第五章 ある《騎士》たちの魔竜退治
「くすん、ナーシェス様、私のことあんなに可愛がってくれたのに。三人でなんて、不潔です」
アゼルの部屋から出てきた三人に、涙を拭う真似をしながらフィリスが言う。やはり既成事実があることを主張されている。
「頼むから黙ってくれ」
ナーシェスが頭を抱えた。
「ナーシェスなんていくらでもやるが、フィリス、あの強暴女はまだ角の酒場に下宿しているよな?」
「強暴女……ああ、ルーティリアさんですか」
「ルーティリアって、あの!?」
ユフィとナーシェスが異口同音で驚きの声をあげる。
「そう言えば、あの強暴女、最近王宮を首になったとか言っていたな。知り合いか?」
「ああ、王妃に逆らって首になるまでは《近衛騎士》の一員だったからな」
ナーシェスが苦笑する。彼女がいなくなったからこそ、ナーシェスは王国最強などという皮肉な呼ばれ方をするようになったのだ。
「そうか、なら話が早い。少し前まで彼女もここに下宿していたからちょっとした知り合いなんだ。強暴さと槍の腕は知っての通りだろ」
「ルーティリアさんなら今もまだ、《帰らずの森亭》で下宿してますよ」
ユフィから六本分の回復薬の手数料を受け取って小躍りしながら、フィリスは喜んで答えた。
***
アゼルはユフィとナーシェスを案内して、《帰らずの森亭》を訪れた。夕食時ということもあり、店の中は多くの客でごった返している。三人はすぐに、夕食をとるルーティリアの姿を見つけた。
「何しにきた、この変態男!」
近付いてきたアゼルを見つけ、空いた木の皿をアゼルに投げ付けた後で、ルーティリアが叫んだ。店内は騒がしかったが、彼女の可愛らしい叫び声は店の隅々まで響き渡った。
「何度も言うようだが、僕が先に入ってた風呂にお前が後から入ってきたのに、なんで僕が変態呼ばわりされないといけないんだ? むしろ被害者は僕だろう」
皿をぶつけられた鼻をさすりながら、アゼルは無駄と知りつつも反論した。
「あんな汚らしいものを見せた癖に」
「勝手に見たんだろうが!」
アゼルは頭を抱えた。
「そろそろ許してあげなさい、ルティ。アゼル殿も、悪気があったわけではないでしょう」
見かねて、ユフィがアゼルを援護する。ルティの表情が一変する。ようやくユフィに気付いたのだ。
「王女!? よくぞご無事で……ついでにナシェも」
王妃の王女に対する仕打ちに意見して騎士団を除名されたルティである、宮仕えを辞めた後も王女の身を案じていたのだろう。
「俺はついでかよ」
ナーシェスが軽く落ち込んで見せた。
「ここでは一応ユフィって呼んでね。でも、本当に久しぶりね、ルティ。相変わらず、元気そうでなにより」
懐かしそうにユフィが微笑む。
「騒がしい、の間違いだろう」
アゼルは毒づいたが、ユフィの笑顔に見惚れて、それほど皮肉な口調にはならなかった。
「でも、王、じゃない、ユフィがどうしてこんなところに……」
「ちょっと魔竜を退治しに、ね」
「そうなんですか……って、魔竜!? 魔獣じゃなくて? 正気ですか!?」
ユフィのさりげない口調に聞き流しそうになったものの、ルティがことの異常さに声を荒らげた。
「俺達は、な。正気じゃないのは命令した方だろ。ま、お前のときと似たようなもんだよ。王妃の嫌がらせだ」
王妃と聞いて、ルティが眉を釣り上げた。
「アゼル殿から腕のいい《騎士》がいると聞いて、それがルティだったから驚いたんだけど……わたしたちに力を貸してくれない?」
「変態男に褒めて貰って光栄だけど、三人でも魔竜は無理だよ。ユフィを危険に曝すことになるし」
「お前も来るんだろ」
当然のように、ナーシェスがアゼルを頭数に入れようとした。魔獣と遭遇した際のアゼルの落ち着きようから、アゼルが何かしらの戦闘力……恐らくは魔術……を有していることに気づいているのだろう。
「腕ききの《騎士》七人でも難しいのに、こんな変態を連れていったところで役に立つわけないでしょ。足を引っ張られるだけよ」
世に言う「《七騎士》の魔竜退治」を引き合いに出してルティが異を唱えた。無論、当の《七騎士》の一人が目の前にいることに、ルティは気付いていない。
「一応、薬草作りの腕は確かなようだし、魔力を扱えるなら何かの役には立つんじゃないか。最悪でも、ユフィの肉壁くらいにはなってくれるだろうよ」
散々な言われようである。アゼルは憮然とした。
「本当に来てくださるんですか? もしそうなら心強いですが……」
ユフィが申し訳なさそうに言う。その顔に偽りの色はない。ユフィに心強いと言われ、アゼルは、遠い昔に凍り付いた感情に再び火が灯ったような気がした。この子を護りたい、そう思ってしまったのだ。
「ついて行くよ。それこそ、肉壁くらいの役にしか立たないかも知れないけどね」
アゼルがユフィに微笑んだ。ユフィの顔もぱっと明るくなる。
「あーやだやだ。無理しちゃって。大方、ユフィの気を引きたいんでしょ。三十路のおっさんが、成人前の少女に鼻の下伸ばして。つくづく最低よね」
危険を冒して同行を決意したのに、評価してはもらえなかったようだ。おっさん、の一言に、アゼルはしたたか傷ついた。
しかし確かに、十九のルティから見れば、アゼルはおっさん以外の何者でもないのだろう。十代の若さと才能溢れる《騎士》たちと行動を共にする……自分の年齢を、衰えを、否が応でも思い知らされることだろう。いくら初恋の女性の娘の力になりたかったとは言え、早くも後悔しはじめているアゼルだった。
***
翌朝、アゼルたち四人は用意を済ませて森へと入った。
「魔竜がいるのは、《瘴気の森》だと言ったよな? 確かに、《瘴気の森》には魔竜が眠っていると言われるが、なぜ王妃は魔竜の気配なんて感じることができるんだ?」
アゼルが、王命とやらについて聞いた時から感じていた疑問を口にした。
「星見がそう言ったそうだ。間もなく魔竜が眠りから醒め暴れ回ると。そうならないためには、寝起きを叩くしかない、とな」
ナーシェスが面白くもなさそうに答えた。彼は王妃だけでなく、王妃がいずこよりか連れて来た星見、レイハールのことも嫌っていたからだ。
「寝起きって、そりゃ多少は動きも鈍いかもしれないが、相手は魔竜だぞ? その程度でほんとに倒せるのか?」
魔竜と戦ったことのあるアゼルには到底信じられなかった。
「俺に言われても知るかよ」
「ルティのお父上は魔竜に対峙したことがあるんだよね?」
アゼルを含むいわゆる《七騎士》が魔竜を撃退したのは、十五年前の話だ。ユフィはまだ生まれていなかったが、身近な英雄譚として、人々の話題に上ることも多い。話題が《七騎士》に及んでアゼルはぎょっとしたが、高名な《魔剣の騎士》アゼリオンと無名の薬師アゼルを結びつけた者はいなかった。
「ええ。《近衛騎士》総勢七人がかりでなんとか撃退したらしいけど、結局倒すことは出来なかったし、この話をするたびに、父はもう二度と戦いたくないって震えていたわ」
ルティの父は元《銀槍の騎士》、リュードだ。リュードは数年前に《近衛騎士》の任を辞し、今は王都レムルに道場を開いて槍術を教えている。当時四十代半ばだった彼は、公には体力の衰えを理由にその任を辞して後進の指導にあたることにしたと言われているが、噂によれば娘のルティに槍の腕で抜かれたことが原因とも言われていた。
アゼルは、無論リュードとは旧知の仲であるが、《近衛騎士》を務める間にルティと会ったことはなかった。《七騎士》の中で群を抜いて若く、また、強かった彼は、他の《近衛騎士》たちとほとんど私的な交遊がなかったのだ。
魔竜がいると言われている《瘴気の森》は、カルネアの森の最奥だ。カルネの街からは《騎士》の脚でもたっぷり半日はかかる。アゼルの脚ならもう少しかかるだろう。彼は自分が《騎士》であることを伏せていた。それを言ってしまえば、他の三人についていけないことがより恥ずかしくなるからだ。魔術を使えばついていくことくらいはできるだろうが、常時、魔術による強化状態ではいられないし、説明するのも面倒だ。《騎士》でないと思っている者を連れていく以上、ルティでさえアゼルの足の遅さに文句を言わなかった。
カルネアの森はいつもと同じように見えた。動物たちの姿も見え、少なくとも魔獣の暴れていた昨日よりは平和だ。二刻ほど進むと、徐々に森が深く、暗くなってきた。禁域に近づいてきたのだ。
「暗いな」
疲労感から多少陰鬱な気分になって、アゼルがため息を漏らした。
「あんたの性格ほどじゃないわ」
ルティが毒吐く。合わせてやっているんだから文句を言うなと言いたげだ。
「人に迷惑がかからない分、凶暴よりは根暗の方がましだろう」
アゼルが憮然として応える。
「立派に迷惑かけたでしょ、このむっつりスケベ!」
「二人とも、言い争いは止めて。そろそろ《瘴気の森》のようよ」
ユフィがたしなめた。これではどちらが年上かわからない。二人は渋々舌戦を中断した。
確かに、ユフィの言うとおりだった。急に辺りの雰囲気が変化する。生い茂る木々や草の量も増え、進むのも難しくなる。いよいよ《瘴気の森》に入ったのだろう。
「森のどの辺りに魔竜がいるかは聞いてないんだよな?」
アゼルが確認する。ユフィは頷いた。
アゼルが魔竜と戦った時、魔竜は自ら森の外へ出て王都レムルを襲った。そのためアゼルも、《瘴気の森》の中へ足を踏み入れるのは初めてであった。四人は獣道をかき分けるように歩いていく。先頭はナーシェス、次がユフィで、アゼル、ルティと続く。
「ちょっとあんた、さっきから何してるのよ」
時折、太い木の幹を短剣で傷つけるアゼルに、ルティが問うた。
「何って、目印を付けているに決まってるだろ。これだけ深い森だ、迷ったら、出られなくなるぞ」
おぉー、と軽く歓声を上げて、ルティとユフィが手を打った。
「流石は薬師殿、抜け目がない」
「いや、極めて常識的な行動なんだが……」
ユフィは褒めてくれたが、アゼルは複雑な気分になった。確かに、自分がまだ《近衛騎士》だった頃は、こんなことを考えもしなかった。こういうことは、リュードやタロスの役回りだった筈だ。 年を取った、ということなのだろう。無論、この場合は老いたということではなく、年相応の世知を身に付けたということなのだが、それを手放しに喜べるような境地には、残念ながらアゼルは至れなかった。
(まだまだ若いつもりなんだがな)
何も考えずに森の中を突き進んで行くナーシェス達を眩しい思いで見ながら、アゼルは苦笑した。
《瘴気の森》を半刻ほど進んだところで、四人はやや開けた場所に出た。そこは明らかに、意図的に木々を切り拓いた場所だった。その中心には、石造りの小さな祠のようなものがある。魔竜の住処には見えないが、仮に人が魔竜を祀っているとすれば、このような場所なのではないか、そう思わせるような雰囲気だ。
「いかにも怪しい場所だな」
アゼルが皆の気持ちを代弁した。
「ええ、しかし、魔竜が眠るにはこの祠では小さ過ぎます」
ユフィが応える。《七騎士》が撃退したとされる魔竜は、人の身長の三倍ほどの体高に、尻尾まで入れれば人の身長の五倍ほどの体長だったとされるからだ。無論、実物を見たことのあるアゼルも同意見だった。
「それでも、何かしら手掛かりはあるんじゃないか。魔竜を呼び出す魔法の道具とか」
ナーシェスが祠に近づいた。三人も続く。祠は大人が何とか二、三人入れそうな程度の空洞になっており、中には同じく石造りの柩のようなものが安置されている。
「何かあるとしたらあの中ね」
柩を調べようと、ルティが祠に入ろうとした、その時だった。
「我が眠りを妨げるか、愚かなる人間よ」
独特な抑揚を持った声は、明らかに柩の中から発されたものだった。ルティは咄嗟に祠から飛び退いた。四人が見守る中、柩がゆっくりと開く。柩から身を起こしたのは銀色に輝く髪の、まだ幼い少女であった。少女はやはり銀色に煌めく硬質的な何かを身に纏い、気だるげに四人を見詰めている。
「……鱗? まさか、お前が魔竜なのか?」
アゼルが驚きの声を上げる。
少なくとも、彼が十五年前に対峙した魔竜は、こんな少女の姿ではなかった。英雄譚の言葉を借りれば、獰猛な顎と力に満ち溢れた巨大な体躯、空を裂くように羽ばたく強靭な翼と、深い知性を湛えた深紅の瞳を持つ、美しい銀の魔竜……それこそが彼の戦ったものであった。こんな年端もいかぬ童では、決してない。
「我を魔竜などと呼ぶは、うぬら人のみ。我は我であってその余ではない」
「じゃあ、本当にお前が人に害悪をもたらす魔竜だというのか?」
ナーシェスの問いに、少女、いや魔竜と呼ぶべきか、は侮蔑の視線を投げた。
「私たちは魔竜という言葉以外に貴女を表す言葉を知りません。もし他の呼び名があるのなら教えてもらえませんか」
ユフィが礼儀正しく尋ねると、魔竜は少し考えて、答えた。
「名というもの自体、我にとっては無意味。呼びたければ何とでも好きに呼ぶがよい」
「そうですか。では魔竜と呼ばせていただきます。私たちは人に仇なす魔竜を退治しにきました。貴女には、私たちに倒される理由がありますか?」
目の前の少女は、少なくとも邪悪な存在には見えなかった。
「うぬら人の理由など、我が知る由もあるまい。愚かにも我を倒すと言うのであれば、やって見るがよい。以前うぬらに負わされた傷はまだ癒えぬが、そう容易く屠れるとは思わぬことだ」
言うが早いか、魔竜の回りを大気が渦巻いた。雛が鳥へと急速に成長するように、少女の体が巨大な竜へと変貌する。そうはさせじと、ルティが槍を投じたが、竜巻とも言うべき風に弾き飛ばされてしまった。
数瞬の後、四人の前には見紛ごうことなき魔竜の姿があった。それはまさしく、アゼルの記憶にある魔竜そのものだった。
「結局、やるしかないわけか」
その神々しいまでの恐ろしさに武者震いしながらも、ナーシェスが自慢の赤盾を構え直した。
「本当に、これでいいの?」
ユフィが疑問を投げる。少女の姿でなくなった今でも、彼女の目には、魔竜は凶悪にも邪悪にも見えない。
「ぼおっとするな、ユフィ!」
迷いを見せたユフィに、魔竜が容赦なく襲いかかる。繰り出された鋭利な爪を、ユフィを突き飛ばすようにしてナーシェスが盾で防いだ。同時に、衝撃を逃がすように後ろに跳ぶ。
「喰らいなさい!」
ルティが魔竜の腕目掛けて槍を繰り出す。父譲りの燐銀の槍は、魔竜の鱗を剥いでその身を抉ったが、浅い。思った以上の堅さに、ルティが舌打ちした。
「せいっ、やぁ!」
戦う覚悟を決めたユフィが鋭く息を吐いて連撃を浴びせる。流れるような美しい動きであったが、斬撃は魔竜の鱗に易々と弾かれ、瑕一つつけられたようには見えない。
(不味いな)
アゼルは手にした短剣に魔力を込める時機を測りながら舌打ちした。どう考えても火力不足だ。アゼルの見たところ、魔竜の動きは前に戦った時と比べて鈍いくらいだ。前回は七人がかりで、まず攻撃を当てるまでにかなり苦労したからだ。あの時、魔竜はその身に風を纏っていた。アゼルたちの攻撃を阻んだその風の結界は今は張られていない。傷が癒えていないというのは、そういうことなのだろう。それなのに、今は攻撃を当てているのに大した傷を与えられていない。
「うりゃあああ!」
素早い突進から、ルティが全体重を槍に乗せる。速さ、威力とも余程の《騎士》でも受けきれないほどの一撃が、四つ脚で立つ魔竜の脇腹に突き刺さる。魔竜の咆哮が耳をつんざく、槍先は確かに魔竜に刺さったが、次の瞬間、ルティは魔竜が無造作に振るった前肢に弾き飛ばされてしまった。
「ここだ!」
ナーシェスが突進し、魔竜に刺さったままの槍の柄に盾で体当たりを仕掛ける。槍がわずかに深く魔竜の身に沈む。
「これで、倒れて!」
ユフィがナーシェスの盾を踏み台に飛び上がり、苦痛に呻く魔竜の眉間に剣を突き立てる。ユフィの剣は魔竜の額に浅からぬ傷をつけたが……。
「危ない!」
アゼルが叫んだ瞬間、ユフィは魔竜の吐き出す氷嵐のような息吹に吹き飛ばされてしまった。
「ユフィ!」
アゼルとナーシェスが異口同音に叫ぶ。アゼルはユフィに駆け寄った。氷嵐に引き裂かれ、ユフィの軽鎧はズタボロだ。ユフィ自身も無数の裂傷を負っている。どの傷も、決して浅くない。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか……」
「よかった。これを飲んで」
アゼルが回復薬をユフィに飲ませた。
「ありがとうございます。しかし、そんなことより、薬師殿だけでも逃げてください」
ユフィが立ち上がろうとする。回復薬のおかげで多少傷を回復したとは言え、どう見ても戦える状態ではない。
「馬鹿、そんな体で戦えるかよ。おい、薬師! ユフィを連れてとっとと逃げろ!」
続けてユフィを狙った魔竜の息吹を何とか盾で防ぎながらナーシェスが叫ぶ。
「あたしたちだけなら何とでもなるんだから、ユフィをお願い、早く!」
ルティも、魔竜に突き刺さったままの槍を必死に引き抜こうとしながら急かす。
そんな二人の様子を、どこか他人事のように感じるほど、アゼルは冷静だった。客観的に状況を分析する。どう考えても、ユフィを連れて逃げるという選択肢はなかった。
「やれやれ。倒してください、の間違いだろ?」
アゼルは地面に落ちていたユフィの剣を手に取り、軽く振った。ユフィの剣は、その刃に刻まれた紋様だけでなく、重さや形状、手にした感じそのものまで、記憶の中にあるアゼルの剣と同じだった。
「おい、血迷ったか!? さっさと逃げろって!」
ナーシェスが声を荒らげる。アゼルの頭上では、アゼルの意図を察したリルルも抗議している。アゼルはそれらを無視して精神を集中した。
「堕天の軍靴よ、鬼神の手甲よ、そして断罪の魔剣よ……宿れ!」
高らかに命じる。淡い光がアゼルの脚と腕と剣を取り巻く。
「薬師殿、一体、何を?」
疑問を口にしながらも、ユフィは漠然と理解していた。これこそが、この剣の正しい使い方なのだと。
アゼルはゆっくりと、そして無謀に見えるほど真っ直ぐに、魔竜に向かって歩を進めた。魔竜は新たな獲物に向かって右前肢を振り上げ、振りおろした。鋭い爪がアゼルを襲う。その瞬間、アゼルは魔竜の左側面に回り込みながら魔竜の胴体に斬撃を浴びせた。疾い! それは紛れもなく、手垂れの《騎士》の動きだった。アゼルの魔剣は深々と魔竜の皮膚を斬り裂き、傷口から大量の血が噴き出す。魔竜は苦痛の叫びを上げながらも左前肢でアゼルを叩き潰そうとする。アゼルは余裕をもって魔竜の右側面に回り込んだ。またしてもアゼルの魔剣が魔竜を斬り裂く。
「な、何よ、アイツただの変態じゃなかったの!?」
「す、すごい……これは本当に薬師殿なのか?」
ルティとユフィが呆気に取られている。アゼルは何も、他の三人よりも速く動いているわけではなかった。むしろ純粋な速度だけで言えば一番遅い。ただ、アゼルは魔竜がどう動くのか、知っているのだ。
(左前肢をかわせば、次は尾!)
アゼルが大きく後ろへ跳ぶ。すると魔竜の尾がそれまでアゼルのいた空間を薙ぎ払った。前回魔竜と戦った際の二刻にも及ぶ戦いで、アゼルは魔竜の動きの癖を見切っていたのだ。
(顔を軽く左右に振った。氷の息吹が、来る!)
「焔の壁よ、遮れ!」
アゼルが虚空に剣を振ると、そこに燃え盛る炎が高くそびえ立った。息吹を避けることは容易かったが、後ろにいるユフィが巻き込まれることを恐れたのだ。
「止めだ!」
アゼルは炎が氷嵐の息吹を防いでいる間に側面から一気に間合いを詰め、魔竜の喉を貫いた。甲高い悲鳴をあげて、魔竜が地に伏した。
「やった!」
ルティが歓声をあげた。しかし……。
魔竜はまだ死んではいなかった。力を失い、再び少女の姿に戻ったのだ。少女は、当然と言うべきか傷だらけで、最早何もできそうにない。
四人は言葉を失った。倒すだけなら、竜の姿のままでいてくれた方が遥かにましだった。このいたいけな少女に止めを刺すことなど、できそうになかったからだ。
「その業……お主もしやあの時の……」
そんな四人の葛藤を無視して、魔竜がアゼルに語りかけた。
「ああ。顔ではわからなかったんだな」
アゼルには魔竜が何を言いたいかが理解できた。魔竜は、人を顔で個体識別できないようだが、魔力を用いて武器や自分の体を強化するという発想は魔竜にとって珍しく、記憶に残っているのだろう。事実、こんな戦い方をする人間を、アゼルは自分以外に知らない。
「一度ならず二度までも、同じ業にやられるとはな。愚かな人間よ、我を殺し、世の理を曲げてまで魔族共をこの世に召喚したくば、そうするがよい」
魔竜の言葉に、四人は驚愕した。
「わ、私たちは魔族召喚など目論んではいません!」
即座にユフィが否定する。
「解せぬ。なら何故我を殺そうとする?」
「それは、魔竜が人に危害を加えるから……」
「ただ此処で寝ておるだけで、我は人に害をなすのか?」
ユフィが口ごもった。確かに、突き詰めていけば魔竜を殺す理由は、ユフィには王妃の告げた「王命」しかなかった。
「確かに、今は寝ていただけかも知れないが、十五年前はお前は人間の街を襲ったじゃないか」
アゼルが記憶を頼りに助け船をだす。あの時は確かに、《七騎士》は魔竜襲来の報を受けてから迎え討った。
「当然であろう。世の理を歪め、異界より魔族を迎えんとする者があれば、それを滅ぼすは我の役目」
「つまり、僕たちは、知らない内に魔族を召喚しようとした奴の手助けをしていたと言うのか……」
信じられない思いで、アゼルが呻いた。魔竜撃退で英雄視されて浮かれていた当時の愚かな自分が恨めしい。阻止すべきは魔竜ではなく、その後に前王妃エフィーリアを殺害した魔族であり、その召喚者であったのに。
「待てよ、俺達は王妃の命令でここに来たんだぞ? 王妃が魔族召喚を企んでいるとでも言うのか?」
ナーシェスが疑問を口にする。誰も答えることはできなかった。現王妃シュリは既に病床の王に代わって王国の実権をほぼ掌握しており、自分の王国に魔族を招き入れて混乱を起こすことに実益があるとは考えにくいのだ。
「愚かな人間の誰が、何を企んでおるかなど、我は知らぬ。我に言えることは、うぬらのせいで我はまた暫くは傷を癒すために眠らねばならぬと言うことだけだ。うぬらが魔族と関わりないと言うのであれば、なおのこと己が愚行を悔やむがよい」
言い残して、魔竜は再び祠へと戻っていった。四人はそれを見送るしかなかった。




