7話 後悔
古来より、『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という。戦闘訓練の翌日、エミールはゲームキャラ達の情報を積極的に集め始めた。
まずはやはりヒロインであるセリアから。彼女がゲームの中心である以上に、この先ルイが最も深く関わる人物であればこそ、後回しにする理由なぞない。
エミールは学園内にて耳をそばだて、さりげない形で他の生徒に探りを入れる。といっても、王国最上位の大貴族の令嬢にして、王太子の婚約者ともなれば、探るまでもなくある程度の情報は勝手に向こうからやってきた。
王国の大貴族シェグラン公爵家の長女として生まれ、幼い頃より王太子の婚約者に相応しい人物となるべく教育され、そしてそれを見事に体現した女性。当然学園でも毎日の様に話題となっている。
「入学試験を首席で突破されたとあって、やはりセリア様の秀才振りは抜きん出ておりますわね」
「ええ、魔力量は当然ながらその扱いも素晴らしいと聞き及んでいます。是非一度その御様子を拝見したいですわ」
学園の御令嬢方がそんな会話を交わしたかと思えば、男子生徒らはセリアの婚約者である王太子を絡めて話題にする。
「殿下とセリア嬢、本当にお似合いだよな。実力も外見も学園トップクラス、理想の男女って感じでさ」
「そりゃあ、王太子殿下に公爵令嬢ともなれば、そうじゃない方が問題だろ」
セリアの評判は能力だけでなく、麗しい見目も話の種であった。夕陽に輝く麦が如き金の長髪によく整った紅顔、そしてエメラルドの緑眼。誰もが彼女の容貌を褒めこそすれ、悪しき様に語ることは決して無い。
このようにセリアの人物評は、才貌両全の一言に尽きた。そのため男女問わず人望篤く、噂ではファンクラブ的なものまで組織されたとかいないとか。
一方で、どんな好人物であろうと人気者には、嫉妬や反発、やっかみが付き物。セリアも例に漏れず、シェグラン公爵家との関係が良いとは言えない貴族派閥の生徒を中心に、反セリア感情を持つ者達も学園には居る。
表立ってセリアに対する攻撃的な言動を学園内で見聞きすることはないものの、彼女の話題を耳にすると身に纏う雰囲気をぴりつかせる生徒は、エミールもたまに見掛けていた。
貴族社会の空気は、学園の中にも確実に流れている。
「学園は社会の縮図か。全く何が『身分に拘らず、広く開かれた学園』なんだか……」
誰もいない階段を降りながら、エミールが口から呆れの言葉を漏らす。流石に貴族、官僚同士の権力闘争や豪商、富農の商業戦争がそのまま学園に持ち込まれることは無い。が、対立構造や駆け引きは、ある程度生徒にも受け継がれていると言えた。
「俺も他人のことは言えんか……軍人家系の派閥だってあるし」
エミールの口より今度は溜息が溢れる。事実、彼も軍人家同士による派閥に属していた。
今はまだ、騎士科の同窓である軍人家生徒らと繋がる程度だが、今後は本格的に派閥の中に入っていくことになるだろう。
軽く首を振って、エミールは自らの立ち位置に関わる思考を一旦追い出そうとする。が、ふともう一つ己に関わる事柄を思い出した。ルイと友人関係を築くきっかけとなった、他学生からの嫌がらせだ。
暴言を吐かれていた彼を助けてから、浅はかならぬ関係となったエミールに対しても、上級生が突っかかてきた例の事件。あの時、ルイが不気味な闇の魔術を行使して上級生を追い払ったことが学園に広まっているのか、あれ以降、ルイもエミールも他の生徒から直接的に敵意を向けられていない。
恐らく、闇の魔術が抑止力となり、二人へ手を出してはならないと思われているのだろう。おかげで今のところ、不快な思いをすることはない。大多数の生徒から距離を取られ、新たな交友を築きにくくもなっているが。
もしやこの先、ルイ以外の友人どころか知り合いさえまともに作れないのでは……。ただでさえ不安な学園生活の将来に、更なる不安が重なるが、無理矢理それを頭から追い出し、セリアへの探りを再開した。
風評よりも深い情報、性格や人間関係などといった人物詳細を得るべく、彼女をよく知るであろう生徒を探していく。狙い目は彼女のファンだ。
貴族子女を中心にセリアを慕う生徒は少なくなく、一部はファンクラブ化していると噂されている以上、それを情報源として利用しない手はない。
そう思ってエミールは、セリアファンへの接近を試みた。試みようとした。自分もセリアにそこそこ興味があるのだと、他生徒に話し掛け、そこから取っ掛かりを作ろうとしたのだ。
が、エミールの肩を強く掴んでそれを止める者が一人。ルイである。肩をがっちりと捕まえた彼は幽霊のような無表情で周囲を威圧し、エミールの前から生徒を去らせてしまう。そして凍える声色で肩越しにエミールを問い詰め始めた。
「エミール……何やってるの?」
「いや、その、セリア様のことをちょっと知ろうかと」
「何で?」
「ほら、王太子殿下の婚約者ってことは次期王妃様なわけで、誰だってどういう御人か気になるもんだろ」
背筋が冷えていくのを感じて、思わずしどろもどろに答えていくエミールに、ルイは追撃の手を緩めない。
「それ、わざわざあちこちで聞き取りにいったり、こそこそする必要あるの?」
「えーと……」
「ねえエミール、何でそんなことをしているのかな」
エミールは振り向けなかった。冷え切った響きに背中がじわりと湿る。肩に置かれたルイの手が、ぎゅっと肉に食い込み始めた。
「何で……」
彼の声に冷たさとは別の黒いものが混ざり始めたことを察し、エミールはどうにかして流れを変えようともがく。
「る、ルイはセリア令嬢について何か知っていることはあるか?」
ルイに気を遣って、先程と違いセリアをより突き放した呼び方をした上で問うてみる。返事は無い。焦燥を募らせるエミールの乾いた舌が必死に動いた。
「ほら、お前は……言い辛いが、出自の関係で王宮に居たこともあるし、シェグラン公爵家に関する情報を耳にしているかもだろ。上級貴族しか知らないことは、俺にはどうにもならんからな。そこは伝手か何かあるかもしれないお前しか頼れん」
「……僕しか、頼れない……? 本当に……?」
口から飛び出た半分でまかせのような言葉に、ルイが食い付きを見せた。その天から降りた蜘蛛の糸に、エミールは迷わず飛び付く。
「ああ! 上級貴族の間で語られているセリア嬢の話を教えてくれ、ルイにしか出来ないことだ」
ようやくここでエミールが振り返った。目に飛び込んできたルイの表情は、喜色満面。陰の一つもないそれにエミールは安堵する。
「セリア様に関する情報を集めれば、エミールの役に立てるんだね、分かった! 任せて!」
ついさっきの闇深い雰囲気から一転、どこまでも明るい様子のルイは、ずっとエミールの肩に喰らい付いていた手をやっと離した。解放されてほっと一息のエミールであったが、余裕を取り戻した途端、また別の不安に襲われる。
その場凌ぎでルイにセリアの情報収集を依頼してしまった。セリアに近付いた彼が、彼女を調べていく内に魅かれ、ゲームのストーリー通りにセリアへ執着してヤンデレ化してしまうのではないか。そんな悪い予感が頭をよぎる。
「頑張るね! 明日の昼には報告出来ると思うよ」
「え、早すぎないか」
「それじゃ、早速仕込みに行ってきます!」
笑顔で颯爽と立ち去るルイを、エミールは呆気に取られたまま見送るしかなかった。どうやって今日明日で情報を収集するのか、仕込むとは何なのか。聞きたいことはいくらでもあったが、もう彼は廊下の先に消えて行き方知れず。寮室で聞くしかないかと、エミールは一人肩をすくめた。
放課後、寮に戻ったルイに情報収集の首尾や手段を当然問う。
「仕込みとやらは上手くいったのか?」
「まあね」
「それで、どうやって明日までに情報を集めるんだよ。それぐらい聞いてもいいだろ」
しかし、翌日に話すからと、そっけなくはぐらかされた。そしてそのままエミールを置き去り、さっさと就寝してしまう。やむなくエミールも寝具に横たわるしかなかった。
今までにない珍しいルイの態度に、エミールは再び顔を曇らせる。やはりヒロインに惹かれたのか、ゲームストーリーから外れることは出来なかったのか。
そして憂慮は後悔を連れてくる。
ルイにセリアのことを調べさせるべきではなかった。今まで上手くやれていたのに、軽率な言動で台無しにしてしまった。布団の中へ負の感情が波のように押し寄せる。それらはエミールの中で渦となり、形にならないまま口から溢れた。
「……あぁ、クソッ」
虚空へ消え行くその弱音は、口にした当人の耳にだけ寂しく響く。煙突の中に押し込まれたような夜は、長い。