第13話・命の重み
美月を抱きかかえ、蓮司は夜の街を駆けた。
彼女の呼吸はか細く、体温もどんどん下がっていく。その小さな身体を壊れ物のように抱きしめながら、蓮司は病院の自動扉を蹴破るように突入した。
「この人を――この人を助けてくれ!!」
看護師たちが慌ただしく駆け寄り、美月をストレッチャーに移していく。何人もの医師が周囲に集まり、あっという間に緊急手術が始まった。
蓮司は何もできなかった。ただ、ただ、手術室の前で突っ立っていた。
時間の感覚が壊れていた。
何時間も経ったような気がする。
いや、ほんの数分かもしれない。
「……美咲……美咲っ……お願いだ……」
声が震える。喉が詰まり、思わず壁に手をついて崩れ落ちる。
「連れて行かないでくれ……美月を……っ!」
自分でも信じられないほど、情けない声が漏れる。
もう限界だった。
蓮司の身体は、既に限界を超えていたのだ。無数の裂傷、骨折、内出血。常人ならとっくに命を落としていた。今まで動けていたのが、奇跡だった。
ゆっくりと意識が遠ざかっていく。
視界が滲み、手術室の光がぼやけて揺れる。
「……美月……」
最後に、愛しいその名を呼び、蓮司は深い闇へと沈んでいった。
* * *
目を開けた。
見慣れない天井。白い光。消毒液の匂い。
蓮司は、ゆっくりと自分が病院のベッドに寝かされていることを理解した。
「……俺は……」
思い出す。美月が、銃弾に倒れた。
自分が、叫びながら病院へ運んだ。
そして――意識を失った。
「……ちくしょう……!」
身体が悲鳴を上げる。肺が焼けるように痛い。
それでも、彼はベッドから身を起こそうとする。
倒れた。全身の筋肉が、皮膚が、骨が拒絶する。
それでも――蓮司は這いつくばる。
「行かなきゃ……美月が……!」
腕を引きずり、足を擦りながら、手術室のある廊下へ向かって進む。
そのときだった。
「……蓮司……さん?」
耳に届いた、あまりにも優しい声。
蓮司は全身に衝撃を受けたかのように顔を上げる。
「……美月……?」
ベッドの隣。カーテン越しに、呼吸器の音が聞こえる。
よろけながら、無理やり立ち上がり、蓮司はそのベッドに近づく。
そこに――美月がいた。
酸素マスクをつけ、身体から管を伸ばし、顔色もまだ青白い。
だが、その頬には、ほんのりと朱が指していた。
「……美月……!」
声にならない。言葉が、出ない。
感情が、胸にこみ上げすぎて、ただ涙だけが瞳に溜まっていく。
美月はかすかに微笑んだ。唇が震えるように動く。
「……あの時……撃たれた後……どんどん意識が遠のいていって……もう駄目だって……そう思ったんです……」
蓮司は、じっと耳を傾ける。ひと言も漏らさずに受け止めたかった。
「……でも……蓮司さんの声が……聞こえました……だから私……絶対に死ねないって……そう思ったんです……」
「美月……」
「蓮司さん?」
蓮司は、声を震わせながら泣いていた。
――涙なんて、とっくに流れなくなったと思っていた。
あの日、美咲を失ったときに、すべて枯れたはずだった。
けれど今、確かに流れている。止まらない。温かい涙が。
「……ありがとう……生きていてくれて……!」
蓮司は、美月を抱きしめた。
壊れてしまわないように、そっと。
震える腕で、彼女の身体を包むように、優しく。
美月の瞳が見開かれ、驚きに頬が染まる。
だが、蓮司の震えを感じ取ると、そっと腕を伸ばし、彼を抱き返した。
「……大丈夫ですよ……私、ここにいますから……」
蓮司はそっと、美月の呼吸器をずらす。
本来なら許されないことだろう。
でも――今だけは。
蓮司は、美月に唇を重ねた。
一瞬、彼女の身体がぴくりと硬直する。
だが、すぐにその緊張は解け、美月はゆっくりと蓮司の首に手を回す。
自らも、唇を重ね返した。
優しく。
甘く。
互いの生を、確かめ合うように。
二人の時間が、そこで、静かに流れていた。
それは、生きるために戻ってきた男と、愛のために生き延びた女の――最初のキスだった。