体と……今の状況は、アゼルに過去の悲劇を思い出させるのに十分だったのだ。
「いや、ごめん。改めて、間に合ってよかったなって」
アゼルは慌てて涙を拭い顔を背けた。
その後、ユフィが改めて身体を清めている間に、アゼルは簡単に死体を調べてみたが、首謀者を示す手掛かりは見付けられなかった。
汚れ仕事を終え、ユフィが着替えを終えたのを確認して、アゼルも水場で血を洗い流した。
初夏とは言え、夜はそれなりに冷える。魔術で火を焚くという選択肢もあったが、ルティとナーシェスに付いていた敵が、ユフィを追って森に入っていないとも限らず、アゼルは断念した。手持ちの防寒具は、簡易な毛布としても使える風避けの外套が一枚あるだけだ。
「ユフィ、これを使ってください」
アゼルは外套をユフィに差し出したのだが……。
「別に、こうすれば二人で使えますよ」
そう言って、ユフィはアゼルに身を寄せ、外套が二人の肩に掛かるようにした。
「えっ、ユフィ、そんな……」
畏れ多い、と続けようとしたのだが、ユフィの体温と香りは心地よく、アゼルはその魅力に抗うことができなかった。さりとて、それ以上のことをできるはずもない。アゼルは身じろぎ一つせず、ただユフィの鼓動を感じていた。
「先程の涙、母のことを思い出していたのですか?」
ユフィの問いは、質問というよりは確認に近かった。
「ええ。エフィーリア様との想い出は、血の匂いと切り離せないものだったので……」
それ以上、どこまで語るべきかアゼルは悩んだが、疲れていたのだろう、ほどなくユフィは可愛い寝息をたてはじめた。アゼルはしばらく、ユフィの寝顔を眺めていたが、いつしか自分も眠りに落ちてしまった。
***
翌朝、アゼルは激痛と共に目を覚ました。
「貴様、何してやがる!」
ナーシェスに蹴り起こされたのだ。ルティも冷たい目で馬上からアゼルを見下している。
「……何するんだよ?」
理由はわかりすぎるほどだが、一応確認する。
「ユフィを野宿させたのみならず、見張りもせずに自分まで眠りこけやがって! 俺が敵なら殺されているぞ!」
「しかも、ユフィの隣で寝るなんて、この変態!」
ルティも一緒になってアゼルを責める。この騒ぎに、ユフィも飛び起きた。
「二人とも、無事でよかったけど、この騒ぎはなんなの?」
「畏れ多くも王女の横で眠りこけてたバカを叩き起こしたんだ」
「寒かったから、私が身を寄せさせてもらったのです。アゼル殿に後ろ暗いところはなにもありません! それに昨夜は、追手四人を倒して私を守ってくれたのです。疲れて寝てしまうのも仕方ないでしょう!」
ユフィはアゼルを庇うように立ち、二人をたしなめるように見据えた。
「まぁ、二人の立場では仕方ない、のかな?」
見れば、ルティもナーシェスも、夜通し二人を探していたようだ。疲れはてているように見える。二人ともばつが悪そうに黙ったこともあり、アゼルもそれ以上何も言わなかった。
***
ルティとナーシェスも、自分達の邪魔をした敵をそれぞれ倒したとのことで、その後は特に敵が襲ってくることもなかった。四人は予定より一日遅れたものの、その後は順調に、適度に宿を取りながら王都にたどり着くことができた。




