第七章 ある暗殺者たちの襲撃(1)
翌朝、フィリスが元気良く部屋の扉を叩く音で、アゼルは目覚めた。
「アゼルさん、起きてください! 他の皆さんがお待ちしてますよ!」
幸い、部屋にいるのはアゼル一人だけだ。アゼルに抱きつくように眠っていたルティは、いつの間にか出ていったようだ。アゼルはフィリスに返事しつつ、手早く身支度を調えた。
「起こしてくれてありがとう、フィリス」
「いえ。それより、また皆さんでどこかに行かれるんですか?」
不安そうに、フィリスがアゼルの顔を覗き込む。無論、心配なのはアゼルがいなくなることではなく、回復薬だろう。
「ああ。彼らに付いて、久々に王都に行くことになったんだ」
「そ、そんな! じゃあ、薬の販売は?」
「悪いけど、しばらくお休みだね。そんなに長く留守にはしないと思うけど」
言って、アゼルは自分がこれから先のことをあまり考えていないことに気が付いた。王都で再び仕官して、もうここには戻らないという可能性もあるのかも知れない。それを言うと、フィリスにどんな無茶なことを言われるか怖かったので、アゼルは速やかに話題を変えた。
「食事の用意はしてくれてるの?」
「はい、すぐにお出しできますよ!」
元気いっぱいに答えて、フィリスは食事の用意をするために軽やかに食堂へと駆けていった。そんなフィリスの姿を見て、アゼルはまたこの街に戻るならここに宿をとろうと思った。
アゼルが食堂に入ると、三人は既に旅装を調え、食事をとっていた。
「遅いわよ、アゼル!」
キツい口調でルティが言う。口調だけなら今までどおりだが、少し顔が赤くなっており、アゼルから顔を背けている。多少は昨夜のことを気にしているようだ。下手に反応してユフィやナーシェスに勘繰られるのを避けたいアゼルは、悪いな、とだけ言って席についた。
「食事が済めばここを発とうと思っているのですが、大丈夫ですか?」
「ええ。荷物もほとんどないですし、大丈夫ですよ」
ユフィの問いに笑顔で答える。釣られてユフィが可愛く微笑む。そんな二人を見る、ルティとナーシェスの顔は苦い。
「別に、お前さんは無理に来なくてもいいんだぜ? 王妃のユフィいじめには、自慢の魔剣も役には立たないだろ」
ナーシェスが牽制する。今やアゼルを恋敵と見ているのかも知れない。
「むしろ王妃に魔族のことを信じて貰うには、直接王命を受けていないアゼル殿の口添えは有効だと思うんだけど」
ユフィが反論する。至極理にかなった反論であり、ナーシェスはそれ以上何も言えなかった。《魔剣の騎士》の令名に過度に期待するでもなく、淡々と現状を把握して対策を講じるあたり、ユフィの考え方はやはり十四の子供のそれではない。悲しいほどに大人びている。
「話に聞く限り、僕の口添え程度でどうにかなる相手とも思えないけど、やるだけはやってみるよ」
そんなユフィの力になれればと、心から思うアゼルだった。
いざ出発という段になって、問題が生じた。アゼルは馬を持っていなかったのだ。
「何で馬くらい持ってないんだよ!」
ナーシェスが毒づく。
「薬師をしてる分には特に必要ないからな。餌代も厩の賃料もばかにならないし」
「別に私の馬に一緒に乗ればいいでしょ?」
「それはダメだろ」
「そうよ、絶対ダメ!」
ユフィの事も無げな一言に、ルティとナーシェスが異議を唱えた。
「どうして? 馬への負担から考えても、一番小さい私と同乗するしかないでしょ?」
二人の反応にユフィが首を傾げる。
「そんな変態薬師を王女の馬に乗せるなんてもっての他だわ」
「その点に関してはルティに賛成だ。馬の賃料くらい俺が出すから借りて来い」
「それは路金の無駄遣いだし、やめて欲しいな。少なくとも、アゼル殿を変態とはおもわないし、私は一緒に馬に乗って色々な話を聞きたい」
二人がアゼルを悪し様に言うことに少し怒っているのだろう、いつになく強い口調でユフィが二人をたしなめる。また実際に、ただの薬師ではなく、《魔剣の騎士》から聞ける話をユフィは楽しみにしていたこともあり、結局、ユフィが二人の反対を押しきった。
「なんというか、どちらが大人かわからんな」
アゼルがしみじみと言った。むしろ同情するような口調になってしまうのは、アゼル自身がユフィより大人である自信がないからだろう。
「すみません、アゼル殿。あの二人が失礼なことばかり」
馬に乗って走り始めることしばし、ユフィが後ろに跨がるアゼルに謝った。他の二人にはもう少し大きい声でしゃべらないと聞こえない、そんな声だ。
「ユフィが謝る必要はないし、二人の立場からすれば仕方がないよ。僕が王宮に仕えていたのはもうかなり前の話だし、今の僕の得体が知れないのは否定しようもないからね」
「それはそうですが、その、変態というのは、アゼル殿の評価として酷いと思うのです!」
ユフィが力説するが、アゼルは苦笑した。
仮にアゼルのような年代の男が、ユフィのような成人前の少女にしか興味がないのなら、その性的嗜好は変態と呼ばれても仕方ないだろう。自覚があったわけではないが、考えてみれば憎からず思っている宿屋のフィリスも成人直後である。アゼルが自分と年代の近い大人の女性よりも、年若い少女に惹かれることは事実のようだ。
それは或いは、ただ一人心から愛した女性が死ぬまで少女であったことが原因なのかも知れない。アゼルの心は、その時から恋愛に関して成長を止めてしまったとも言える。そして、その女性の生き写しが、今手の届くところにいる……。
「僕が変態であるかは置くとしても、二人の心配はあながち的はずれでもないですよ。僕がユフィに惹かれているのは確かですから」
正直に、アゼルは告白した。ユフィに驚いた様子はない。
「それは、私が母に似ているから、ですよね?」
真っ直ぐにアゼルの目を見て、問う。アゼルも誤魔化したりはしなかった。ユフィから目を逸らさずに頷く
「はい。失礼なことは承知ですが」
「構いません。私が《魔剣の騎士》アゼリオンに憧れるのと、同じようなものですよね?」
「え、そんな……」
ユフィに悪戯っぽく微笑まれて、アゼルは目に見えて狼狽えた。ユフィが自分に憧れているなど、考えてもみなかったのだ。もちろん、単なる社交辞令なのかも知れないが、それでもアゼルは、まだ自分の半分しか生きていない少女の一言でときめいてしまったのだ。
この時初めて、アゼルは本気でユフィを恋愛の対象として認識した。来年にはユフィも成人する。年の差は大きいが、この国ではまだ年若い少女が、年配の男性……大抵は貴族や大商人だが……のもとに嫁ぐことも、それほど珍しいという訳でもない。
もっとも、単に可能性として零ではないというだけで、この美しい王女が、元《近衛騎士》とは言え、冴えない薬師風情を伴侶に選ぶなど、痴人の妄想に過ぎないことも理解していたが。
「アゼル殿の母への気持ちを利用するようで申し訳ないですけど、気が向く間だけでも、力を貸していただければありがたいです」
ユフィへの気持ちを明確にはしないままで傍にいてもいいのであれば、それは今のアゼルにとっても望むところであった。
***
この地域は比較的明瞭に四季が分かれるが、今は初夏で天気も良く、馬を走らせるにはいい気候だ。来た時と同様、馬で四日ほどかかることを見込んでいたが、問題が起きた。アゼルとユフィを乗せた馬が、思ったほど速く走れなかったのだ。
もともと、ユフィに負担をかけさせまいと、ナーシェスは余裕を持った計画を立てていたのだが、それでも初日の宿に着いたのは、予定よりもかなり遅く、日が落ちてかなり経った後だった。
「失敗だったな。やはり馬はもう一頭用意すべきだった」
うんざりした声と顔でナーシェスが愚痴る。
「ちゃんと着いたんだからいいでしょ」
ユフィがアゼルに対する非難を牽制するように言う。
「今日は何とか着けたが、明日の宿は今日より遠いんだ。もっと遅くなるぞ」
「今からでも、馬を借りたら?」
ルティがそう言って、宿の主人に馬を借りられるか聞いてみたが、カルネと違って小さな村であり、馬貸しはいないとのことであった。
不満げな二人と、二人に文句を言わせまいとするユフィの間で会話は弾まず、質素な食事を簡単に済ませて、四人は早々に休むことにした。長時間の乗馬で疲れ果てていたし、予定通り次の町に着くには、明日も早く出発する必要があるからだ。
寝台に寝転ぶや、すぐに眠りに落ちたアゼルであったが、翌朝早くに起こされて、ほとんど休んだ気になれなかった。これまで、好きなだけ、起こされるまで寝る自由気ままな生活だったこともあり寝足りないが、三人ともまだどこかぎくしゃくしており、とてもそんな様子を見せられない。アゼルは眠気を噛み殺して準備した。
何とか遅れずに出発したものの、暖かな陽気の中、のどかな森林地帯を馬で揺られていると、心地よい眠気が襲ってくる。
「大丈夫ですか? アゼル殿」
時おり眠りに落ちてアゼルが落馬しそうになる度に、ユフィが申し訳なさそうに言う。ユフィに心配されるのも情けないが、ナーシェスとルティは更に容赦がなかった。
「ったく、年はとりたくないな」
「年のせいと言うより、これまでの自堕落な生活習慣のせいでしょ。毎日昼まで寝てたみたいだし」
「どっちにせよ、だらしないという結論は変わらんな。これ以上足を引っ張らないでくれよ」
情けないを通り越して居たたまれないが、出発して二刻ほどで、アゼルの目が完全に覚める事態が起きた。野盗が襲いかかってきたのだ。数は十人で、四人を囲んで矢を射かけて来た。
「命知らずね」
ただの野盗と甘く見たルティが、槍で矢を叩き落としながら言ったが、事態はそんなに甘くなかった。
「こいつら、《騎士》かよ!?」
矢で倒せないと見て、接近してきた野盗と剣を合わせて、ナーシェスが舌打ちした。その動きは、どう見ても手練れの《騎士》である。一対一なら勝てない相手ではないだろうが、ナーシェスは二人を相手にしている。ルティにも二人がついており、どうやらナーシェスとルティを足止めするつもりのようだ。防御中心で無理には攻めて来ない。ナーシェスもルティも、そんな敵を瞬殺とはいかず攻めあぐんでいる。
「こいつら、狙いはユフィか」
アゼルが呻いた。残る六人がユフィとアゼルを囲む。
「ユフィ、逃げろ!」
怒鳴りながらも、ナーシェスにはそれが無理な要求であることが分かっていた。ユフィの馬には剣も持たない「足手まとい」が乗っているのだ。二人を乗せた馬で、逃げ切れるわけがない……。
「雷神の槍よ、貫け!」
その「足手まとい」が、触媒の短剣から雷を放った。魔術が飛んでくるなど、予想もしていなかったであろう敵にとっては完全な奇襲だったが、まともに食らってくれたのは一人だけだった。それでも、その一人は落馬して、動かなくなった。
「《魔術師》だと!? 聞いてないぞ……」
敵が呻いた。倒れなかった五人も、直撃は免れたものの完全にかわし切れたわけではない。見た目にはわからないが、程度の差はあれ、多少は傷を負っていそうだ。敵は明らかに怯んでいるが、アゼルは調子に乗って魔術を乱発したりはしなかった。警戒されていては避けられる可能性が高いし、いざという時のために魔力を温存しておきたかったからだ。
「逃げるぞ、ユフィ」
アゼルがユフィの耳元で囁いた。まだ敵は、こちらの倍以上いるのだ。落ち着いて持久戦に持ち込まれたら、勝ち目がない。滅多に目にしない魔術への恐れで、敵の動きが鈍っている今は、逃亡の好機だった。
「しかし、ナシェとルティが……」
「敵が散らばりさえすれば、あの二人ならどうとでもできる!」
アゼルの意図を了解して、ユフィが馬を走らせた。不用意に追うべきか、敵たちには迷いが生じたようだが、それでも二人の前方にいた一騎が、逃がすまいとユフィに斬りかかった。
「風妖よ、舞え!」
アゼルが魔術で命じると、強風が巻き起こり、襲ってきた敵が体勢を崩した。その隙を逃さず、ユフィが長剣を一閃する。血飛沫をあげて倒れた敵に目もくれず、ユフィは西に広がる森林の中へ、馬を走らせた。
アゼルたちを囲んでいた残り四人が追ってくるが、魔術を警戒しているのだろう、その動きは鈍い。アゼルが馬上で振り向きながら魔術を準備しているように見せているからなおさらだ。
「彼らは何者なのでしょうか?」
馬を走らせながら問うユフィの声は恐怖と焦りで上ずっている。後ろにアゼルを乗せて馬を操る彼女には後ろの状況が見えないのだから仕方ない。
「こちらに《騎士》や《魔術師》がいると分かれば、野盗の類いなら、金を持っているかもわからないのに命がけで我々にこだわる意味がない。だから、ほぼ間違いなく、狙いはユフィですね。誰かに雇われた暗殺者、というところじゃないでしょうか」
その誰か、を明言しこそしなかったが、これまで聞いている話から、アゼルの頭に浮かんだのは一人だけだった。ユフィも敢えてそれを問うたりしない。
ユフィは可能な限り速く馬を走らせた。アゼルは敵が近づく都度、リルルの抗議を無視して魔術を放っていたが、しばらくすると敵たちは追走の速度を緩め、やがてアゼルの視界から消えた。
「敵が見えなくなったけど、巻いた、ってわけではないですね。一気に攻めるのを諦めて、緩急をつける作戦に変えたんだと思います」
「そうですか……。では、まだ油断はできないのですね……」
「そうですね……。いつどこから敵が襲ってくるかわからない上に、森が深くて今自分たちがどこにいるかもわかりませんし……」
「つまり、敵を警戒しつつ森を抜けて、ナシェたちと合流しないといけない、と。先行きは暗いですね……」
ユフィの声が沈む。確かに状況は芳しくないが、落ち込んでいても事態は好転しない。アゼルはユフィを元気づけるべく、建設的な提案をすることにした。
「それはそうなんですが……お腹が空きました。既に昼を回ってかなり経ってますし、とりあえず昼食にしませんか? 宿で分けてもらった食料を、個々に持っておいて良かった」
務めて明るくアゼルが言うと、ユフィも少し顔をほころばせた。
比較的見晴らしのいい、開けた場所を選んで、二人は馬を降りた。死角を無くすように向かい合って座り、素早く干し肉とパン、そして水袋を取り出す。
「ん、うまい」
「はい、本当に。空腹に染みます。これで服さえ血まみれでなければ言うことはないのですが」
先程浴びた返り血は既にほとんど固まっているようだが、不快感は拭えないのだろう。ユフィが美しい眉を顰めた。
「血はしばらく我慢してもらわないとダメですね。それにしても、こんなもの、王宮では食べないでしょ?」
干し肉もパンも、日保ちさせるために水分を飛ばしているためかなり固いのだが、ユフィは本当に美味しそうにほお張っている。空腹と疲労という調味料があるとは言え、少し不思議に思って、アゼルは聞いてみた。庶民、あるいは旅人の食事としては悪くないが、仮にも王女が、こうしたものを食べたことがあったとは思えなかったのだ。
「そうでもないですよ。特別な場合以外、私は父や義母とではなく、乳母たちと食事をしていましたから。干し肉も、普通に食卓に出ていました。《近衛騎士》に所属するようになってからは、兵舎で食事をとるようになったので、多少豪華になりましたが、それでも干し肉自体は時々出てきます」
ユフィは事も無げに言ったが、アゼルは驚いた。乳飲み子ならともかく、これだけ大きくなったのに、王族が使用人や臣下にあたる者たちと日常的に食事しているなど、はっきり言って異常である。もっとも、それを言えば、現状一人しかいない国王の世継ぎが、一兵卒を勤めているというこの状況こそがそもそも異常なのだが。
「それもこれも、現王妃の嫌がらせ、というわけですね」
「あの方曰く、王族たる者、若いうちは庶民の生活を知るべきだとのことですが、父上や母上がそのような経験をされたとは聞いていませんね」
呆れた果てたアゼルの言葉に、ユフィも苦笑混じりに答えた。
「まぁ、そのお陰で、僕はエフィーリア様の忘れ形見に会えましたけどね。さて、そろそろ動きましょう」
食事を終え、アゼルとユフィは再び馬に乗って進み始めた。




