狸谷山の一大事 5
「やれやれ……。やられたな。僕らは見事にはめられたってわけだ」
「すみません。私のせいで……」
紬は激しく後悔しながら自分の非を認める。狸の置物の群れからは黒い霧が染み出し、ガチガチと牙を噛み鳴らす硬質な音が徐々に大きくなってきていた。
「まったく……。あんたと一緒にいちゃ、命がいくつあっても足りないぜ」
喬はそうぼやいてから、
「――見たところ、この式神どもは、あの捨道とかいうやつの邪気に支配された付喪神みたいだな。一体一体が意思をもって動いているとすれば、かなり厄介な相手だぞ」
と険しい口調で続ける。紬は首肯した。
「そうですね。でも、このくらいの邪気なら、私の術で浄化できると思います。邪気が抜ければ、きっと無害な付喪神に戻ってくれるはずです」
「浄化か。あんたらしいな……」
喬はふっと呆れたように鼻を鳴らす。
「――しかし、これほど敵対的な妖怪を強制的に浄化するのは、祓うよりもはるかに難しいぞ? 勝算はあるのか?」
喬の問いに、紬は真剣な面持ちで頷いた。
「任せてください。火力を絞って邪気だけを焼いてみせます! ――千綾! 狐坂さんを守って!」
「うえ~。しょうがねえなあ……」
不満そうに喬の側へと移動する千綾を見送り、紬は指に挟んだ霊符に念を込める。刹那、霊符に灯るのは黄色の燐光。それを目にした途端、置物たちがガチャガチャと騒ぎ出し、殺気が膨れ上がる。
(来る……! ここだっ!)
最初の一体が飛びかかってきたのはその直後だった。しかし、紬はそれよりも一瞬早く動き、霊符を真一文字に振り抜いている。
それと同時に、
パッ!
と、黄色い炎が閃き、次の瞬間には、彼女の足元にキョトンとした顔の置物が転がっていた。紬は相手の攻撃を受け流しながら、早くも一体目の浄化を完了していたのである。
「ん? んんん?」
浄化された狸の置物の付喪神はとぼけた声を漏らして首を傾げ、どこかへトコトコと立ち去っていく。付喪神は意味もなく本体から離れることはないので、おそらく自分が宿るべき置物のもとへと帰って行ったのだろう。
「次っ!」
紬は霊符を胸の前に構え直して叫んだ。――と、今度は申し合わせたように、最前線の置物たちが牙をむき出して一斉に襲いかかってくる。紬は霊符を持った手を目にも止まらぬ速さで動かした。
パッ! パッ! パッ! パッ! パッ! パッ!
黄色い幻炎が明滅しながら蛍火のごとく縦横無尽に舞い、浄化された置物たちが次々に紬の足元に落ちる。
(すごい……。考えるより先に体が動く!)
紬はいつの間にか自分が実戦の腕を上げていたことに気がつき、驚いて目を丸くした。上達の要因として考えられるのは、岡丸と毎日遊んでいたことくらいである。おそらくあれが良い訓練になっていたに違いない。
「さあっ! どんどん行くよっ!」
紬は調子に乗って口元に笑みを浮かべながら霊符を振り回し、後から後から襲いかかってくる置物を矢継ぎ早に浄化した。すると、ある時点で敵の置物たちは勝ち目がないと悟ったのか、さっと潮が引くかのように踵を返し、森の中に姿を消してしまう。
「ありゃ……。全員浄化する前に逃げられちゃいましたね……」
紬は額の汗を拭って後ろを振り返った。
「ああ……。おそらく作戦を変更するつもりなんだろう。今後は待ち伏せに警戒しないとな」
息を弾ませながら答える喬。
「待ち伏せ……。あっ、そうか! 向こうは私たちが本物の狸塚さんを助けに来るのが分かっているから、その途中で不意打ちしようと考えているんですね!」
紬はハッとして言った。喬は苦々しい表情を浮かべて頷く。
「主人に似て狡猾な式神だ。見たところ、あの式神どもは捨道の怨念に従って動いてるみたいだな。邪気を使った式神の洗脳ってやつか……」
「式神の洗脳……」
紬はごくりと唾を飲み込んだ。蘆屋家の陰陽師が邪気の操作に長けていることは知っていたが、実際にその効果を目にすると、彼らの術の恐ろしさがよく分かる。普通の陰陽師があやかしを従えて式神にするのとは、根本的に異なる原理を利用しているのだ。
「そっか。だから、さっきは式神の攻撃が紬に集中してたんだな」
と続いて口にしたのは千綾である。喬は肩をすくめながら口元を歪めて言った。
「ま、やつの恨みの矛先は協会所属の陰陽師だからな。目付け役は歯牙にもかけていないってことなんだろ」
「ああ、なるほど……。そこにも捨道の怨念が反映されているんですね」
紬は顎に手を添えて唸る。確かに思い返してみれば、吉田山の土蜘蛛も、一般人には目もくれず、真っ直ぐこちらを狙って襲いかかってきた。あれも捨道の怨念に操られた式神だったのかもしれない。




