第3話・仮初の安息
──目を覚ますたび、現実が夢であって欲しいと願っていた。
美咲の命が散ったあの瞬間。
時空に“何か”が起きたのは確かだった。
ドーム内の研究員たちが言うには──
「高次元粒子が一時的に解放された可能性があります。極限的なエネルギーと精神的ストレスの重なりによって……時空間に歪みが生じたのかもしれません」
「簡単に言えば、あなたは“飛ばされた”んです。100年、未来に」
彼らの言葉は正しいのだろう。だが蓮司にとってはどうでもよかった。
──あの時、死んでいればよかった。
──そう思っていた。
ドームの医療施設。
治癒ナノマシンと細胞再構築処置により、蓮司の体は奇跡的な回復を見せた。
だが。
鏡の前に立つたび、彼はその表面を睨みつけたまま動けなくなる。
見慣れた戦士の顔。
幾多の死線を越えた獣のような瞳。
だが、そこに映るのはただの抜け殻だった。
“人を愛することを怖がらないで”
美咲の最後の言葉が、ずっと耳の奥に張り付いて離れない。
愛した。
全てをかけて、守ろうとした。
それでも、守れなかった。
──なら、なぜ俺はまだ生きている。
彼は夜ごと天井を見つめ、眠らずに思考を凍らせ続けた。
そんな蓮司を、そっと見守るひとりの女性がいた。
綾瀬美月。
「……また、眠れていないんですね……」
蓮司の部屋を訪ねてきた美月は、カップにハーブティーを注ぎながら声をかけた。
だが彼は無言でそれを受け取り、口をつけるだけ。
それでも美月は、めげなかった。
「私……こうして、あなたと話していても、きっと何もわかっていないんです。何に傷ついているのかも……どうしたらいいのかも……」
正面から、真っ直ぐな瞳で蓮司を見つめながら言葉を続ける。
「でも、あなたが……ずっと苦しんでいるように見えて……その理由を知らなくても、どうにかして……助けたいって思ってしまうんです」
蓮司の瞳が、わずかに揺れた。
美月は続ける。
「私には戦った経験もないし、誰かを守れるほどの力もありません。
でも、あなたが……誰かを守りたいと思えるほど、大切にしていた人がいたのなら……その想いを、否定しないで欲しいって、そう思うんです」
「…………」
蓮司は、しばらく黙っていた。
「……綾瀬」
低く、くぐもった声。
「人を愛するなとは、命令されなかった。
だが……人を愛することを、許されていたとも思えなかった。
俺たちは、殺すために作られた。
──ただの武器だった」
「……武器、じゃないです」
美月は、首を振った。
「少なくとも……私は、あなたをそんなふうに、見ていません」
それは、誰にも向けられたことのない言葉だった。
蓮司の視線が、美月を正面から捉える。
彼女の姿に、美咲は重ならなかった。
だが、その目の奥にある「諦めない心」にだけは、ほんの少し、同じ匂いを感じた。
──それでも、今はまだ。
蓮司の中で美咲の声は、「救い」ではなく「呪い」だった。
人を愛することを、怖がらないで。
──そんなことを言われたって、もう誰も愛せる気がしなかった。
ある夜、美月は一人、医療記録を開いていた。
──蓮司の体に残る無数の手術痕。
──通常兵士の10倍を超える身体能力。
──“戦闘型被験者ナンバー07・08・蓮司・鳴神”という、非公開のコードネーム。
「……あなた、一体……何と戦ってきたんですか……」
美月は知らなかった。
この世界の100年前、人間は人間を兵器に変えようとしていたという事実を。
──そして、その最先端で、心を失ってしまった男のことを。
(でも……私……)
──この人を、もうこれ以上一人にはしたくない。
それが恋ではないことは、美月自身が一番分かっていた。
ただ、どうしようもなく、気になってしまう。
彼の苦しむ顔を、もう見たくない。
少しずつでいいから、笑ってほしい。
そう願っている自分に、美月は気づいていた。
その頃──遠く離れた隔離観測施設にて。
氷のような意識の中、もう一人の“最高傑作”が目を覚まそうとしていた。
それは、かつて蓮司と肩を並べた男。
今や“敵”として歴史の闇に埋もれた、もう一人のブーステッドソルジャー。
彼の目に映るこの未来は、
救いではなく──
「破壊」の舞台だった。
(次回へ続く)