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兎神社のみなしご狐 10

 その後、紬と岡丸は延々と遊び続け、気がつけばすでに山鉾巡行の時間は終わっていた。


「はあ……はあ……。式神を操るだけとはいえ、さすがに疲れたよ……」


 紬はぐったりした表情で額の汗を拭う。じっとしているだけでも危険な暑さの中、彼女の集中力はとっくに限界を迎えていた。紬は手を打ち鳴らして式神を消し、岡丸に声をかける。


「はい。今日はこれでおしまい。どうだった? 面白かった?」

「えーっ! もう終わりーっ!?」


 たちまちしょんぼりと耳を伏せる岡丸。よほど遊ぶのが楽しかったのだろう。作戦は大成功である。だが、その姿を見た瞬間、紬は不意にズキンと胸が痛むのを感じた。


(ああ……。そういえば私も、詩織伯母さんと別れるのはいつだって寂しかったな……)  


 紬は思い出す。実家では私も、自分が本当はみなしごなんじゃないかと錯覚するほどに、強い孤独感を覚えていたということを。私にとっての伯母さんのように、岡丸にとっては私が心の拠り所になったんだと、この時、紬ははっきりと悟った。

 紬はにわかに熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、岡丸の前にしゃがみこんで続ける。


「大丈夫。明日も明後日も必ず遊びに来るから」

「ほんと?」


 普段のやんちゃっぷりはどこへやら。岡丸は不安そうな顔で首を傾げる。紬は優しく微笑んで岡丸の頭を撫でた。


「ほんとほんと。約束する」

「約束? 絶対?」


 しかし、岡丸の表情は依然疑わしげだ。そんな彼の気持ちが痛いほどに分かり、紬はどうしたものかと頭を悩ませる。


(あ、そうだ!)


 その時、ある考えを思いついた紬は、興奮を滲ませた表情で、手の中の狐形代をひょいと岡丸の目の前に差し出して言った。


「そんなに心配なら、岡丸の妖力を込めた形代を持ち歩いてあげるよ。そうすれば、形代を通じて岡丸と常に繋がっていられるでしょ?」

 

 我ながら妙案だ。岡丸は驚いた様子で目を瞬く。


「え? これがおいらの身代わりになるの?」

「そういうこと。岡丸が私に話しかけたいって念じたら、この形代を通じて私に伝わるし、逆に私が岡丸に声を届けることもできるよ。便利でしょ?」


 紬がウインクすると、岡丸は「へ、へん!」と言って急にこちらから目を背けた。

 

「おいらは別に要らないけど、人間がそうしたいなら付き合ってあげてもいいよ!」


 分かりやすい照れ隠しだ。紬と千綾は顔を見合わせ、無言でくすっと笑う。


「な、なんだよ~」


 岡丸はこちらに向き直り、背中を丸めて喧嘩腰になった。紬は慌てて笑いをおさめてから続ける。

 

「ごめんごめん。じゃあ、これを岡丸の形代にしよう。――あっ。でも、ちょっと待って」


 当初の目的を思い出した紬はそこで言葉を切り、岡丸の鼻先に人差し指をすっと突き付けて言った。


「その代わり、約束してくれる? 今後はここの兎さんたちにいたずらしないって」

「えーっ? やだーっ!」


 岡丸は不満げに尻尾で石畳を叩く。うーん。やっぱりそう来るか……。ここからが交渉の正念場である。紬は気持ちを引き締めて岡丸の説得に入った。

 

「嫌なの? でも、ちょっと考えてみて。岡丸はこれまで、兎さんたちにすぐ逃げられちゃうせいで、ずっとひとりで退屈していたんでしょ? だったら、岡丸は私と遊んだ方が楽しいんじゃない?」

「…………」

「ね?」

 

 黙り込んでしまった岡丸に向かって、紬はさらに根気よく問いかける。すると、少し間を置いてから、岡丸は半ばすねたような口ぶりで答えた。  


「分かったよ……。約束する」

「よかった! ありがとう!」


 紬はホッと胸をなでおろし、再び岡丸を撫でようと手を伸ばす。しかし、今度は岡丸がさっと飛び退いたせいで、その手は行き場を失うことになった。


「へん! 気安く触るない! 言っとくけど、そっちが約束を破ったら、こっちだって好きにさせてもらうからな!」


 べーっと舌を出す岡丸。紬はニヤリと笑みを浮かべながら負けじと言い返した。


「いいよ! その代わり、岡丸も絶対に約束は守ってね!」


 ――紆余曲折あったが、これにて一件落着。依頼を受注してからおよそ一か月の長い苦闘の末、紬はようやく難題の解決に漕ぎつけたのだった。 


 ***


 紬と岡丸が約束を交わした三日後のこと。炎天下を汗だくになりながらロードバイクを漕いでいた喬は、岡崎神社の入り口に差し掛かったところでふと足を止めた。


(あいつ、いい加減、あのみなしごを手懐けられたんだろうな……)


 喬はさりげなく参道の向こうを見やり、境内の中の様子をこっそりと伺う。紬に依頼を任せて以来、彼は妖狐の見回りに出るたび、この前を絶対に通るようにしていた。


(頼むぜ……。この前なんて、わざわざ早朝から、あんたが来るタイミングで吉田山の妖狐を公園に集めといてやったんだぞ。妖狐と遊ぶために繊細な呪術の操作が必要ってことには、もうさすがに気づいているんだろう?)


 喬は心の中で紬に呼びかける。彼の目に、境内を跳ねまわる妖兎たちの姿が飛び込んできたのはその時だった。


(おっ)


 喬は期待に胸を躍らせる。その後、妖兎の群れに混ざって妖狐と紬が一緒にいるのを確認して、思わず「よしっ!」と小さな喜びの声を漏らした。予想以上に時間がかかったが、ようやくあの新人陰陽師は妖狐との遊び方を体得したようだ。


(あいつが呪術の火力を上げる特訓ばかりに注力していると知った時には心配したけれど、妖狐との遊びを通じて無事に呪術の精度を上げられたみたいだな。やっぱりこの依頼はあいつに任せて正解だったよ)


 喬は目を細め、紬が操る式神の動きをしばらく観察する。それから一つ短い吐息を漏らし、苦笑交じりに心の中で呟いた。


(しかし、あいつがここまで精密に狐の式神を動かせるようになっているとは驚きだ……。これがいわゆる天才っていうやつなのかね……)


 喬は再びペダルを漕ぎ出し、そそくさと岡崎神社の前を離れる。


「あれほどの技術……。あいつの力を利用すれば、あるいは……」


 風を切って走り出し、そう独り言ちた喬の瞳は、いつになく真剣な光を宿していたのであった。

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