ラウンド3:『神はサイコロを振るか?』~宇宙の秩序と偶然~
(ラウンド2が終わり、スタジオには一種の清澄な空気が流れている。西洋的な二元論の対立が、空海の東洋的な叡智によって、一度大きく包み込まれたからだ。しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。案内人あすかは、その静寂が新たな嵐を呼ぶことを知っているかのように、挑戦的な光を瞳に宿し、ゆっくりとクロノスを掲げた)
あすか:「境界線を引こうとする心、それを超えようとする心。皆様の探求の光と影は、私たちが何を信じ、どう世界を見るか、その精神の在り方を鮮やかに映し出してくれました。さて、ここまでは皆様の揺るぎない『信念』を伺ってまいりました。ですが、探求の最前線は、時に、信じたくもないような『事実』を私たちに突きつけます」
(あすかの言葉と共に、スタジオの中央空間に、新たなホログラムが映し出される。それは、物理学における有名な「二重スリット実験」のCGアニメーションだった。一つの電子が発射され、二つのスリット(隙間)がある壁に向かって飛んでいく。壁の向こう側にあるスクリーンには、電子がまるで「波」のように干渉しあってできた、美しい縞模様が映し出される)
あすか:「これは、量子の世界の奇妙な振る舞いです。一個の電子が、まるで自分自身と干渉するかのように、二つのスリットを同時に通り抜けたかのような痕跡を残す。ですが…」
(アニメーションが繰り返される。今度は、電子がどちらのスリットを通るかを見極めるための「観測装置」がスリットの前に置かれる。すると、スクリーンに映し出された結果は、先ほどの波のような縞模様ではなく、電子がただの「粒」として、二つのスリットの延長線上に到達したことを示す、二本の線に変わってしまう)
あすか:「我々が『見よう』とした瞬間、電子は波としての振る舞いをやめ、ただの粒になってしまうのです。『観測されるまで、その在り方は決まっていない』。これが、20世紀の物理学がたどり着いた、にわかには信じがたい結論でした」
(あすかは、ホログラムを静止させ、アインシュタインを真っ直ぐに見つめる)
あすか:「アインシュタインさん。あなたはこの結論に、生涯をかけて『No』を突きつけました。『神はサイコロを振らない』と。いよいよ、この番組の核心をお伺いします。この世界の出来事は、我々が知らない法則も含めて、全てが厳格に決まっているのでしょうか?それとも、この電子のように、本質的に予測不可能な『偶然』や『揺らぎ』が、宇宙の根底には存在するのでしょうか?」
アインシュタイン:(腕を組み、目の前の奇妙な実験結果を、まるで長年の好敵手を見るような目で見つめている。そして、やれやれ、といったように首を振り、口を開いた)「うーん、この奇妙な実験は何度見ても頭が痛くなりますな。まるで、私が見ていない時には月は存在しない、とでも言われているような気分だ」
(そのユーモアのある一言に、スタジオの空気が少し和らぐ。だが、彼の表情はすぐに真剣なものに変わる)
アインシュタイン:「ニールス・ボーアをはじめとする、コペンハーゲンの優秀な若者たちは、この『観測するまで決まっていない』という確率的な解釈を、まるで新しい物理学の福音であるかのように信じている。彼らの理論は、実験結果を非常によく説明する。それは認めましょう。ですが、だからといって、それが世界の『真の姿』だと結論づけるのは、あまりに早計に過ぎる!私には到底そうは思えないのです」
ダ・ヴィンチ:「と、申しますと?」
アインシュタイン:「少し、比喩で話させていただけますかな。例えば、ここに一枚のコインがあるとしましょう。私がそれを手で覆い隠している。さて、このコインは、表か裏か、決まっているでしょうか、決まっていないでしょうか?」
ダ・ヴィンチ:「それはもちろん、アインシュタイン殿が手を開くまで、わたくしには分かりませぬな」
アインシュタイン:「そう。あなたには分からない。ですが、『分からない』ということと、『決まっていない』ということは、全く違う!そうでしょう?コインは、あなたが見ていようがいまいが、とっくの昔に表か裏か、どちらかに決まっているのです。ただ、我々がその情報を『知らない』だけのこと。この電子の奇妙な振る舞いも、これと全く同じことではないかと、私は思うのです」
(アインシュタインは、熱を帯びて語り始める。それは、彼の物理学者としての、そして一人の哲学者としての、魂の叫びだった)
アインシュタイン:「我々の今の理論が、この電子の振る舞いを確率でしか記述できないのは、我々の理論がまだ『不完全』だからに過ぎないのです!我々がまだ知らない変数、まだ解明できていない法則…いわば、『コインの裏側を、手で隠されたままで見る方法』が、この宇宙のどこかには隠されているはずなのです。それを探す地道な努力を放棄して、『世界は本質的に確率でできている』などと結論づけてしまうのは、物理学者としての敗北宣言に他ならない!」
(彼は、天を仰ぎ、まるで誰かに語りかけるように言った)
アインシュタイン:「神様は、そんな気まぐれで、いい加減な賭けはしない。宇宙の脚本は、その始まりから終わりまで、一字一句、寸分の狂いもなく、完璧に書かれているはずです。我々は、その壮大な物語を、一行ずつ、必死に読み進めているに過ぎないのですよ。途中のページが少し難解だからといって、作者がサイコロを振って物語を決めた、などと考えるのは、作者に対してあまりに失礼だとは思いませんか?」
(アインシュタインの決定論への揺るぎない信念が、スタジオに響き渡る。その言葉を待っていたかのように、それまで黙って腕を組んでいたニュートンが、力強く口を開いた)
ニュートン:「その通りだ、アインシュタイン殿!今宵、初めて貴公と完全に意見が合ったな!」
(ニュートンは、アインシュタインに力強い視線を送り、立ち上がった。その姿は、まるで自らの信念を守るために立ち上がった、孤高の戦士のようだった)
ニュートン:「偶然だと?確率だと?馬鹿馬鹿しい!神の完璧な設計に、そのような『揺らぎ』や『不確定要素』などという、欠陥が存在するはずがないではないか!この宇宙という、寸分の狂いもなく運行する精密な機械時計が、その歯車の一枚だけ、気まぐれに、確率で動くなどということがあり得るか!断じてない!」
(ニュートンは、アインシュタインに歩み寄り、その肩に手を置こうとして、寸前で止める。その代わりに、彼は自らの信念を叩きつけるように言った)
ニュートン:「貴公の言う『隠れた変数』とは、まさに、我々のようなか弱い人間にはまだ窺い知ることのできない、深遠にして偉大なる『神の計画』のことなのだ!全ては、この宇宙が創造された、始まりのその瞬間に、全知全能なる神によって、完璧に定められているのだ!我々科学者の使命とは、その定められた計画の痕跡を、自然の中から一つ一つ発見し、その法則を記述し、それによって神の設計の偉大さを、改めて証明することにある!それ以外の道など、ありはしない!」
(近代科学の父と現代物理学の父。二人の巨人が「決定論」という一点において、時代を超えて固い同盟を結んだ。彼らが築き上げた「すべては決まっている」という強固な世界観は、まるで揺るぎない壁のようにスタジオにそびえ立ち、反論の余地を許さないかのような圧倒的な圧を放っている。案内人あすかは、その壁を前にしても臆することなく、静かに、しかし確かな声で、次の対話者に視線を送った)
あすか:「お二人の天才が、時代を超えて同じ結論にたどり着いた…。神の計画、あるいは宇宙の脚本は、すでに完璧に書かれている、と。しかし、この『すべてが決まっている』という世界に、全く違った景色を見ている方も、ここにいらっしゃるようです。ダ・ヴィンチ様。あなたはこの、完璧に秩序だった決定論的な世界を、どうお感じになりますか?」
ダ・ヴィンチ:(腕を組み、深く考え込むように「ううむ…」と唸っている。彼は、二人の天才が構築した論理の美しさに感心しているようでもあり、同時に、何か根本的な違和感を拭いきれないでいるようでもあった)「お二人の仰ることは、本当に、頭では理解できるのです。非常に論理的で、美しい。まるで、寸分の狂いもなく建てられた、壮大な大聖堂の設計図を見ているようです。その数学的な整合性には、ただただ感嘆するばかりです。しかし…」
(ダ・ヴィンチは困ったように眉を下げ、正直な心情を吐露するように語り始めた)
ダ・ヴィンチ:「しかし、どうにも、わたくしの心が、魂が、それを『然り(しかり)』と申さないのです」
アインシュタイン:「と、言いますと、レオナルド先生?その論理のどこかに、欠陥が?」
ダ・ヴィンチ:「いえ、論理ではありませぬ。あすか殿、すまぬが、もう一度わたくしのスケッチを見せてもらえますかな。今度は…そう、水の渦と、炎の絵を」
(あすかが頷くと、ダ・ヴィンチの前に、川の激しい渦潮や、風に揺らめく蝋燭の炎を、驚異的な観察眼で描ききったスケッチの数々が、ホログラムとなって浮かび上がる)
ダ・ヴィンチ:「わたくしは、こういうものを眺めているのが、何よりも好きでしてな。日がな一日、飽きもせずスケッチを続けることがあります。ご覧なさい。この渦の巻き方、炎の揺らめきは、ただの一度として、同じ形にはなりません。もちろん、そこには水や空気の流れの『理』があるのでしょう。ですが、お二人の仰るような厳格な『法則』だけでは、到底説明しきれない、何か気まぐれで、予測不能な…そう、まるで『生命』とでも呼ぶべき躍動を、わたくしはここに感じるのです」
ニュートン:「それは貴公の感傷に過ぎん。その動きも、突き詰めれば全て、原子の運動法則によって記述できるはずだ」
ダ・ヴィンチ:「本当に、そうでございましょうか?」
(ダ・ヴィンチは、静かに、しかし力強い眼差しで、ニュートンとアインシュタインに問いかける)
ダ・ヴィンチ:「もし、この美しい炎の揺らめきが、鳥の飛翔の一瞬の姿が、あるいは風に舞う一枚の木の葉の軌跡が、この宇宙が始まったその瞬間から、すべて寸分の狂いもなく決まっているのだとしたら…。そこに、わたくしたちが心打たれるような『美しさ』など、本当にあるのでしょうか?」
(その問いは、論理ではなく、感性に訴えかけるものだった)
ダ・ヴィンチ:「筋書きがすべて完璧に決まっている人形劇を見て、我々は心から感動できるでしょうか?結末が初めから分かっている物語を読んで、涙を流すことができるでしょうか?わたくしには、そうは思えない。予測できぬからこそ、その一瞬の形に、我々は二度とない奇跡を見出し、心を奪われるのではありませぬか。すべてが決定された世界とは…お二人には申し訳ないが、わたくしには、少し、退屈に思えてしまうのです」
(ダ・ヴィンチの芸術家としての魂の告白は、「論理」で構築された決定論の壁に、「感性」という楔を打ち込んだ。論理か、感性か。秩序か、美か。新たな対立軸が生まれようとした、その時。これまで静かに三者の議論を聞いていた空海が、全ての対立を包み込むように、穏やかに口を開いた)
空海:「決まっているか、決まっていないか…。退屈か、美しいか…。そのように、二つの見方で世界を切り分け、争うことそのものが、人の小さな智慧が生み出したもの、と申したら、皆様はまた、わたくしをお叱りになりましょうかな」
(その声には、全ての子供たちの喧嘩を、微笑みながら見守るような、温かさと深さがあった)
空海:(まず、アインシュタインとニュートンに向かって、静かに語りかける)「あなた方は、宇宙という壮大な物語の、完璧に書かれた『脚本』があると信じておられる。そして、その脚本の、寸分の狂いもない論理的な美しさを、深く愛でておられる。それは、誠に素晴らしい、鉄のような信念にございます」
(次に、ダ・ヴィンチへと向き直る)
空海:「そして、ダ・ヴィンチ殿。あなた様は、その物語を演じる役者たちの、その場その場の、二度とない即興の演技の輝きに『美』を見出し、深く感動しておられる。それもまた、誠に素晴らしい、水のような感性でございます」
(そして、空海は、この議論の前提そのものを覆す、核心的な問いを、その場にいる全員に、そして我々視聴者に、投げかけた)
空海:「ですが、もし…その完璧な脚本を書いている作者も、その脚本を時に即興で美しく演じる役者も、そして、『美しい』とか『退屈だ』とか言いながら、はらはらしながらそれを見ている観客も、すべてが本当は『同じ一つのもの』だとしたら、どうでございましょう?」
アインシュタイン:「…作者も、役者も、観客も、同じもの…?」
空海:「さようにございます。アインシュタイン殿、あなたのサイコロの比喩は、実に面白いものでした。ですが、その見方にも、まだ分ける心、『分別』が残っております」
(空海は、まるで掌に宇宙を乗せているかのように、空間に手を広げた)
空海:「サイコロを振る、その見えざる『手』も。その手によって虚空を転がされる『サイコロ』そのものも。そして、その出る目を、決まっているのかいないのかと固唾をのんで見守る、あなた方の『心』も。すべては、分けることのできない、たった一つの、大いなるいのちの現れなのでございます」
(空海の言葉は、静かに、しかし確実に、スタジオにいる天才たちの世界観を揺さぶり始める)
空海:「決まっているも、決まっていないも、そのいのちの働きが生み出した、水面のさざ波のようなものに過ぎませぬ。サイコロの目が『1』と出るのも、大日如来の説法。『6』と出るのも、大日如来の説法。そのどちらでもない、無限の可能性のまま、ただただ転がり続けている、その状態もまた、大日如来の説法なのでございます。我々はその、大いなる流れの一滴に過ぎず、その流れの行き先を、川の岸辺から『あちらへ行くだろう』『いや、こちらだろう』と論じているようなものやもしれませぬな。どちらも、正しく、そしてどちらも、真実のすべてではないのです」
(空海の言葉が終わると、スタジオには深淵な静寂が訪れた。「決まっているか、いないか」という問い自体が、もはや意味をなさなくなったかのように。決定論の壁も、偶然性の躍動も、すべてがより大きな「いのち」の流れの中に溶け込んでいった)
あすか:(その深遠な余韻を壊さないように、静かに、しかし確かな声で)「決定論という揺るぎない壁。偶然性という生命の躍動。そして、その二元論すらも包み込む、大いなるいのちの流れ…。天才たちの声は、私たちに宇宙の真の姿を教えてはくれません。しかし、世界をどう見るか、という多様で、豊かで、そして深遠な『窓』を、示してくれました」
(あすかは、四人の天才たちをゆっくりと見渡し、最終ラウンドへの扉を開く)
あすか:「では、これらの全く異なる世界観を持って、我々人類の『未来』に、どう向き合うべきなのか。最後の問いを、皆様に投げかけたいと思います。最終ラウンド、未来への提言です」