9話 合同実習
ゲームヒロインのセリアが転生者かもしれない。
そう感じたエミールはセリアへの探りをより深めていた。とはいえ情報源はルイの闇魔術による諜報紛いに依存気味であるが。現在は彼女の交友関係を調査中だ。
本人やゲームでのメインキャラクター達に照準を合わせられるなら、それが一番手っ取り早いのだが、魔力、魔術に長じる大貴族相手では、魔術による諜報活動はすぐに察知されてしまう危険がある。尾行などの行為も、彼ら大貴族にとっては慣れたもので、これも素人ではあっさり露見するか撒かれて終わりだろう。
最悪の場合、彼らお抱えの隠密か何かに捕らえられるかもしれない。ゲーム内でそういった存在には触れられていないが、ファンタジーなこの世界では、生徒に紛れた影の者や学友兼護衛の者が居ても、不思議ではなかった。
──前世の悪役令嬢モノでも、よく見たからな。
そう思って、エミールは慎重に行動する。あくまで大多数の生徒と同じく、興味本位や今後の貴族社会を生き抜くために調べている、という態度を崩さないよう心掛けなければならない。
しかし当然ながら、これでは情報収集の手段が限られてしまい、風説ぐらいしか手に入るものがなかった。結果、ルイの闇魔術に頼り切りとなる。それでも得られた情報は限定的だった。
「王太子殿下とは可もなく不可もなし。近衞騎士の息子テオドールも、挨拶を交わす程度と……」
エミールは一人、人気の無い図書館にて、ルイを経由して手に入れた情報をノートに書き込む。傍目には自習か何かにしか見えないため、たとえ人に見られても怪しまれる心配はない。
「誰も彼も当たり障りない関係で、特別親しいという人間はいない、ね。まだゲームストーリーも学園生活も序盤だからか?」
口に出すことで情報を整理していくエミールは、顎に手をやる。
「でも転生者なら、もっと派手な動きがありそうなもんだが。転生モノってそういうもんだし」
そう己も転生者であることを棚に上げて言った。
銀行設立を最大の根拠に、セリアが転生者であるとエミールは確信しているが、それを深める要素が学園入学後には見られない。まるで意識的に尻尾を隠しているようだった。
更に彼女は積極的な交流どころか、他者との関わりを拒絶するかの如く、放課後は単独で学園外の森へと消えるのだという。森の中から度々魔術行使による魔力反応が見られることから、自らの才に驕らず、魔術の鍛錬をしているとの噂だが、真偽は分からない。
「まさか、他に転生者がいる可能性を警戒して……? だとしてもここまで徹する必要性は……あ」
思考の末に一つの可能性へ思い至る。
「そういえば、そろそろアレが起きるのか」
初夏のある日。森の中にざわめきが満ちていた。時折かちゃ、がちゃと硬質な音も混じる。そこには大勢の若者がいた。
見えるのは、制服を身に纏って剣を腰に下げたり槍や弓を持つ騎士科の生徒達に、魔杖や魔術書を携え、服の上にローブやケープなどを羽織った魔術科の生徒達といった、戦闘技能を有する者ばかり。
そして全員が例外なく、新入生である。エミールもその一員だが、隣にはルイもいた。
「いよいよ合同実習だね」
「ああ」
学園における合同実習とは、騎士科と魔術科の生徒が臨時の隊を組んで行う、魔物との実戦である。ゲーム内でも、戦闘のチュートリアルやイベントとして合同実習が登場していた。そして入学して初めての合同実習は、チュートリアルにして序盤の重要な戦闘イベントでもあった。
──アレは確か実習が終わりそうになったタイミングだったか。
己の身長とそう変わらない程度の槍を担ぐエミールの瞳に険が宿った。だがルイの声を耳にしてすぐさまそれを解く。
「エミールは魔物を見たことある?」
「いや、無いな。他の新入生も大体そうだろう。ただ騎士科の生徒はほぼ全員が貴族に騎士、軍人の家柄だから、野外、野営慣れはしている筈だ。親類の狩猟や訓練、任務とかに同行することが少なくないからな」
「エミールも?」
「ああ、ウチは辺境伯の中隊を率いる家だから、俺は訓練や国境警備に向かう父親の副官をやってた。それで野宿にも慣れてるが、流石に魔物と出会したことは無いな」
この世界の魔物は、どこにでも生息しているというわけではない。かつては集落が度々襲撃される程の深刻な脅威であったというが、国家が成熟し人間の勢力が広がっていくに連れて、ほとんどの魔物は森の奥や山中などへと追いやられ、今や狼か熊と同程度の遭遇率と脅威度しかなかった。
そのため、街道に沿っての国内移動では基本的に魔物の脅威に晒されることは無く、人里離れた場所であっても、隊商や軍の部隊といった大集団であれば、襲われることは稀である。故にエミールも魔物と遭遇した経験は無い。
また竜を始めとする強大な魔物も、その生息域を避ける形で人間の生活圏を広げるなど、人の手に負えない魔物とは遭遇しないよう大昔からあれこれ思慮されており、魔物による被害はあまり多くない。無論、騎士団などによる努力も大きかった。
「普通はそうだよね。それに騎士団が魔物のいる森を定期的に巡回をしてるから、そうそう人が襲われることも無いし、こういう実習でもない限り魔物と戦うどころか見ることもできないだろうね」
ルイの言葉に頷きつつも、エミールは心中で異なる見解を出す。
──まあ、これからは状況が違ってくるわけだが。
ゲームストーリーでは魔物が活発化して、度々死傷者が出る程の緊迫した状況になっていた。それでセリアやメインキャラ達が学園生活の傍ら魔物退治に精を出すようになる。そのきっかけが今回の合同実習で起きた事件だった。
一〇〇に近い生徒達が談笑に興じる中、やがて教師陣が数十人の上級生を連れて姿を現した。自然と会話が静まっていく。ひとまずの静寂が得られたところで教師の一人が口を開いた。
「これより合同実習を開始する。今回は諸君らにとって初めての実戦、とはいえ気負う必要は無い。この森に生息する魔物は低級ばかりである上に、監督者として一つの隊に上級生が一人付き添う」
そう言って後ろを振り返る。教師陣の背後には武装した上級生達が整列しており、壮観な光景が広がっていた。首を戻した教師がまた声を張る。
「それでは各自パーティを組み、上級生を指名し、時間内で可能な限り魔物を討伐せよ。何のために開始まで一時間の猶予を与えたのか、理解していなかった者は居ないだろうな? では始め!」
開始の号令を受けて生徒全員が一斉に動き出した。
これまでのまだ短い学園生活で育んだ人脈や実習直前の短い交流、更には入学前からの家の付き合いといった縁故──つまりはコネ──を総動員して、生徒達がそれぞれ隊を組んでいく。実習の監督者となる上級生の指名も、ほとんどは生家に纏わる縁故に基づくものだった。
コミュニュケーションが不得手な、いわば陰の者にとっては理不尽極まりない状況に、エミールは苦笑する。
とはいえ学園に通う者の大半は、上流階級か富裕層の出身であり、社交が必須な未来が待っていることを思えば、この程度こなせなくては将来生きていけまいという学園の意識の表れでもあった。
そしてエミールの場合、隊には当然の如くルイが先の雑談のままくっ付いていたが、それ以上の人員は一人も増えていない。元々は同じ騎士科の軍人家系生徒と組むつもりであったが、やはりルイの存在がまずかったらしい。
実習前こちらから彼らへ話し掛ける前に、ルイがエミールの傍へ来てしまったため、開始前の根回しが出来なかったのもあるが、それ以上に王国一の腫れ物たるルイと関わるのを避けられた節があった。結果、隊はエミールとルイの二人だけになってしまう。
ただエミールとしては、彼ら軍人家生徒の行動と心理について十分理解と納得をしている。かつての自分も同じ立場ならそうしただろう、と。貴族のみならず、軍人家系の人間にとっても、ルイの身の上は厄介なものだった。
幸い監督役の上級生については、同じ辺境伯領の人間で、かつ自身のセルジョン家の上役とも言える軍人家の生徒が居たため問題は無かった。
──やはり、どんな時でもコネは強い。上流階級たる者、これが無きゃ生きていけないのを実感するな。
そういう意味では、この即席編成による魔物討伐は社会的実用性の高い実習と言える。
生徒達は五、六人以下で隊組むと、それぞれ思い思いに森の奥へと進み出した。エミールとルイも、上級生を背後に連れて歩き出す。しかし、進めど進めど鳥の鳴き声や枝葉の擦れる音しかなく、魔物どころか動物の姿さえ無かった。
「全然いないね」
「そりゃ、あれだけの人間が集まって動き回ってるんだ。警戒されて当たり前だろう。出て来るのは、もう少しそれぞれのパーティがばらけていってからだな」
「数十のパーティだもんね。なら結構時間は掛かりそう……お?」
がさがさと茂みが動く音に、会話と歩みが止まる。
「え、もうかよ」
エミールは担いでいた槍を両手で構えた。森の中でも取り回しやすい、一メートル半を超える程度の短槍。その簡素な穂先が向けられた先、生い茂る草葉の中から何かが飛び出す。
姿を見せたのは、鱗を持たないトカゲのような魔物だった。黒い体に黄色の模様を持ち、トカゲとは異なる太い指を短く伸ばした四肢を慌ただしく動かしている。
「サ、サラマンドラ!」
ルイの驚きにエミールは前世の記憶を手繰った。サラマンドラはゲーム序盤から登場する魔物で、いわゆる雑魚敵の一つである。確か火を吐いて攻撃していた筈だと、エミールは警戒心を強めた。
猫よりは大きい四つ足の魔物は、こちらに驚いたように目をぱちくりとさせ、どこか愛嬌のある顔を傾げる。
次の瞬間、サラマンドルの首に槍先が突き刺さり鮮血が噴き出た。
ぐぎゅうと苦しげな断末魔を上げた小型の魔物へ、エミールは槍を更に押し込み、捻ってから引き抜く。動きが一切無くなったのを見てから、槍先に付いた血を振り払った。
「……容赦無いね」
「命のやり取りする相手にいるか? そんなの」
思わずといったルイの言葉に、素っ気なく返す。槍を肩に乗せて歩みを再開しようと時、またも前方で茂みが騒ぎ出した。木の根の陰から、もしくは草を掻き分けて、サラマンドルが二匹、三匹と姿を見せる。
「おいおい、急にどんどん来るな」
エミールが槍を構え直したが、背後で何か不穏な気配が突然出現したのを感じ取って振り返る。
真っ黒な魔力がふわりと浮いているのが見えた。