第16話・星空の下で
何度かの季節が巡った。
夜の静けさが、辺りをやさしく包んでいた。
キャンプ地。深い森に囲まれた小さな草原。焚き火の明かりが、淡く二人の顔を照らす。
パチパチと薪のはぜる音。
虫の声、風のそよぎ。
そんなささやかな自然の音が、何よりも豊かに感じられる時間だった。
近くのテントでは、小さな寝息が聞こえる。
布一枚隔てた中に眠るのは、二人の娘――咲良。
蓮司がかつて愛し、失った女性、美咲の名から一文字取ったその名を、今は新たな命へと継いだ。
「……静かですね」
美月がぽつりと呟く。
「そうだな。……まるで夢みたいだ」
蓮司の声は低く、けれど柔らかかった。
「この星空を、誰かとこんなふうに見上げる日が……また来るなんて、思ってなかった」
長い戦いだった。
あまりにも多くを失い、流した血の量を数えることすらもうできない。
そして、心から愛した人――美咲――を、もう二度とこの手で抱くことはできない。
美咲の代わりはどこにもいない。いや、誰かの代わりになれる者など何処にもいないのだろう。
それでも今ここにいる。
蓮司は、隣にそっと手を伸ばした。
すぐに、美月の手がそこに触れる。
まるで、ずっとそこにあると知っていたように。
握った手はあたたかく、やさしかった。
美月が、寄り添うように蓮司にもたれかかる。
「……ねえ、蓮司さん」
「ん?」
「時々、夢みたいに思うんです。こうして生きて、隣に蓮司さんがいて、娘がいて……星空を見てるなんて」
「夢じゃねえよ」
「……ええ、そうですね」
ふたりの視線は、夜空へ向かう。
満天の星々。
戦火のない空。
命を奪う光ではなく、照らすための光。
「……咲良、元気に育ってくれるといいな」
「きっと、大丈夫です。……優しい子ですから」
蓮司は目を細め、眠る娘のほうを見やった。
そして再び、空を仰ぐ。
胸の奥に、遠い記憶が過った。
美咲の笑顔。
あの日、守れなかった命。
ずっと心に遺り続けた痛み。
けれど――
今、隣には美月がいる。
違う誰かを愛した過去があっても、それでもこの女性が、命を賭して隣に立ち続けてくれたことは、紛れもない現実だった。
「……なあ、美月」
「はい」
「幸せ、か?」
「……はい。とても」
その言葉に、蓮司はふっと笑った。
「俺もだよ。……こんな日が来るなんて、本当に思ってなかった。だけど――」
「ええ。だから、今を大切にしたいですね」
焚き火が小さく揺れた。
ふたりは静かに、星空を見上げていた。
過去の痛みも、未来の不安もすべて包み込むような、優しい時間の中で。
ただ、手をつなぎながら――
この時代で、ようやく手に入れた、本当の「答え」の中で。