第九章 ある国王の崩御
王都に着いてすぐに、四人は異変を感じた。ユフィとナーシェスが王都を旅立ってからまだ十日ほどしか経っていないのに、出発前の平穏からは想像もつかないほど、王都は騒然としていた。
「一体、何があったのですか?」
ユフィが衛兵に声を掛ける。衛兵は当然、ユフィを見知っていた。
「ユ、ユフィーリア王女! 今まで何をされていたのですか!? 王女殿下の留守中に、国王陛下が……」
「国王陛下がどうなされたというのですか!?」
ユフィの顔が蒼白になる。衛兵の反応で脳裏を過ったユフィの悪い予感は、完全に的中した。
「国王陛下は……昨日崩御あそばされました……」
「そんな、父上が……」
よろけて倒れかけたユフィを、咄嗟にアゼルが支える。
「あの陛下が……」
アゼルにとっても、その知らせの衝撃は小さくなかった。アゼルは、自分が仕官していた頃の国王しか知らないが、彼の知る国王は少なくとも尊敬に値する主君であった。アゼリオンの王妃への恋心を知りながら、その忠誠を疑いもせず彼を重用し、王妃と私的に会うことすら容認していたのであるから。そんな国王の信頼を裏切ってしまったとの後ろめたさが、アゼルにはある。
「おい、それで陛下の崩御後、誰が実権を握っているんだ?」
「そ、それは……」
衛兵が言いにくそうにナーシェスの顔色を伺う。ナーシェスが王女派であることは周知の事実だ。
「王妃なんだな」
ナーシェスが苦々しげに吐き捨てた。
「はい。即位はまだですが、国王陛下がみまかられてすぐ、告示がありました。国王陛下の遺言に従い、近くシュリ王妃が女王として即位すると」
確かに、成人前のユフィは、まだ王太子として擁立されておらず、国王が死んでも自動的に次の国王になるわけではないのだが……。
「王がそんな遺言をするはずがないだろうが!」
ナーシェスが声を荒らげた。
レムリア王国は小国とは言えど、300年以上の歴史を持つ豊かな国である。これまで世襲の王が代々国を治めており、国が大きく乱れたことも、王族出身でない者が王となった例もない。成人前とは言え直系の王女がいるのであるから、国王が侍女出身の王妃に王位を譲るなど、信じている国民はほとんどいないだろう。
「そうだとしても、王妃に逆らえる者なんてこの国にはもういないわよ?」
ルティが冷静に指摘する。彼女が出奔した時ですら、既に王妃に逆らってまで彼女の味方をする者など殆どいなかったのだ。もちろん、《近衛騎士》の面々は彼女の味方であったが、病床の王の身柄を押さえている王妃をどうすることもできなかった。ルティにしても、王妃を武力で討伐するよりは、王妃にいいようにさせてしまった王に失望して王宮を去ることを選んだのだ。
「それどころか、今までの話ではユフィはもう、王女として必要とされていないな。帰る場所が無くなってしまったんじゃないか?」
アゼルの言葉が重く響く。ナーシェスもルティも反論できなかった。
「そうだとしても、臣下としては遺言の真偽を確かめなければならないだろうな。王妃が国王を弑した可能性だって、ないわけじゃない」
「まさか、そこまで……」
ナーシェスの言葉に、ユフィが息を飲んだ。否定しようとしたのだろうが言葉が続かない。確かに無視できない可能性であった。
「そうであるなら、あたしの出番ね」
ルティが嬉しそうに槍を撫でる。
「いずれにせよ、一度は王妃に会って話を聞くしかないでしょうね。できれば、女王を名乗る前がいいと思う」
アゼルが提案する。
「そうですね。あまり気は進みませんが……アゼル殿とルティは宿をとっておいてください。落ち着いたら、王宮にきていただけますか。門兵には話をつけておきます」
ユフィが淡々と言う。蒼白な顔色ながら、ユフィは泣いたり取り乱したりはしていなかった。
「ユフィ、平気か?」
アゼルの問いに、ユフィは弱々しくも微笑んで見せた。
「悲しいんですが、涙もでませんね。病床に臥していた父とは、長くお会いしていませんでしたから、もう会えないかも知れないと、覚悟していたせいでしょう」
どこまでも子供らしくないユフィの反応に、憐れみに近いものを感じながらも、アゼルは何も言えなかった。
***
「宿どこにするの?」
ユフィ、ナーシェスと別れ、アゼルとルティは宿をとるために歩き始めたのだが、王都レムルには当然宿屋が数多くある。ルティにはどこを選ぶべきか判断がつかないようだ。ルティは宮仕えしている間は士官用の兵舎に住んでいたし、王宮を飛び出したあとは一時王都郊外の実家に戻っていたものの、その後すぐにカルネに移り住んだからだ。その点、アゼルには心当りがあった。
「前に使っていた宿があるからそこを当たってみようと思っているんだが……」
記憶を頼りに、アゼルは大通りを歩いた。十年以上ぶりの王都は、あちこち変わってもいる。そもそも目的の宿がまだ残っているかも怪しかったのだが……。
「アゼル!? 生きていやがったか!」
「久しぶりだな、おやっさん。宿はまだ潰れてないのか?」
野太い陽気な声に、アゼルも笑顔で答えた。アゼルが騎士を辞めて暫く下宿していた宿屋、《暁の日の出亭》の主人、ゴーダンだ。
「あたりめぇだろうが。おかげでなんとかやってるよ。貧乏暇なし、だがな」
「部屋は空いてるか? 数日、世話になりたいんだが」
「あぁ。空いてるぜ。そっちのべっぴんさんも同室か?」
ゴーダンが冷やかすような顔をする。王都に住む者なら、元《近衛騎士》のアゼリオンの名もルティの名も知っているものは多いが、容貌まで含めて知っている者はそう多くはない。ゴーダンもルティの姿は知らなかった。初めて会った時からアゼルとしか名乗っていないこともあり、ゴーダンにとってアゼルもアゼリオンではない。
「いや……」
「はい、同室でお願いします!」
断ろうとしたアゼルの横から、ルティが素早く言った。狼狽えるアゼルの腕をとってしっかりと自分の腕を絡める。
「こんな若いべっぴんさん捕まえてお前さんも隅におけねぇやな」
「いや、これは……」
釈明しようとするアゼルの腕をルティが思いきりつねる。
「部屋に案内してくださいますか、おじさま」
痛みに顔をひきつらせるアゼルを無視してルティはにっこりと微笑んだ。
「どういうつもりだよ、一体」
部屋についてすぐ、アゼルが疲れた顔で言う。
「当然……」
言いながら、ルティが外套を脱ぐ。下は普段着だ。ただし、胸元はやや強調されている。
「ま、待て。早まるな」
アゼルが後退る。
「ただの経費削減よ」
挑発するような視線を投げて、ルティが寝台に腰掛けた。
「大体、何よ、その態度は! あなた、あたしのことを真っ昼間から男に迫るような破廉恥な女だと思ってるの!?」
ルティが目を怒らせる。
「そりゃ、押し倒された経験があるからな」
げんなりした顔でアゼルがぼやく。
「あ、あれは事故よ。泥酔したあたしを部屋にいれたあなたが悪いのよ」
ルティが真っ赤になって枕をアゼルに投げつける。アゼルは反論する気にもなれず黙って旅装を解いた。
「少し出掛けてくる」
「え、どこに行くのよ?」
あたしを置いて、と言外の声が聞こえるようだ。
「魔力付与の師匠のところにな」
「あたしも行っちゃダメ?」
「悪いが、込み入った話になりそうなんだ」
「そう……」
見るからにルティの顔が沈む。アゼルは少し彼女が可哀想になったが、どうすることも出来ず扉を開けた。
「ねぇ、アゼル」
「ん?」
ルティの呼び掛けにアゼルが振り向くと、彼女は真っ赤な顔で言った。
「今夜も酔っぱらって、いい?」
いつになく可愛らしいルティの態度に、アゼルは苦笑した。
「ユフィの問題がちゃんと片付いたら、な。行ってくる」
言ってから、アゼルは自分で疑問に思った。ユフィの問題というのは一体何を指すのだろうか? 答えを出せないままに、アゼルは外に出た。
***
アゼルの魔力付与の師匠、サーキュラ婦人は、王都レムルで一番賑やかな通りから三筋ほど外れた裏通りに、ひっそりと店を構えている。王国一の鍛冶師にして魔力付与師である。店がどこにあっても客足が絶えることはないのだが、気難しい性格で、どれだけ金を積まれようと自分の気に入った客にしか自分の作を売らない。
「師匠、お久しぶりです」
「誰かと思えば、確かに久しぶりだな。あれから十年以上経つか。師匠呼ばわりされるほどのことを教えた記憶もないんだが」
アゼルがサーキュラに教わったのはほんの三月ほどの間で、しかも初歩の薬草への魔力付与のみである。もっとも、アゼルは近衛騎士時代からサーキュラ婦人の客であり、付き合いはそれなりに長い。
「それでも今は、師匠に教わった魔力付与でなんとか食い繋いでいけているので、感謝していますよ」
「当時のお前ならもっと高度な付与術も易々と身に付けられただろうに、勿体ないことだ。お前も歳をとった。今から新たな技術を身に付けるのは、無理とは言わないが困難だぞ」
「そう言う師匠はまったく歳をとってませんね。驚きました」
世辞ではなかった。サーキュラ婦人は、アゼルが初めて会った時から、年齢不詳の妖艶な美女だった。十年以上経った今も相変わらすの美貌で、僅かにでも歳をとったようには見えない。高位精霊か何かが人間として暮らしているのだと、当時から真しやかに囁かれていたが、今になってアゼルも、そんな噂を信じそうになっていた。
「それで、結局何の用なんだ? まさか世辞を言いに来たわけでもあるまい」
「それは……」
アゼルは少し躊躇ったが、何もかも見透すようなサーキュラの目に見つめられて、言葉を続けた。
「ユフィーリア王女の剣のことです」
「ああ、そのことか」
納得がいったように、サーキュラ婦人は大きく頷いた。
「どうして僕の剣と同じ剣を彼女に与えたんですか?」
「それは当然、ユフィならあの剣を使いこなせると思ったからさ」
「ユフィは魔術を使えないようでしたが?」
「素養があるのは一目見てわかったさ。もっとも、彼女の守護妖精は、お前のとは違って運動神経が良さそうだったから、わざわざ魔術を使う必要はないとも思ったがね」
「えっ、守護妖精が見えるんですか!?」
さりげなく自分の守護妖精の特徴を言い当てられて、アゼルは驚いた。ここで魔力付与を学んでいるときにはそんな話をしたこともなかったからだ。
「ああ。特殊な目を持っているからな」
サーキュラ婦人が自分の美しい紫玉の瞳を指差した。 確かにごく稀に妖精を見ることのできる人間がいるというのはよく知られたことであるが、サーキュラがそうだとはアゼルは今まで知らなかった。
「でも、それだけなんですか? ユフィにあの剣を渡した理由は」
「他に何か必要なのか?」
「いえ、別に……」
サーキュラに逆に質問され、アゼルは言葉を濁した。サーキュラの目をまっすぐ見返すこともできなかった。
「まさか、用はそれだけなのか?」
サーキュラが怪訝な顔をする。
「いえ、もう一つ。僕にも剣を、鍛えてもらえませんか?」
「もう一度剣を取るのか? 何のために?」
「ユフィを、守りたいんです」
サーキュラ婦人の問いに、アゼルの口は自然に動いた。それは紛れもなく、アゼルの本心だった。
「あの時と同じか。お前はつくづく、あの顔が好きなんだな」
サーキュラ婦人が呆れたように苦笑した。
「放っておいて下さい。それに顔だけじゃないですよ、多分」
否定しながらも、なぜここまでエフィやユフィに心を囚われているかが自分でも分からないアゼルだった。
「まぁいい。可愛い弟子のために剣は鍛えてやるよ。基になる剣はあるから、魔力付与だけで済む。少し待ってろ」
言って、サーキュラ婦人は奥の部屋から一振りの直剣を取ってきた。一目で、かつての自分や、ユフィが使っていたものと同じ型の剣だと分かる。
「この剣、何本も予備を置いてるんですか?」
「これが最後の一振りだ。ユフィのために置いていたんだが、まさかお前に渡すことになるとは思ってもみなかったよ」
言いながら、サーキュラ婦人は剣の刃面に光沢のある特殊な墨で魔術文字を下書きしていく。慣れた手つきで両面に文字を書終えると、サーキュラ婦人は自らの魔力を言葉に乗せた。
「刻呪……」
サーキュラが落ち着いた声でそう呟くと、下書きの墨を抉り取るように剣に呪が刻まれていった。
「ひょっとして、これで終わりなんですか?」
あまりにあっけなく終わってしまったため、アゼルはすっとんきょうな声をあげてしまった。
「ああ。言っただろ、直ぐに終わると。分かっているとは思うが、技術の難易度と所要時間には直接的な関係はないからな」
勿論アゼルとて、今の魔力付与が見た目ほど簡単でないことは理解している。しかし、武器への魔力付与はアゼルが想像していたよりもずっと工程が少なかったのだ。アゼルは魔力付与の技術のすべてを教わらなかったことを少し後悔した。この短時間で武器に付与できるなら、薬草を取りに行く手間がない分、実働時間を短くできるだろう。今ですら十分に短い労働時間をこれ以上短くしても、空いた時間にしたいことも特にないのだが。
「どうだ、手にした感じは」
剣を手に取ったアゼルは、リルルの抗議を考慮して、少しだけ剣に魔力を通してみた。
「あの時のままですね」
アゼルの言葉に、サーキュラは満足そうに頷いた。
「でも、値段はあの時のままではないですよね?」
アゼルが恐る恐る尋ねる。
当時駆け出しの少年《騎士》だったアゼルは、格安の値段で剣を譲って貰ったのだ。当時は深く考えていなかったが、今思えば、魔力の宿っていない普通の剣すら買えない値段である。物の価値のわかる今は、同じ値段で譲って欲しいなどとはとても言えない。これだけの名剣なら、多少吹っ掛けられても文句は言えないが、仮に良識的な値付けをしてもらえたとしても、今のアゼルに買えるかどうかは激しく疑問であった。
「どうせ大した額は持ってないんだろ? 私は現王妃が嫌いでね。お前が王女のために再び剣を取るというなら当時と同じ値段で構わないさ」
「さ、さすがにそれは悪いです! せめて出世払いで……」
「出世できるのか?」
サーキュラ婦人の言葉には容赦がない。確かに、昔のアゼルであれば十分な将来性があったかも知れないが、今のアゼルがそれを期待するのは虫がよすぎるだろう。アゼルはばつが悪そうに肩をすくめた。
「わかっているとは思うが、今の状況でユフィの味方をするのはかなり危険だぞ。戦闘技術だけで言えば、確かにお前がそう簡単に遅れをとるとも思えないが、それでも政治的な意味では、ユフィ共々簡単に社会的地位を奪われかねない。それでもユフィのためにすべてを捨てる覚悟があると言うのなら、この剣くらい安いものだ」
「わかりました。そういうことなら好意に甘えます」
「まぁそれでも一応は、お前の活躍でユフィが女王となって、更にはお前が出世してくれるのを、期待しないで待っておくよ」
皮肉な口調とは裏腹に、サーキュラ婦人が優しく笑った。
サーキュラ婦人の店を出て、アゼルは宿に向かって歩き始めた。再び剣を佩いて、昔に戻ったような気がするが、それでも少し気が重いのは、成り行きで同室に泊まることになったルティのことが頭にあるからだった。アゼルも男であるから、年若く美しいルティに言い寄られるのは正直悪い気はしない。それも、同室で休むとなればその後のことも期待してしまうのは仕方のないことだった。この状況を素直に喜べないのは無論、敬慕していたエフィの忘れ形見、ユフィへの後ろめたさがあるからだ。
ユフィに出会った当初は、ユフィを思い出の中のエフィと重ねてしまっていたアゼルであったが、今ははっきりとユフィ自身に惹かれている。見た目は確かにまだ幼さを多分に残しているが、その幼さにもかかわらず、いや、その幼さ故にと言うべきか、王族としての凛とした気品の中に、どこか危うげで蠱惑的な魅力を秘めているのだ。そうした魅力は、アゼルが目通りを許されたときには既に王妃として完全に成熟していたエフィには感じられなかったものだ。
しかし、ユフィはアゼルごときが憧れたところでどうにもならない存在だ。身分も違えば年齢も離れている。それを自覚しているからこそ、ユフィを見ていると狂おしいような気持ちになるアゼルだった。それでも、側に居て力になりたい、そう思うのはエフィのときと同じであった。同じだからこそ、あの一度だけの過ちを今一度期待してしまってもいるのだろう。まだ幼いユフィにそのような邪な欲望を抱いてしまう自分に嫌気のさすアゼルであった。
新しい愛剣の柄を無意識に弄びながら歩くうちに、アゼルは宿に着いた。料理屋を兼ねている《暁の日の出亭》の、一階の食堂に入ったアゼルを迎えたのは、ルティとナーシェスだった。ユフィの姿は見えない。ナーシェスは苦虫を噛み潰したような顔で苛立ちを隠すこともせずに落ち着きなく店内を歩き回っていた。二人はアゼルに気付くと即座に駆け寄ってきた。
「最悪だ。ユフィが、牢屋に入れられた」
ナーシェスは吐き捨てるように言うと、腹立ち紛れに壁を殴った。
「どういうことだ?」
アゼルが問い質す。ナーシェスがことの顛末を語り始めた。




