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薬師アゼルと過ぎし日の恋  作者: かわせみ
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第十二章 ある王女の決意

 アゼルと別れたルティは、兵舎の地下にある牢に繋がる、兵たちの詰所へと向かった。ルティがここから離れてまだ一年ほどだ。牢の監視体勢はその頃から変わっていないように思われた。すなわち、牢の番は四人一組で行い、二人が通路の見回り、二人が詰所で待機、というものだ。


 兵舎の地下牢はそれほど大規模なものではなく、収容人数は最大でも20人程度である。重罪人は即刻で死罪になるか、西の不毛地帯近くに設けられた流刑地で強制労働させられるため、王都の地下牢には比較的軽い犯罪者が多い。また、外交上の配慮を要する他国人を収容するための、牢としては小綺麗な個室もある。


 ルティはなに食わぬ顔で詰所に入った。王女を収容しているという非常時であるから通常と異なる警備体制が敷かれている可能性もあったが、幸い、詰所にはルティの知る兵が二人いるだけだった。


「久しぶりね、カイト、ウィッグ。元気そうで何より」


「ルティ殿!? 一体どうしてここに?」


 カイトとウィッグが異口同音に驚きの声をあげた。


「予想はつくでしょ? 高貴なお客がいるわよね?」


 ルティの問いに、二人は顔を見合わせた。


「別に、出せとか無茶を言うつもりはないわ。ただ、王女の命を狙う者がいるという情報が入ってね。私にも護衛させて欲しいのよ」


「しかし……」


 いくら元上官とは言え、部外者を牢に入れるのは明らかな規則違反である。年長で堅物なウィッグが口ごもった。煮え切らない態度の二人に業を煮やし、ルティは代替案を提示した。


「じゃあ、こういうのはどう? 酔って暴れた私を二人が取り押さえて、取りあえず牢にぶちこんだ」


「それなら、まぁ、いいですよね?」


 カイトがウィッグに同意を求める。しばらく考え込んだ後ウィッグも頷いた。


「ありがとう。部屋は王女と同室で頼むわ」


 ルティは二人の後に続いて牢に入った。他に二人の兵が見回っているはずだが、自分達以外の足音は聞こえない。牢にも空きが目立ち、不気味なまでの静けさだった。ユフィの入れられているという角の個室の見える位置まで来たとき、ルティは異変に気付いた。その場に漂う色濃い死の気配、そして、食い散らかされたかのような二人の兵の死体……。


 ルティは驚愕のあまり腰を抜かしたカイトとウィッグを押しのけて、ユフィの個室に駆けた。そこでルティが見たものは、ひしゃげた鉄格子の奥で漆黒の異形に上半身をパクりと咬まれた少女、紛れもなくユフィの姿であった。


「きゃああああ!?」


 流石のルティも、この衝撃的な光景には悲鳴をあげた。咄嗟にどうすることもできず、茫然と立ち竦む。暫くして、異形の口にぶら下がっていたユフィの脚が勢いよく跳ねた。次の瞬間、剣を手にしたユフィの上半身が姿を現した。異形の口腔内で剣をつっかい棒のようにして、何とか噛み砕かれるのを防いだようであった。


「ルティ、呆けてないで手を貸して!」


 ユフィの声でルティは我に返った。手にした槍を渾身の力で繰り出す。


「っ!?」


 異形の体は思った以上に硬かった。僅かな弾力を兼ね備えた強靭な肉体は、槍で突かれても傷一つ付いていない。異形は蝿でも払うかのように無造作にルティの槍を手で払った。


「きゃっ!」


 槍を離すまいと強く握り過ぎていたのが仇になった。余りの膂力に、ルティは吹き飛ばされてしまった。槍を持つ右腕が動かない。どうやら右肩が外れたらしい。


「ルティ、逃げて!」


 異形がルティの目前に迫る。ユフィが連撃を浴びせ援護しようとするが、異形は小揺るぎもしない。尻餅をついた今の状態では、立ち上がって逃げようにも間に合わないだろう。ルティは覚悟を決めた。逃げることを諦め、懐から笛を取り出して思いきり吹いたのだ。次の瞬間、異形の太い腕が降り下ろされ、ルティの意識は途絶えた。


***


 アゼルが地下牢に辿りつくまで、彼を遮るものは何もなかった。腰を抜かして遠巻きに異形……明らかに魔族だ、と戦うユフィを眺める二人の兵を無視して、アゼルはユフィの近くまで駆ける。倒れているルティに気付いたとき、ユフィが叫んだ。


「アゼル殿、ルティを!」


 倒れたルティを心配しつつも、魔族の相手をしながらルティを介抱するのは無理だったのだろう。状況を察し、アゼルはルティに駆け寄り、様子を見た。


「大丈夫だ。息はしている」


 ユフィを安心させるためにその事実だけを告げる。しかし……。


(まずいな)


 ルティに意識はなく、呼吸はしているものの不規則で、吐血の跡がある。内臓が損傷しているのかも知れない。取りあえず、アゼルは持っていた回復薬を自分の口に含み、口移しでルティに飲ませた。応急措置としてはこれでいいが、一刻も早く専門の治癒術師に診てもらうべきだろう。


 ユフィの方を見る。ユフィは防御に徹して魔族の荒々しい攻めを何とかしのいでいるが、余裕があるようにはとても見えない。


 どう動くべきか……まとまらない思考はもう一人の登場で中断された。


「ユフィ、無事か!?」


 ナーシェスである。ナーシェスは返事も待たずに楯を構えて魔族に体当たりをかました。流石に魔族は体勢を崩したが、ユフィの追撃は魔族を傷付けることができなかった。ナーシェスも自らの剣を魔族に突き立て、顔をしかめた。


「くそっ、なんて硬さだ」


「ナシェ、アゼル殿に代わって、ルティを頼む」


 ユフィがナーシェスに命じる。


「しかし、俺はユフィを……」


 反論しようとするナーシェスに、ユフィは首を振った。


「こいつを倒すのに今必要なのは、楯ではなく、剣よ」


 あくまでも合理的な判断だった。ナーシェスは渋々頷き、楯を構えながらアゼルのところまで後退した。


「重傷だ。少しでも早く治癒術師の所に運んだ方がいい」


 アゼルの言葉に、ナーシェスが忌々しげに舌打ちした。


「見せ場は譲ってやる。しかし、ユフィに怪我一つさせてみろ、ただで済むと思うなよ」


 憎まれ口を叩きながらも、ナーシェスは素早くルティを担いで、安全圏へと退避した。


 アゼルは剣を抜いて、改めて魔族を見た。アゼルが魔族と対峙するのは二回目である。この魔族は、前回出会った魔族と大きく異なっている点があった。知性を持っているようには見えないという点だ。その分、獰猛さや肉体の頑強さは上であるように見える。アゼルが見ている間にも、ユフィが何度か斬りつけているが、魔族が手傷を負っているようには見えない。


「堕天の軍靴よ、鬼神の手甲よ、そして断罪の魔剣よ、宿れ!」


 魔力がアゼルの四肢と剣に宿る。アゼルは、ユフィに自分の剣を投げた。


「ユフィの剣を、俺に!」


 ユフィもアゼルの意図を理解した。ユフィは魔剣を受け取り、ユフィ自身の剣をアゼルに投げ返した。アゼルが再び剣に魔力を宿す。これで二人とも「魔剣」を振るうことができる。


「この剣なら!」


 ユフィが魔族に斬撃を浴びせる。これまで傷一つ付かなかった魔族の皮膚が容易く裂けた。しかし……。


「どんな回復力だよ!?」


 アゼルは思わず舌打ちした。ユフィが魔族に与えた傷が見る間に塞がっていくのだ。


「回復力に限界があることを信じて、斬り続けるしかないですか?」


 気丈なユフィも、さすがに心が折れかかっている様子だ。


「いや、持久力の勝負でこの化け物に勝てるとは思えないな」


 アゼル自身も何度か魔族を斬りつけたが、回復の暇を与えず一撃でほふるのは不可能であると理解できただけてあった。


「一撃で無理なら、二撃か……ユフィ、こいつの前面、胸の辺りを斬れるか?」


 口で答えるよりも早く、ユフィがすれ違いざまに魔族の胸を斬り裂いた。


「ここだ!」


 一瞬の出来事であった。ユフィが魔族に付けた傷が塞がるよりも早く、アゼルがその傷口を突いたのである。アゼルの狙いどおり、強固な外皮に比べ、内側の肉は柔らかく、アゼルの魔剣は易々と魔族の胸を貫いた。魔族の体がびくんっ、と大きく跳ねた。


「危ない!」


 アゼルが手応えに気を緩めた瞬間、ユフィが叫んだ。魔族の巨大な口がアゼルの頭に噛み付こうとしているのだ。ユフィの声にアゼルが咄嗟に身を屈める。


「これで、倒れなさい!」


ユフィが手にした魔剣を投じる。放たれた魔剣は美しい軌跡を描いて、アゼルを食べ損なって虚しく開かれた魔族の大口の内部から頭部を貫通し、背後の壁に突き刺さった。そして魔族はもう一度大きく痙攣して、遂に動かなくなった。


「ありがとう、ユフィ。助かった」    

 

「いえ、こちらこそ」


 危機を脱し、二人は胸を撫で下ろした。しかし、ユフィがすぐに表情を改めた。


「なぜ、こんなところに魔族が……」


 それは質問と言うよりは確認に近いものだった。ユフィが魔族について王妃に報告し、妄言と一蹴された直後に、当のユフィを狙うように魔族が現れたのである。確たる証拠がないとは言え、偶然である可能性は限りなく低いだろう。王女の生死に何らかの利害関係を有する者、すなわち王妃か、王妃の命を受けた者が魔族を召喚したとしか考えようがない。


「どうしますか? 証拠はありません。王の暗殺も、遺言の偽造も、魔族の召喚も、です。それでも王妃を廃して王位を継ぎますか?」


「事が私個人に関する話であれば、王位を継げなかったとしても黙って身を引くつもりでいました。しかし、魔族を使って私を殺し、私が王位を継ぐことを妨げようとする者がいるのであればそうはいきません。それが王妃であれ、誰であれ、そんな人間の思い通りにさせるわけにはいきません。私は王位を継ぎます。これは、私ユフィーリア・レムルスの王族としての責務です」


 ユフィの言葉は、王者としての威厳に満ちていた。その威に、アゼルはごく自然に膝を折っていた。


「ならば私は、非才なる身なれど、この魔剣を貴女に捧げましょう」


「では貴方は、私が叙した最初の《騎士》ですね」


 恭しく剣を差し出したアゼルの手に優しく自分の手を重ね、ユフィは微笑んだ。アゼルも釣られて微笑んだが、叙勲ごっこはここまでだった。


「犯人が王妃であるかの確証はありませんが、魔族召喚の犯人として王妃を断罪するのであれば、魔族騒ぎについて王妃が情報操作を行う前に速やかに動く必要があります」


「わかっています。でも、少しだけ……」


 ユフィは頷きながらも、魔族の犠牲となって命を落とした二人の兵士の骸の前に歩み寄り、沈痛な表情で祈りの言葉を捧げた 。


 アゼルはそんなユフィを横目で見ながら、魔族の首を落とした。無論、王妃に叩きつけるためである。そして、アゼルは相変わらず遠巻きに眺めている二人の兵士カイトとウィッグに近付いた。


「あなたは……」


 壮年のウィッグには目の前にいるのが誰か分かったようだ。アゼルはただ頷いた。


「状況は判るか?」


 二人が顔を見合せ首を横に振った。アゼルが続ける。


「王女を襲ったあの化け物は魔族だ。お前さんは知っているだろう?」


「 十五年前に前王妃を殺した?」


 ウィッグがおどおどと答える。


「そうだ。そして、今王女を殺して得をする者が誰かも解るな?」


「今の王妃しか居ませんね」


 カイトが答える。そう、証拠は何もないが、状況から考えて他の答えはない。アゼルは自分で誘導した答えながら奇妙な符合を感じていた。


  前回の魔族騒ぎの当時、様々な陰謀説が流れ、徹底した調査が行われた。また、更なる襲撃を防ぐための厳重な警備と取り締まりが長期にわたって行われた。しかし、その後犯人が捕まることも、魔族が現れることもなく、反乱や他国の侵略といった動きもなかった。そのため、結局は騒ぎはうやむやとなり、魔族が召喚されたのは何者かの陰謀ではなく、誰かの悪戯か、或いは偶然に召喚されてしまったのではないかと言われるようになっていった。魔族召喚によって得をした者はいないと考えられたのだ。


 しかし今考えると、前王妃が殺されたことにより、侍女の身から王妃にまで上り詰めた現王妃は、間接的とは言え前回の魔族騒ぎの受益者と言えるのではないか……しがない侍女が王妃に抜擢されたのは、彼女が美しかったことと、王妃を失って悲嘆に暮れる王に献身的に尽くしたことが理由であると聞いたが、侍女の自分が王に見初められるということまで織り込み済みで計画を立て、魔族を操っていたなどと言うことがあるのだろうか……。


「お二方、すみませんが、亡くなった方の葬儀の準備と、後の片付けをお願いします」


 アゼルの思考はユフィの声で中断された。二人は王女に直接声を掛けられ、畏れ多いといった風で何度も頷いている。


「アゼル殿、私達は急ぎましょう」


 アゼルは頷いた。前回と今回、二回の魔族出現の犯人が現王妃なのかは、直接対決で明らかにするしかないだろう。問題はむしろ、直接対決でも王妃が尻尾を出さなかったときだ。その時にどうするのか……。ユフィは先程の決意を、貫き通すことができるのか? つまり、証拠もなく王妃を殺せるのか? 自分でも考えが纏まらず、アゼルはその問いを口に出すのを避けた。

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