第二章 ある王女の密命
「それは本当に王命なのですか」
信じられぬ思いで、ユフィーリアは目の前の女性――義母、とは呼びたくなかった――に問い質した。
「勿論ですとも。瘴気の森に現れた魔竜の気配を、王は酷く心配しておられます。王女とは言え、あなたは歴とした《剣の騎士》。民のために剣を振るうは当然でしょう。しかし、ものものしく兵を出しては、民たちに徒に不安を与えます。王は、単騎で速やかに魔竜を排せよと仰せですわ」
嘲るような笑みを浮かべて、王妃シュリが言い捨てる。
「しかし、ユフィ、いえ、王女はまだ《剣の騎士》に叙されたばかり。《騎士》としてもまだ未熟です。魔竜相手に単騎で挑むなど、狂気の沙汰。せめて、俺が一緒に……」
「出過ぎた真似は控えなさい、ナーシェス。今、王都に残っている四人の近衛騎士から二人も外に出すなど、できるわけがない。《赤楯の騎士》が守るべきは、未熟な《騎士》か、王や妾か。考えずともわかることでしょう」
声高に宣言され、ナーシェスは口を噤んだ。が、到底納得できるはずもない。その「未熟な《騎士》」は、彼の護るべき王女でもあるのだ。ナーシェスは、もともと釣り目がちな目を一層釣り上げて、王妃を睨みつけた。
謁見の間には、ユフィとナーシェスの他は、護衛の下級兵士しかおらず、「病床の王に代わって王命を伝える」王妃に意見できる者はいない。《聖鎧の騎士》タロスがこの場にいれば、二人の味方をしてくれただろうが、彼は長く南方の砦の警護にあたっており、この場にはいない。
「わが身可愛さに《剣の騎士》としての責務を果たさず、魔竜を放置するというなら、それもいいでしょう。但し、王が回復なさったその時には、卑怯な振舞に相応の処罰があることを覚悟しておきなさい」
勝ち誇ったかのような王妃の物言いにも、ユフィは怯まなかった。
「王命とあらば何の否やもございません。ただ、王権に対する組織だった敵対行動も見られないこの時期に、魔竜相手に未熟な妖精騎士を一騎のみ派遣するという判断が、いかにも浅慮で、王のものとはとても思えなかっただけです」
ユフィーリアは毅然とした態度で言い放った。その口調にも表情にも、十四の少女の幼さはない。そこには、王族としての、そして妖精騎士としての、神々しいまでの威厳があった。その威に打たれたか、王妃の反論は鈍かった。
「そなた、王命を愚弄するとは何と無礼な……」
「王命が理に適っていなければ、それを諭すのも臣下の務めです。もっとも、愚かな王命をただ伝えることしかできない方に何を言っても無益かも知れませんが。では、準備がありますので失礼します」
不毛な舌戦を打ち切り、ユフィは苦り切った顔でユフィを睨みつけている王妃の前を辞した。
「おい、ユフィ、本当に受けるつもりか? どう考えても、これはあの陰険ババアが仕組んだ罠だぞ」
ババア、とナーシェスは言ったが、王妃シュリはまだ三十になるかならぬかだ。十八のナーシェスから見ても、それほど老けて見えるわけではなく、それどころか、五十を過ぎた王の妃としては十分に若い。しかも、外見も十分以上に美しいのだ。それだけに、王の寵愛をかさにきて、やりたい放題だった。特に、子を宿してからというもの、ユフィに対する王妃の虐待には、目に余るものがあった。
「わかっているわ。でも、仕方ないでしょ。魔竜を放っておけないのも、事実なんだし」
魔竜、それは魔獣の中でも最上位の存在だ。基本的に、人間よりも遙かに高い知性を有し、自在に魔術を操る。人語を操るものが多いのも、この種族だ。加えて言えば、魔術を操る者を《魔術師》と呼ぶのも、人間は魔竜から魔術を学んだという言い伝えがあるからだ。
幸い、魔竜の個体数は多くなく、人の住む場所に姿を見せることは稀であったが、一度姿を現して人間に敵対すれば、国が揺るぎかねないほどの甚大な被害を及ぼすのが常であった。
「だからといって、ユフィ一人が行ったって、どうにかなるもんでもないだろ」
魔竜相手となれば、現在、王国最強とも言われる《赤楯の騎士》、ナーシェスでも、自分一人でどうにかできるとは到底思えないのだ。
王が病で倒れ、王妃が国政に口を出し始めて以降、王に仕える優秀な妖精騎士の多くは野に下った。
最盛期には七人を数えた王国最強の近衛騎士も、今では四人しかおらず、しかもそのうちの一人が、王妃の嫌がらせの一環でつい先日入団したばかりの未熟なユフィなのである。
残る2人は、熟練の《騎士》ながら老齢のタロスと、その優れた知性故に《羽兜の騎士》を拝命したものの、戦闘経験はほとんどない十六の少女、ナリスターシャである。
確かにナーシェスは、この面々の中では最強であった。しかし、自分よりも強い《騎士》が王宮の外にはいくらでもいるのに、王国最強などと言われても滑稽なだけだと、ナーシェスは考えていた。
「カルネには狩人も多いし、その中には《騎士》だっているでしょ。いざとなったら彼らと共同戦線を張るわ」
自分の力量をわきまえ、状況をしっかりと把握した上で具体的な対策を練る力を、十四のユフィは既に身につけていた。それが、彼女を嫌う王妃による虐待の賜物なのだとしたら、皮肉なものだ。
「ったく、こんな無理難題を押し付けられたのにその落ち着き、可愛くねぇなぁ」
「あなたが可愛さを求めているのは、王女としてのわたし? それとも、《騎士》としてのわたし?」
ユフィが悪戯っぽく笑う。
「俺の好きな、ただの十四の少女としてのユフィだよ」
不器用でぶっきらぼうなナーシェスとしては精一杯の口説き文句だったのだが、その言葉に照れるでもなく、困惑するでもなく、ユフィは少し寂しげに微笑んだ。それこそ、十四には見えない、大人びた微笑だった。
(そんなわたしがまだどこかにいるといいな)
ユフィの心の声を聞いた気がして、ナーシェスはいたたまれなくなった。
「決めた。やっぱ俺、ついてくわ」
「そんな、許されるわけないでしょ」
まがりなりにも「王命」である。背けば、「陰険ババア」がどんな嫌がらせをしてくるかわかったものではない。嫌がらせだけで済めばいいが、規律違反として刑罰を科される可能性だって十分にあるのだ。
「許しなんていらねぇよ。王国最強のこの《赤楯の騎士》を、首にできるものならしてみろってんだ。それに、もし首になっても、ユフィが女王になれば復職させてくれるだろ」
「王位を継げるかはわからないよ」
ナーシェスの楽観にユフィが苦笑する。
シュリが王位をユフィに渡すまいとしていることは明白だ。来年生まれる予定の自分の子を王にして、実権を握ろうとするのか、自分が女王として君臨しようとしているのかはわからないが。
「あの陰険ババが王権を欲しいままにするなら、逆に宮仕えなんてしたくねぇよ」
「もぅ、まったく」
ユフィの心配を軽く笑い飛ばしたナーシェスに、呆れたように肩を竦めて見せたが、嬉しい顔は隠せなかった。強がって見せても、やはり一人で魔竜に挑むのは不安であったのだ。
そんなユフィを見て、ナーシェスも頬を緩めた。彼の好きな十四の少女の存在を、彼は確かに感じたのだ。
ナーシェスがユフィとともに王宮を出たところで、咎める者も追う者もないだろう。二人は手早く旅支度を整え、半刻の後には馬上の人となった。
***
王都レムルから要塞都市カルネまでは馬で四日ほどの道のりだ。道中、特に問題もなく二人はカルネに着くことができた。二人はまず情報を集めることにした。
魔竜が出たのであれば大騒ぎになっているはずだが、そんな気配はない。カルネは、大都市に相応しい活気に満ちているように見える。ユフィは、とりあえず目についた衛兵に話かけた。
「こんにちは。お勤めご苦労様です」
「こんにちは。狩人の方ですか?」
衛兵もにこやかに答えた。ユフィもナーシェスも、一見して上物の特注品と分かる瀟洒な鎧姿である。戦いを生業とすることは容易に想像がついたはずだが、ユフィの幼さを疑問に思い、確認したのだろう。カルネを警護する衛兵は、都市に直接雇われた自衛のための兵力である。国直属の兵ではないため、彼がユフィやナーシェスの顔を知らなくても不思議はない。
「そうです。まだまだ未熟ですが……修行がてらに魔獣退治に来たのですが、魔獣たちの様子はどうですか」
とりあえず、魔竜の話題には触れずに聞いてみる。ユフィは、自分よりも立場が下の者に対しても、自然と丁寧な言葉づかいをしてしまう。王女という地位にありながら、幼い頃から不条理な憎悪を受け続けたせいだろう。彼女は人に嫌われるのが怖いのだ。おかげで、彼女を嫌う人はほとんどいない。例外は彼女の知るかぎり、今のところ一人だけだ。
「最近、あまり出ていなかったんですが、今朝から一匹暴れているようです。狩人が何人か討伐に向かいましたが、《騎士》はいないらしく、まだ成果は上がっていないようですね」
衛兵の口ぶりでは、現われたのはただの魔獣で、魔竜ではないようだ。
「なるほど。ありがとうございます。ついでと言っては何ですが、この辺りにどこかいい宿はありませんか」
「ああ、そういうことでしたらいい処がありますよ。腕のいい薬師が住みこんでいて、質のいい回復薬を買えるみたいです。確か名前は……」
***
「いらっしゃいませぇ!」
衛兵に教えられた宿屋でユフィとナーシェスを迎えたのは、底抜けに明るい声だった。
「お食事ですか、お泊りです……か!?」
客を出迎えようと入り口まで駆けてきた店の少女、フィリスは、二人、特にナーシェスを見て、一瞬凍りついたかのように固まった。そして、フィリスの表情が一変した。営業的な微笑から恋する乙女の顔へ、その変化はまさしく豹変と呼ぶに相応しかった。
「きゃー、カッコイイですねお客様! おいくつですか? 彼女とかいませんよね? お連れの方は妹さんか何かですよね? 宿屋の看板娘と恋に落ちるとか憧れますよね!?」
一気にまくし立てる。
長身で均整の取れた体躯、煌めくような情熱的な赤毛に、精悍な印象を与える釣り目がちなブルーアイ。白地に赤をあしらった軽鎧姿は凛々しいの一言に尽きる。フィリスはこれまで、これほどカッコイイ同世代の男を見たことがなかった。
側で見ていたユフィは呆気に取られていた。自分が年の割に冷めていることはわかっていたつもりだが、 世の少女というのはこんなにも熱く、生気に満ちているものなのだろうか。
頬を真っ赤に染め、目にいくつもの星を輝やかせて、期待に満ちた瞳で返答を待つフィリスに、しかし、ナーシェスは冷たく言い放った。
「ウザい、黙れ」
凍り付くフィリス。さすがのユフィも、ナーシェスの無礼な一言を咎めることもできなかった。なんとか平静を装って、要件を伝える。
「えっと、宿をとりたいのですが。できれば、別室で」
ユフィの言葉で、フィリスは自分を取り戻したようだ。別室、つまり二人は恋人同士ではない。まだ自分にも商機もとい勝機はある、そんな風に素早く計算したのだろう。冷たい一言は、彼女を傷つけるどころか、ときめかせただけであった。
「すぐお部屋にご案内致します」
できる限り清楚な風を装って、フィリスが言う。百八十度の態度の変化に、流石のナーシェスも二の句を継げなかった。
「あと、できれば回復薬を譲って欲しいのですが」
ユフィが付け加える。
「申し訳ございません。回復薬は今品切れでして……薬師のアゼルさんが今薬草を採りに行っているので、夜には入荷できると思うのですが……」
「魔獣が出ているのに、わざわざ薬草を採りにいったのか? バカなのか、その薬師は」
呆れたようにナーシェスが言う。
「え、でも、魔獣が出ているからこそ、売上を伸ばす好機ですし……」
「売上が増えたって、死んだら元も子もないだろ。大体、出る前に十分に採っておいて、出た時に捌けばいいだけの話だ。魔獣を舐めているとしか思えないな」
「回復薬を作れるということは、魔力を扱えるんだから、魔術も使えるんじゃないの?」
まだ魔獣と戦った経験のないユフィが言う。
「魔獣と対峙して見ればわかるさ。仮に威力的には魔獣を殺せるだけの魔術を使えたとしても、詠唱時間を稼ぐのはとても無理だぜ。魔獣の個体にも依るだろうが……基本、《魔術師》の魔術は、楯となる《騎士》がいて初めて活きるんだ。で、そのバカは、護ってくれそうな誰かと一緒に行ったのか」
「いえ……一人でした」
今になって、自分がアゼルに頼んだことの残酷さを知って、フィリスは蒼ざめた。
「どうしよう、わたしが無理を言ったばっかりに……」
「お前、最低だな。大方、代理販売で小遣い稼いでいたんだろうが、小銭欲しさに男を死地に送るなよ。それに乗せられる男も男だが」
ナーシェスの言葉にフィリスは蒼白になった。今にも泣き出しそうで、ユフィは見ていられなくなった。
「とりあえず、部屋に案内してくれませんか。その後でわたしたちが彼を迎えにいきましょう」
「ほ、本当ですか!?」
フィリスの顔がばっと明るくなる。ユフィは自分よりも年上であろうこの少女を可愛いと思った。
「ええ。わたしたちとしても、彼の作る回復薬は是非欲しいですし」
やれやれ、とナーシェスが肩を竦めたが反対はしなかった。彼は基本的に面倒なことが嫌いだったが、ユフィのお人好しなところは、嫌いではなかった。
旅装を解いた二人は、探索と魔獣退治に最低限必要なものだけを持って街を出た。深い森では馬は使えないため、徒歩だ。
以前、アゼルについて薬草をとりにいったことがあるというフィリスが地図をかいてくれたため、迷わずには済みそうだ。しかし、日は既に傾きかけている。
「急ぐぞ」
ユフィは無言で頷いた。ナーシェスは当然として、ユフィの身体能力も《騎士》としてかなり高い。確かに実戦経験には乏しいが、王女でありながら《近衛騎士》に叙されるだけの天稟は、確かに持っているのだ。
それがわかるからこそ、ナーシェスは、ユフィを危険な目に遭わせたくないと思う反面、彼女を鍛えてみたいとも思うのだ。もっとも、魔竜相手では鍛えるなどと言っている余裕はないかも知れないが……。
複雑な気持ちのまま、ナーシェスは足を速めた。




