第2話・見たことのない風景
「……っ……ここは……?」
薄れゆく意識の淵で、蓮司は呻いた。
肌に触れるのは、柔らかい草と湿った土の感触。
爆音も銃声もない。
戦場ではない、世界。
彼は知る由もないが、そこは彼が生きていた時代の、100年後の未来。
彼の体は限界を迎えていた。
ブーステッドソルジャーとしての耐久性がなければ、衝撃と過去の傷だけで即死していたはずだった。
眼球センサーが作動し、自動的に周囲をスキャンする。
──酸素濃度、僅かに上昇。
──気圧、気温、大気成分に異常なし。
──未確認の光源と構造物、推定構築年数不明。
蓮司の視界に映るのは、彼の知るどの時代の建造物とも異なる風景だった。
巨大な透明ドームの天井を通して見えるのは、まるでホログラムのように揺らめく青空。
どこか人工的で、現実味がない。
都市全体が整然と、まるで呼吸をするように脈打っている。
「……未来、か……」
呟くと同時に、彼の意識は再び闇に沈んだ。
「……あなた、大丈夫ですか……?」
どこか震えを含んだ、けれど優しい声が聞こえた。
それは、耳ではなく、心に触れるような音だった。
蓮司が再び目を開けたとき、見下ろしていたのは一人の女性だった。
淡い栗色の髪を肩口で結び、白い看護服のような衣装を纏っている。
瞳は怯えていたが、それでも真っ直ぐに蓮司を見つめていた。
「君は…誰…だ…?」
「す、すみません、驚かせてしまって……わ、私は、**綾瀬美月**と申します……」
その手には、古びた医療道具と、見慣れない治療ナノポッドが握られていた。
蓮司は即座に身体を起こそうとするが、全身が警報のような痛みに包まれる。
「動いちゃ……だ、だめです! あなたの身体、傷だらけで……その……骨も何本か……」
彼女は慌てながらも、決して視線を逸らさなかった。
震える手で蓮司の額に濡らした布を当て、静かに体温を確認する。
その仕草は恐る恐るで、しかし一つ一つに真剣さがあった。
「……誰にでも、ちゃんと手当てをしないと……命は、命ですから……」
蓮司はその言葉を、どこか遠くで聞いていた。
「……命……」
──かつて、美咲も、同じことを言った気がする。
それが錯覚か記憶かも分からないほど、彼の心は破壊されていた。
感情の一切は焼き尽くされ、言葉を紡ぐ力すら失われていた。
だが、美月はそれでも彼に話しかけ続けた。
「……あの、ここは第二地球植民ドーム、セクター12です。お、落ちてきたあなたを見て、私……思わず、動いてしまって……ごめんなさい……」
申し訳なさそうにうつむく美月の声には、確かに「恐怖」があった。
だが、それ以上に「覚悟」があった。
「……でも……一人で苦しそうにしていたから、見ていられなくて……」
蓮司の中で、何かがほんの少し、動いた。
それでも、彼の口は重かった。
「……すまない」とも、「ありがとう」とも言えずに、ただ、天井を見つめていた。
その視界の中で、美月の顔が曇る。
「……嫌われたのかな……」
ぽつりと、彼女は呟いた。
違う。
蓮司の心は叫んでいた。
だがそれを口にする勇気も、気力も、蓮司には残っていなかった。
(俺は──人間に、戻っていいのか?)
心のどこかで、美咲の最期がずっと彼を責めていた。
──どうか……人を、愛することを……怖がらないでね……
その遺言は、蓮司の心を、刺すように貫いていた。
蓮司は、再び静かに目を閉じた。
美月の小さな手が、躊躇いがちに彼の手に触れたとき、
彼の頬に、一滴の涙が落ちた。
それが誰のものだったのか、彼には分からなかった。
ただ、その夜だけは、深く眠れた。
──彼も知らぬ間に、もう一人の“最高傑作”が、別の場所で目を覚ましていた。
美咲を失い、何かを壊された蓮司と同じように、いや──
それ以上に、深く、狂気に堕ちて。
(次回へ続く)