狐と鼠の陣取り合戦 4
と、その時、妖狐の子供の一匹が「キョウ~。この人だれ~?」と、彼女の方に近寄ってきて小首を傾げたので、紬の顔はデレデレに緩んでしまう。よほど締まりのない表情になっていたのか、喬は呆れを隠しもせずに答えた。
「さあねー。妖怪被害対策のプロだったはずだけれど、お前たちを見てすっかり骨抜きにされちゃったみたいだ」
「なっ!? ほ、骨抜き!? コ、コホンッ!」
我に返った紬は咳ばらいをし、今更ながら厳格な体裁を取り繕う。
「こんにちは。私は陰陽師協会京都本部、動物の怪係の賀茂紬です。少しお話を伺いに来たのですが、あなたたちのご両親はいらっしゃいますか?」
「ツムギ~?」
しかし、幼い子供たちには名前くらいしか伝わらなかったようだ。紬はどうしたものかと困り顔を浮かべる。――が、まさにその直後であった。
「ギャーン!」
という耳をつんざくような吠え声が響き渡り、妖狐の子供たちは一目散に茂みの中へ逃げ込んでしまう。
「えっ!? なに!?」
紬は驚いて声がした方を振り返った。その目に飛び込んできたのは、拝殿の屋根を飛び越えてこちらへ向かってくる一匹の獣。艶やかな褐色の体毛に太くて立派な尻尾。まごうことなき成獣の妖狐である。
「こらあ! そこの人間ども! うちの子に何してくれてねん!! ――って、なんや。キョウやったんか」
大声で叫びながら二人の傍に着地した妖狐は、喬の顔を見ると、たちまち拍子抜けしたような様子で態度を軟化させた。喬は片手をあげて、
「よ。小春。久しぶり」
と軽い調子で挨拶する。
「ちくしょう……。驚かせやがって……」
そう呟いたのは、いつの間にか紬の背後に隠れていた千綾だ。すると、その声に反応して、小春と呼ばれた妖狐はこちらを振り返り、怪訝な表情で鼻をひくつかせる。
「で、この人はナニモンなん? 知り合い?」
「あ、どうも、はじめまして。陰陽師協会から来ました。賀茂紬といいます」
紬は背筋を伸ばして改めて自己紹介した。
「陰陽師協会?」
しかし、小春は途端に警戒心を露わにして姿勢を低くする。
(あ、まずい)
紬は内心焦りを覚えたが、平静を装い、努めて朗らかな口調で続けた。
「突然お邪魔してすみません。こちらの神社で狐と鼠の妖怪がもめているという情報を耳にしたので、状況を確認させていただきに参りました。あなたはさっきの子供たちのお母さんですよね? 少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あー……。なるほど。そういうことね。うん。うちがあの子らの母親やで」
小春はちょっと納得した様子で体を起こし、紬の正面にお座りして答えた。
よかった。こういう時はさっさと本題を切り出してしまうに限る。紬はホッと胸をなでおろし、タブレット端末のメモアプリを開いて質問を重ねた。
「えーっと、じゃあ、まず、トラブルの経緯を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいよ。うちらに非はないし、悪いのは全部鼠の方やねんから」
小春は頭をそらし、フンと鼻を鳴らしてから言った。
「――つい最近、子供たちが生まれた直後、うちの家族は旦那以外、全員死んで妖狐になってしまったんよ。それで、この神社を拠点に子育てしようと思ったんやけど、ここに引っ越してきてから、隣の鼠がしょっちゅううちの子に嫌がらせしてくるねん。こっちは何もしてへんのにさ。おかしいと思わへん?」
「んー……。それは確かに……」
紬はタブレット端末にメモを取りながら曖昧に相槌を打った。今の回答で、ここの妖狐たちの言い分は明らかになったが、トラブルの内容について片方の意見だけを聞いて判断するのは間違いのもとである。紬が慎重に考えていると、折しも、彼女の目の端の茂みから、にわかに甲高いキーキー声がした。
「何にもしてないじゃと!? もともとわしらが棲んでたところにいきなりやってきて居座った迷惑狐のくせに!」
紬がびっくりしてそちらに目を向けるや、茂みの陰から姿を現したのは、十匹を超える妖鼠たちであった。サイズはさっき見た妖狐の子供よりも小さいくらいだが、群れて気が大きくなっているのか、はたまた己の主張を訴えることに必死なのか、天敵の小春と千綾を怖がっている様子はない。
小春は苦々しげに歯噛みして言った。
「まーたその言いがかり? この土地は別にあんたらのもんじゃないやろ? うちらより先にここで暮らしてたってだけで、我が物顔せんといてほしいわー」
「言いがかりじゃと!? 常識的に考えて、先住者が優先されるのが道理じゃろうが! わしらが鼠だからって舐めおってからに!!」
「わー! ちょっと待って! ストップストップ!」
紬は慌てて口を挟み、一触即発の両者の間に割って入った。――が、すぐに周囲の観光客から不審な目で見られていることに気がつき、声を抑えて続ける。
「お二方とも落ち着いてください。ここは穏便な解決を図りましょう」
「穏便な解決じゃと? 何か策でもあるのかね?」
「えーっと……」
長老然とした鼠に尋ねられ、紬は返答に窮して口ごもった。ひとまず喧嘩を止めたはいいが、この争いを決着させられる具体策を持ち合わせているわけではない。紬は頭を絞り、その場で出てきた考えをとりあえず口にした。
「そうですね……。たとえば、境内の中でお互いが使うエリアを決めて、棲み分けるっていうのはいかがでしょう……?」
しかし、これには、すぐさま鼠側から口々に反対の声が上がった。
「嫌じゃ嫌じゃ! なんでわしらが余所者の狐なんかに場所を譲らなければならないんじゃ!」
「そうだそうだ! 狐が近くにいるだけで、我々は怯えて暮らさなければいけないんだぞ!」
「棲み分けなんてできるもんか! ずるい狐がルールを守る保証もないのに!」
(あちゃ~……。大失敗……。そりゃ、こんな安直な方法で納得してもらえるわけがないよね……)
紬は心の中で頭を抱え、隣の喬に視線を送って助けを求めようとする。ところが、振り返った紬の目に飛び込んできたのは、あくびを噛み殺しながら立ち上がり、その場を去ろうとしている狐番の姿だった。




