自分の持つ武器を使って戦うの
「最低っ!!」
その一言が、まるで鋭い矢のように会場を貫いた。
私が目を見開く間もなく、リアナ・アンジールが手に持っていたシャンパンのグラスを振りかけてきた。冷たい液体が私のドレスに浴びせられ、ひんやりとした感触が一気に広がる。
どうしてこんなことになったのか、理解が追いつかない。
…完璧な私が、この小生意気な男爵の娘にシャンパンをぶっかけられなきゃいけないの?
「私のオリバー様を返してちょうだい!!」
必死な叫びが耳に残り、キーンと耳障りな声が頭に残る。
「どうか落ち着いてくださいリアナ嬢。突然、どうされたのですか? みなさん驚いていらっしゃるじゃないですか」
私は冷静に声をかけた。それでも、リアナ嬢の怒りは収まらないようで、その目はさらに鋭く私を激しく睨みつける。
「しらばっくれたって無駄よ!!」
「そう言われましても…」
落ち着いてください。と、諭せば諭すほどリアナ嬢は激昂した。
あぁもう、うるさい。私が質問しているのだから、ちゃんと答えなさいよ。
リアナ嬢の叫びに、会場の雰囲気が一気に凍りつく。
周囲を軽く見渡し、公爵やお父様、アナスタシスの姿はどこにも見当たらないことを確認して、少しだけ安心した。年に一度の大事なパーティーで騒ぎを起こしてしまったとなれば、ティアルジ公爵に合わせる顔がないわ。
それに、アナスタシスにはシャンパンで濡れた、不細工な私は見せたくない。
シャンパンで濡れたドレスを見て、また少し怒りが湧き上がる。
せっかく準備してきたのに。でも、アナスタシスが贈ってくれたドレスでなくて本当に良かった。
⋯⋯だって、あれは私の持っているどのドレスよりも高価なものだから。そう、理由はそれだけよ。
だからといって、今着ているこのドレスが汚れても良いということにはならない。
今日は公爵様の誕生パーティー、普通の舞踏会とはわけが違う。上等なドレスには変わりないし、それに合わせたアクセサリーだって、それなりの家が立つほどの値がするものだ。
あぁ、本当に最悪。
「貴女のせいでオリバー様が私と婚約を解消すると言ってきたのよ!」
...はい? それが私になんの関係があるっていうのよ。
「あら、それはまた大変なことになりましたね」
『レティシア嬢がオリバー子爵を?』
『まさか!レティシア様にはアナスタシス様がいるじゃないか』
『いえ、でもわたくし聞いたことがありますわ』
『レティシア様は、悪女のようなお方だって!!』
周りにいる貴族たちからの陰口が聞こえてくる。
悪女⋯⋯確かに、一部の令嬢たちからはそう呼ばれていると聞いたことがあるわ。
こそこそと憎たらしい、不満があるなら直接言いなさいよ。隠れてこそこそ話すなんて情けない。
「なに他人事言ってるのよ、貴女がオリバー様をたぶらかしたせいでしょ?!」
「はて、何のことを言っているのか私には全く…」
顎に手を添えて、こてん。と、首をかしげてみると。
ひそひそと噂をしていた人々の中の男性たちは“なんてかわいらしいんだ…”と、情けない声を漏らした。
そうです、私かわいいの。
だから、さっさとみんな、私の前から消えなさいよ。いつもの都合の良い人間に戻ってちょうだい。
「っ...! 貴女の笑顔はいつも作り物! 男に媚びてばっかり! その角度も自分がかわいいと思ってやってるんでしょう?!」
「そんなことはけして、」
まぁ、正解だけど。
うーん、残念だけど百点はあげれないわね。
半分正解、半分不正解。リアナ嬢、あんたは五十点くらいよ。
笑顔が作り物なのはホント、でもそれ以外は違う。
だって私は、わざわざ意識しなくってもかわいいからね。
”男爵の娘のくせに生意気なのよ、誰が好き好んで子爵の男なんか相手にするわけ?!このブ―――ス!!!”
本当は、そう言ってやりたいけど。
…無理ね、私のキャラじゃないし。
「ですが、リアナ嬢を不快にさせてしまったのなら謝罪いたしますわ。本当に申し訳ございません。あぁ、ごめんなさい。嫌だ私ったら、皆様の前で涙を流してしまうなんて」
『レティシア嬢が泣いているぞ!』
『やっぱりリアナ嬢の言っていることは嘘だったんだ』
『なんて可哀想なお方だ』
…同情を誘うのは簡単。
少し涙を見せて、反省したふりを見せれば良い。
真実を覗けば、どちらが悪いかなんて一目瞭然。
でも、今は真実かどうかなんて関係ない。後々正されたって一度人の記憶に残ったものは中々書き換えることはできない。
小綺麗な容姿をした人間が、初対面で好印象を持たれることと同じこと。
大切なのは第一印象、そのあとはどうにでもできてしまう。
その点は、私は問題ない。
昔から、私が泣いて怯まなかった人は居ないもの。
全部計算、計算、計算。
私はいつだってかわいいを演じて見せる。自分の持っている武器を使って、戦うの。
この社交界では、自分の持つ才能をうまく使いこなせる人が勝つのよ。
貴女はそれを理解できていなかった。
理性を失って、感情のままに行動してしまった。その時点でリアナ嬢、貴女は私に負けているの。
「ごめんなさい、失礼いたしますわ」
目に大粒の涙を溜めて、口元に手を添える。
顔を隠すように見せて、肝心なところは周囲に見えるように。
「ちょっ!待ちなさいよ!」
はい、謝ってあげたんだからもうこれでいいでしょ。
涙を流してこの場を去る、これが私ができる一番の対処。
男性たちからは同情が買えるし、よっぽど馬鹿じゃない令嬢たちからは少しくらい同情してもらえるでしょ。
おしまいおしまい! さっさと家に帰ろう、美味しいご飯食べて甘いお菓子食べてゆっくり寝る!
そうしたら、このイライラも少しは落ち着くはずよ。
とは言ったものの…
「お父様、まだかしら」
今日のティアルジ家のパーティーにはお父様と来ている。恐らく別室で友人たちと政治の話でもしているのだろう。
馬車は一つしかないから帰ることはできない。かといって飛び出してきた手前、会場に戻ることもできないし。
私はふらふらと歩き、パーティー会場の裏にある静かな庭園へと向かった。
暗がりの中、冷たい風が私の頬をかすめる。シャンパンで濡れたドレスが、体にまとわりつき冷たさが身に沁みていく。
庭の一隅にあるベンチに腰を下ろし、ため息をつく。たった数分でこれだけ冷え込むなんて。
会場を去る際、見覚えのある令嬢たちの声がよく聞こえてきた。
「自業自得」だとか、「やっぱりそうだったのね」とか、挙句の果てには「私はわかっていましたの」なんて言っている人も居た。
あんた達に、私の何がわかるっていうの?
心の中で本当にムカつく! と、怒っていると。
突然、背後から声が響いた。
「レティシア・フォンディア!! やっと、見つけたわ!!」
声を聞いた瞬間、身体がピクッと反応した。
冷たい空気の中、怒気を含んだその声に、無意識に身構えてしまう。
リアナ・アンジール――あの女の声だ。