8話 諜報
翌日、爽やかな朝日を浴びても全く気が晴れないエミールは、鬱屈したまま登校する。受講中も気分は沈んだまま。昼の寮の食堂にてルイが隣席して初めて、少し心が和らいだ。現時点ではルイがすぐに自分から離れることはなさそうだと。
そんなエミールの心情を他所に、ルイは朗らかな面と声で語り始める。
「セリア様のことだけど、色々分かったよ」
セリアの名にエミールは身構える。ストーリーへの修正力か何かが働いていないか、再び不安がにじり寄った。
「まず才色兼備って褒め称える声が少なくないのが目に付くね。これは貴族や富裕層の人間であれば多少知っているけれど、より具体的な情報を手に入れたよ」
「……例えば?」
「魔術に関してはやっぱり大貴族とあって学園でも上位みたい。属性関係無く使いこなせるって」
それはそうだろうなとエミールが頷く。
ゲームでも、プレイヤーキャラであるセリアは全属性の魔術を習得可能だった。この世界がゲームと同じである以上、セリアに優れた魔術の才覚があるのは当然と言える。そもそも魔力の量と質に優れた血筋が、王侯貴族として君臨してきた世界なのだから、そうでない方がおかしい。
一人納得するエミールの耳へ、更なる言の葉が訪れる。
「成績についても優秀と評判で、教師達も彼女を高く評価してるって。それに幼少期から礼儀作法はもちろん、基礎学習や魔術も家庭教師が舌を巻く程の早熟だったそうだよ」
これを聞いたエミールはまたもや頷く。ゲームでもセリアは才女として描かれていた。幼少期がどうだったかは、ストーリーで深く触れられることはなかったと記憶しているが、秀才であればその早熟さも特段おかしいとは思えない。
しかし、次に飛び出た話は耳を疑うものだった。
「それに銀行の設立にも関わっていたって聞いた」
「何だと、初耳だ」
エミールの顔色が変わる。
この国において、銀行という金融機関は最近誕生したばかりだった。それ以前は個人経営の両替商が、大量の現金を持ち歩くことを嫌った商人などから金を預かり、それを元手に貸付を行う程度で、銀行のような融資は行なわれておらず、手形取引も一般的ではなかった。
それが突然、王家によって国立銀行が設立されたのだ。
これまでは事業を立ち上げたり拡大させるには、貴族や大商人を始めとする資産家や組合などとの伝手を築いて投資を引き出さねばならなかった。ところが、新たに誕生した銀行が行う融資によって、事業者の資金確保のハードルを一気に押し下げた。おかげで王国の経済活動は年々活発になっている。
「銀行が設立されたのって、三年前なのは覚えてる? まだ十二歳だったセリア様が銀行を考案して王家に献策したそうだよ」
とんでもない話にエミールは目を剥いた。ルイも神妙な表情を作る。
「信じられないのも無理ないけれど、事実みたい。情報通な貴族や豪商の会話を聞く限りはね。とても子供とは思えない聡明さで、まるで最初から大人として産まれたみたいだって評判だったそうだよ」
「そうか……ってどうやってそんな話を聞いたんだ。小耳に挟むには情報が濃すぎるぞ」
いくら王の血を引く人間とはいえ、認知もされず冷遇されているルイが、貴族社会とのパイプや独自の情報網を持っているとは思えない。するとルイは、何でもないかのようにさらりと言う。
「目標の影に仕込む闇魔術で、寮住まいじゃない学園生徒やその周囲の会話が聞けるようにしてただけだよ」
彼の立てられた人差し指の先に黒い靄が現れる。そしてそれは足元へひょろりと落ち、影の中に吸い込まれていく。
「魔術に長けた生徒や先生に気付かれないよう、下校中の中下級貴族や平民の生徒にこっそり魔術を仕掛けるのは中々大変だったけど、上手くいったよ」
それ、盗聴じゃねぇか。ルイの行動にやや引きつつも、エミールはつっこみそうになるのを堪えた。
彼の行動が役立っているのは事実だ。思いもよらない情報が手に入った点は、確かに喜べる。倫理に多少目を瞑る必要があるとはいえ、だ。しかし、流石に彼をそうさせた責任があるため、釘を刺すのだけは忘れない。
「ルイ、その魔術を使う時は絶対に信用の置ける人間に相談してからにしろよ」
「え、うん」
ルイの気の抜けた返事を聞き届けたエミールが、こめかみに人差し指を当て情報を反芻する。
入寮以前のエミールは、まだこの世界が乙女ゲーム『クリスタル・コシュマール』であることに気付くどころか、転生者だとの自覚さえなかった。そのため、三年前に銀行が設立された時も、前世の記憶がちらついたことによる謎の既視感を感じた程度で、特に何も思う所は無かった。
だが、今にして思えば奇妙でしかない。ゲーム内でのセリアは確かに聡明であったが、齢十二で銀行を考案するなどストーリーには一切無かった。
──まさか……いやむしろそう考えない方が不自然だ。
はっとなったエミールの中で確信めいた疑念が湧き出る。
セリアは……転生者の可能性が高い。
一度その疑いを持つと、次から次へとそれを補強する思考が馳せ参じた。
セリアが幼少期から最初から大人だったかのように早熟で聡明というのも、ゲームキャラクターとしての設定というより、転生者だと考えればそれも納得がいく。
銀行も前世の知識を使えば、公爵家という強大な後ろ盾がある以上、少女でも設立は可能だ。公爵令嬢にして王太子の婚約者という肩書きも、王家への献策を容易にしてしまう。
その考えに至ると、セリアに転生したであろう者の発想にエミールは感心しきりとなった。
いくら前世の知識があるといっても、果たして自分が同じ立場になったとて、銀行創立を思い付くだろうか。そしてそれを断行出来るだろうか。前世の知識を、公爵家の人間として人々のために役立てているというのは、素直に素晴らしいと思う。
そう同じ転生者として、エミールは心中にてセリアを純粋に讃えた。
ただルイを前に彼女を称賛するのは避け、沈黙を続けた。口をつぐむ理由としては、二つ。まずルイのエミールに対する感情を逆撫でないように、今一つは彼のセリアへの感情が未だ読めないためだ。
押し黙っていたエミールは思い切って、重い唇を持ち上げる。
「なぁ、ルイ。その……セリア様のことをどう思う?」
彼に視線を向けたり外したりを繰り返しながら、反応を窺った。気にはなる。が、かといって直視するのも少し怖い。エミールから落ち着きというものがぽろぽろ崩れ落ちていった。
一方のルイはきょとりと目を少し丸める。そして軽く首を傾げて答えた。
「どう……って?」
「ほら、聡明で綺麗な方だし、学園中の憧れって感じの人だし……」
位置が定まらなかったエミールの瞳が、やがて首と一緒にそっぽを向いて、ぎこちない言葉を紡ぐ。流石にそれでルイも察したらしい。悪戯っぽく、にやりと口角を歪めた。
「ええっ、エミールってば、もしかして僕がセリア様に魅かれて離れちゃうとか思ってる?」
ほとんど図星を突かれ、エミールが固まる。途端、ルイの口角と目尻の角度がより丸みを帯びた。石像と化していた茶髪の青年の目だけが、ぎぎぎと動いてそれを確認すると、すぐに逸らす。同時に羞恥の色がみるみる現れた。己の杞憂と空回りを自覚したエミールは、首から上が火照るのを止められない。
「ふふふ」
含み笑いと生暖かい視線に、エミールはますますいたたまれなくなり、叫ぶ。
「だあぁぁっ、この話は終わり! ルイは今後もセリア嬢について探ってくれ、以上!」
無理矢理話を中断させる以外、この時のエミールに出来ることは無かった。




