第十三章 ある王妃の陰謀
王妃のところに乗り込む……言うのは簡単だが、勿論容易いことではない。
「流石に正面からはまずいでしょう」
兵舎を出て、真っ直ぐ王宮に向かおうとするユフィをアゼルが制止した。
「どうしてですか」
「あくまで王妃が犯人と仮定して話を進めますが、魔族を送り込んだ以上、王妃はユフィ暗殺が失敗するとは思っていないはずです。正面からは入れば、警護する兵の相手もしなければなりませんし、俺たちが着くよりも早く兵が王妃に報告したら、王妃の油断を突けなくなります」
「それもそうですね。しかし、では、どうやって……」
「失礼します」
アゼルは恭しく一礼した後で、先刻ルティに対してしたように、ユフィを抱き上げた。予測していたらしく、ユフィは取り乱したりはしなかった。まっすぐにアゼルを見つめてどこか楽しそうに微笑んでいる。
「黒鴉の翼よ!」
やや気恥ずかしくなって、アゼルは早々に空へ駆け上がった。
「赤子のときも、こうして貴方に抱かれて飛んだのですよね。何度も乳母に聞かされたので、覚えている気がします」
ユフィがうっとりと浮遊感に酔っている。本当は地面に落ちる寸前で拾い上げただけなのだが、ユフィの夢を壊さないようにアゼルは沈黙を保った。寧ろ、アゼルは別のことを思い出していた。こうして王妃の私室の窓辺に降り立つのは、二度目なのだ。
王妃の私室は明々と灯りが点っている。部屋で起きているのは明らかと思われた。逸るユフィが窓に手をかけようとするのをアゼルが慌てて止める。
「多分閂が掛かっています。外さないと」
小声で囁いて、アゼルが窓枠から伸びた紐をそっと引いて閂を外した。内からも外からも外せる閂だ。
「何故そんなことを知っているのですか?」
ユフィも小声で驚きの声を挙げたが、アゼルは聞こえない振りをした。
呼吸を整え、アゼルはユフィに目配せをすると、一気に大窓を開いて中に踏み入った。軽く睦みあっていた一組の男女が驚いて二人を見やる。女性の方は、アゼルにも見覚えがあった。侍女から王妃にまで上り詰めた女性、シュリである。
「ぶ、無礼な……」
驚きと怒りに声を震わせて、シュリがなんとかその一言を発する。男の方は凍てつくような冷笑を浮かべたままで黙している。
「魔族を使って王女を暗殺しようとするのは無礼じゃないのか?」
言いながら、アゼルが魔族の首をシュリに放り投げた。シュリはそれを平然と手で払いのけアゼルに向かって艶やかな笑みを浮かべた。
国王を虜にしたと言うだけあって、確かにシュリは美しい顔立ちをしている。しかし、その強過ぎる瞳の光は大半の男を畏縮させてしまうと思われた。アゼルの記憶にある彼女は有能な侍女であったが、容姿はというと思い出せない。整ってはいたと思うが、さしたる特徴もなかったのだ。永年の妄執に満ちた爛れた生活の末、シュリはこの身震いするほどの妖艶さを身につけたのだろう。
「ああ、またお前が邪魔をするんだね、アゼリオン」
言い逃れをされることを怖れていたアゼルが拍子抜けするほどあっさりと、シュリは二回の魔族騒ぎが自身の仕組んだことであると匂わせた。
「また、か。今回のみならず前回も魔族を召喚したのはお前だと素直に認めるんだな?」
「嘘を吐く意味もないでしょう。腹を割って話あえば、貴方も妾に付くかもしれないですし」
急襲によって意表を突いたはずが、既にシュリは余裕を取り戻している。傍に控える男も、不気味なほどに何も言わない。
「アゼリオン殿は私の《騎士》です。貴女の味方になるなどありえません!」
ユフィが毅然として言い切ったが、そんな当然のことを口にせずにはいられないほど、ユフィがシュリの言葉に驚いたようにも見えた。
「その通りだ。俺がお前に付くなど……」
「あら、お前は妾に感謝していないとでも言うのですか?」
嘲るように、シュリがアゼルの言葉を遮る。
「感謝、だと?」
「ええ。覚えていませんか? あの夜のことを」
「そうか、お前はあの時の……」
言われて初めて、アゼルは思い出した。
シュリはただの侍女ではない。エフィが魔族に殺された夜、側に侍っていたのもシュリであったし、あの過ちの夜、エフィとの密会を手引きしたのもまた、シュリであったのだ。
「ようやく思い出しましたか? 妾のお陰で、貴方は王妃といい思いをして、そんなに可愛い娘まで持つことができたのだということを」
「な、一体何を……」
突然の、そして衝撃の告白に、あまりに驚愕してしまったのだろう、ユフィがそれ以上言葉を継げない。驚いたのはユフィだけではなく、アゼルも同様であったが、意表を突かれたというよりは寧ろ、秘めた悪事を暴露されたような、そんな驚きであった。アゼルはその可能性を認識しながらも、あり得ないと決めつけてできるだけ考えないようにしていたからである。ただ、その可能性をこうして明確な言葉にされて、アゼルはシュリの底知れぬ悪意を感じずにはいられなかった。
「……アゼル殿、貴方は、私の……父、なのですか?」
信じられない様子でユフィが尋ねる。アゼルは否定も肯定もしなかった。いや、できなかった。
「その可能性があることは否定しないさ。だが、何故断言できる?」
アゼルは内心の動揺を必死で隠そうとしたが……完全には成功しなかった。訊ねはしたものの、続きなど聞きたくない。寧ろ、できることならこの場から逃げ出したかった。
「妾はよく知っているの。あの女が十五で王妃となってから死ぬまでの三年間に、あの好色な国王が、どれほど頻繁にあの女に伽を命じたかを、ね。なのに不思議ね。あの女にできた子供はたった一人で、その時期がたった一度きりのあなたとの不貞と重なるなんて。偶然にしては出来過ぎだと思わない? ついでに言えば、国王に伽を命じられた他の女も、誰一人として子を授かっていないわね」
「それでも、あくまで可能性に過ぎないさ。確証があるとは到底言えないな」
アゼルは笑い飛ばそうとしたが、それも上手くいかなかった。
「でも、否定できる要素もないでしょう?」
「いや、お前のお腹の子どもは王の子なのだろう? 王は子をなすことが出来なかったというお前の話と矛盾するぞ」
お腹の子供は、或いは後ろに控える男との子ではないのか……その可能性を示唆するつもりで言ったのだが、シュリは全く動じなかった。
「それは勿論、妾の献身的なお世話によるものよ。古今東西、あらゆる劇薬を用いたからね。その結果、命を縮めてしまったかもしれないけれど、臣下に妻を寝とられて出来た子に王位を譲るよりは、命がけで自分の子種を残せてよかったんじゃないかしら」
国王に対して劇薬を用いたことまで、シュリは暴露して見せた。筋が通っていそうな説明に、アゼルは反論に窮した。それは、国王の血を引いていないと宣告されたユフィも同様で、今になって徐々にそのことの恐ろしさを感じ始めているようだった。
「それでも、何の証拠もないことには変わりがない。もっと言えば、お前にエフィと引き合わされたあの夜、エフィと俺の間に何があったかを現に知っている者も俺しかいないんだからな」
やった、やっていないの水掛け論になるのを期待して、アゼルはそう言ったが、シュリは愉しそうに首を振った。
「あの夜何があったかなんて、当然私は知っているわ。わざわざ異国から媚薬まで取り寄せてあの馬鹿なエフィーリアをその気にさせたんですから。貴方に抱かれたいと思いながらその思いを圧し殺して、薬で理性を奪うまで国王に義理立てするなんて、余計な手間をとらせてくれたわ」
愛した女性との秘めた逢瀬も、その女性を失うことになった事件も、すべてこの女に仕組まれたことだったのか。アゼルは怒りと絶望で気が遠くなりそうだった。それでも何とか、シュリの言葉におかしな点がないか、追及する。
「ユフィが俺の子だと思うのなら、なぜそれをエフィが生きている間に暴露しなかった? 魔族を召喚するなどという回りくどいことをしなくても、エフィを王妃の座から引きずり下ろすには、その方が遥かに簡単だったはずだ」
「もちろんその手も考えたわ。そのために貴方に夜這いさせたんだし。頑張って王の耳に入れようとしたけど、残念ながらその前に、家令に握りつぶされたのよ。それが事実でも嘘でも、広めるべきではないってね。家令に逆らえば侍女の職も失うし、何の地位も権力も持たないただの侍女には、それ以上どうすることもできなかったわ」
「それで、魔族を使ってエフィを殺したのか……」
「本当は、王女もろとも殺してしまいたかったのに、貴方のせいで計算が狂ってしまったわね。それがあなたにとって良かったのかはわからないけど」
「どういう意味だ?」
怒りに煮えたぎりながらも、アゼルは問い返さずにはいられなかった。ユフィだけでも助けられたのだ、良かったに決まっている……即座にそう言い返せなかったアゼルの心の闇を、シュリは残酷にも暴いて見せた。
「だって貴方、あの時あの女の言葉に従ってその小娘を助けたことをずっと後悔していたでしょ? その小娘を助けなければ、王妃を助けられたんですもの」
「くっ……」
アゼルは何も言い返せなかった。その後悔は、ユフィに会うまでの間、幾度となくアゼルを苛んできたものであったから。
「アゼル殿……」
そんなアゼルを見て、ユフィは、シュリの言葉が事実であることを悟った。味方だと思っていたアゼルまで自分の生を望んでいなかったことを知り、ユフィの心は深く傷ついたが、シュリの悪意はこれだけに止まらなかった。
「当時は自分の娘とは知らなかったんでしょうし、後悔は仕方ないわよねぇ」
思いがけず、シュリがアゼルに助け舟を出したかのように見えた。しかし、アゼルが言葉を継ぐよりも早く、シュリは言葉を続ける。
「じゃあ、今はどうかしら? 事実を知っても、貴方はちっとも嬉しそうに見えないわね。天涯孤独だったはずの自分に、こんなに可愛い娘がいたと知ったら、普通は嬉しいと思うはずなのだけれど。その小娘が自分の娘だと困る理由でもあるのかしら?」
「何を言って……」
ユフィには決して知られたくない心の闇に触れられて、アゼルは喘いだ。
「そうね、例えば、自分の娘かもしれない少女に、邪な欲望を抱いている、とか」
やはり見透かされていた。ユフィが自分の娘であって欲しくないと、アゼルが思っていた理由を……自分が、ただ一人愛した女性に生き写しのこの少女のことを、どう思っているのか、を。
「やめろ……」
「ふふ、吐露してしまえばいいじゃない。年が自分の半分ほどしかない、しかも、自分の娘かも知れないその少女を、どんな目で見ているのか」
「やめろっ!」
アゼルが声を荒らげた。だが、この女、シュリが、人の心を切り裂くことのできる瞬間を見逃すはずがなかった。
「抱きたいんでしょ……一人の女性として。あの馬鹿なエフィーリアのように」
シュリは残酷にも指摘した。ユフィーリアが自分の娘かも知れないという可能性に気付いたときから、アゼルが必死で押し殺してきた感情を。
「そんな……本当、なのですか?」
怯えたような顔で、ユフィが問うてくる。肯定できるはずがない。否定できるはずもない。
レムリア王国には、父娘の姦淫を禁じる明文の法はない。しかし、父娘に限らず、近親相姦は道徳上の禁忌とされており、そんな欲望を持っているなど、人前では口が裂けても言えることではないのだ。
「妾に仕えなさい、アゼリオン。そうすれば、その小娘を貴方にくれてやりましょう。 貴方の言う通り、誰が誰の子であるかなど、最早誰にもわからないし、誰も気にもしないでしょう。 誰からも後ろ指を指されることなく、その小娘を好きにできるわよ……」
シュリが糖蜜のような毒を吐く。
「何を馬鹿な……」
「別に悪い話ではないでしょう? 王の遺言のとおり妾が王位を継いで、王女が臣下の元に降嫁するだけのことよ」
「遺言など、貴女の捏造でしょう!」
ユフィが断じる。しかし、その声には、いつものような煌めくばかりの威厳はなかった。シュリが鼻で笑う。
「遺言の内容を知りたがっていたわね。教えてあげるわ。『自分の血を引かないユフィーリアに王位を継がせるわけにはいかない。王位は王妃シュリの子に継がせる。それまでは王妃シュリが国母として国を治めること』……確かに、国母を女王と変えてはいるけれど、あなたが思っていたほど大きな違いはないわよね? ただの侍女の頃には王と直接口を利くことなどできなかったけど、王妃となればそれは容易いことだし、王はちゃんと妾の言葉を信じてくれたわ」
ユフィは、蒼白な顔をしていた。今まで信じてきたもの全てに裏切られた、そんな絶望感に苛まれているのだろう。
「しっかりしろ、ユフィ。シュリの言うことは一見筋が通っているが、そこに証拠がないことは最初から変わっていない。自分が何を信じるか、どうしたいのかは、自分で決めるんだ」
半ば以上自分に言い聞かせるように、アゼルがユフィを励ます。
「あら、偽りの真実をいくら信じたところで、事実は決して変わらないのに、虚しいことを勧めるのね。でもね、アゼリオン、断言してあげるわ。仮に妾を殺しても、その小娘は決してお前のものにならない。あなたがあの時の秘め事の続きを夢見ているのなら、妾に付くしかないのよ」
「確かに、ずっと夢見ていたさ。エフィとあの夢のような時間をもう一度過ごせればと。その意味ではお前に感謝すべきなんだろうな。一度でも愛する女性を抱けたのだから。エフィがいなくなった今、代わりにユフィを抱きたい、そう思っているのも恥ずかしながら事実さ」
アゼルは正直に認めた。シュリの顔が愉悦に歪む。アゼルを落とせると確信したのかも知れない。しかし、アゼルは首を横に振った。
「だが、お前のお陰で俺が手に入れたものは、薬のもたらしたまやかしの快楽だけじゃない……もう一つ、もっと大きなものがあるんだ」
「あら、何かしら?」
シュリが訝る。
「一途な思いが全て叶うわけじゃないっていう、苦い現実さ」
肩を竦めながらアゼルは言った。その顔には既にシュリに対する怒りはなかった。そこには、色々なものを諦めながらも何とか自分の進む道を選んできた大人の、少し疲れた苦笑が浮かんでいただけだ。ただそれでも、ユフィには何かが伝わったらしい。ユフィは大きく頷いた。
「私は、私利私欲のために魔族を使役する者に王位を委ねるくらいならば、仮にその資格がないのだとしても、レムリア王国第十三代国王ファルス三世の子であることを選びます。そしてアゼリオン、貴方は私の母エフィーリアの忠実な友にして、大切な私の《騎士》です」
ユフィは選んだようだ。闇の中にある事実よりも、自分で光を当てた真実を。
「そうね。生まれで得られなかったものを、自分の才能と努力で奪おうというなら、それを否定したりはしないわ。妾と同じですもの」
シュリが自虐的に笑う。
「貴女と同じ? 誰が!」
「力ずくで王位を狙うという点がよ。違うのは方法だけでしょう。お前は生まれながらに与えられた地位と妖精の力を使う。妾は自ら努力して手に入れた地位と魔族の力を使う。魔族を使役して何が悪い? 何の努力もなしに力を与えられた者が、努力で手に入れた力を低く見るなど妾は許さない。妾が壊したいのは、この不条理な世の仕組みよ。この国の誰よりも賢く、美しい妾を婢などと呼ぶこの国を、妾は許さない」
確かに、魔族を呼び出すには膨大な知識に基づく複雑な儀式が必要であるとされており、誰にでも簡単にできることではない。しかも、呼び出した魔族を使役できるかは召喚者の才覚次第であり、逆に魔族に殺されたり、奴隷とされてしまう危険すらあるのだ。シュリが相当の努力と覚悟の末、魔族を使役しているのは確かだろう。魔族の召喚はレムリアの明文の法で禁じられているが、それをシュリに主張しても詮なきことをアゼルは理解していた。法には、権力者が自分たちの都合を民衆に押し付けるという性質があることを否定できないからだ。シュリが女王となれば、その法を改廃することも可能なのだ。
王族、或いはそう育てられた者の責務として、民のために王位を望むユフィにすれば、社会の底辺から女王にまでのしあがって権力を欲しいままにしようとするシュリは対極の存在のはずである。そのシュリに同類扱いされているのに、ユフィは反論もできないようであった。
「そうだな。お前の言うことがわからない訳じゃない。結局は俺たちも、自分自身の欲望のためにお前らを倒そうとしているんだからな。俺もユフィもあんたと同類さ。だから、似た者同士そろそろ決着をつけようじゃないか」
口論でシュリを言い負かすことなど、アゼルには不可能だと思われた。時間が立てば、他の兵達が駆け付けてくる恐れもある。これ以上の舌戦は無意味であった。
「ふふ、剣でなら勝てると思っているのね。《騎士》でない妾が、あなたたち二人を前にこれだけ余裕の態度でいられる理由を、理解できていないようね」
「俺達二人がかりで、後ろの男一人に勝てないとでも言いたいのか?」
シュリがこの場ですぐ魔族を召喚することは不可能なはずだ。剣を抜き放ちながら、アゼルは男を見た。男は薄ら笑いを浮かべながらアゼルを見返した。
「《騎士》としての才を持ちながら魔術をも極めたレイハに勝てるわけないでしょう。レイハがいる限り、誰も妾の邪魔などできないわ!」
「いや、寧ろお前はもう必要ないな」
一瞬の出来事だった。突然、シュリの胸から剣が生えた。背後から音もなくシュリの胸を剣で突いたのは、星見、レイハールだった。




