36話 指導
軍事演習の廃止と武術大会の創設が発表された翌週。
放課後の軍事学研究会では、軍人家生徒の集団がずらりと並んで魔力を身に纏っていた。その彼らの正面にルイが立っている。紫水晶の瞳がゆっくりとあちこちへ焦点を移していく中、ふと一人の生徒に目を留めて近寄った。
「魔力の流れが乱れ気味ですね。無理に押さえ付けようと意識せず、魔力の流れを認識する方へ意識を集中してみてください」
一つ歳が上の二年生にそう声を掛ける。彼を覆う魔力の膜はぐわんぐわんと波打ち、見るからに魔力操作の難があった。ルイはその先輩生徒を真っ直ぐ見つめながら、真摯に助言を重ねる。
軍事学研究会は今、ルイによる魔力、魔術の指導を受ける場となっていた。
学園で騎士科が主体となる武術大会が開かれてしまう以上、曲がりなりにも騎士を目指す軍人家生徒は心情がどうであれ、参加せざるを得ない。
でなければ学園生徒や観戦に来るであろう騎士団関係者からの心象は、「尻尾を丸めて逃げた軟弱者」などと随分なものとなるに違いない。それはただでさえ高くない軍人家生徒の評価を思えば避けたいことだった。
そして出場するならば当然、一つでも多く勝ち上がれるようにしたいし、そのためには騎士家生徒に対抗できる実力を身に着けねばならない。
そこで彼らはルイに、魔力と魔術の扱い方の指導を求めた。
ルイ自身がエミールの魔力操作を指南していると、ダミアンを始めとする軍事学研究会の馴染みに打ち明け、彼らに武術大会へ向けた特訓を提案していた。それを聞き付けた上級生達が、どうせなら全員にと願い出たのだ。
ルイはこれを快諾し、軍事学研究会は通常の訓練、受講に加えて、彼による魔力と魔術の授業が行われるようになった。無論エミールもそれに参加している。
上級生相手にも丁寧かつはっきり言いながら、指導する友人の姿に、エミールは感慨深いものを感じた。
大規模討伐での一件以降、ルイは同学年だけでなく上級生からも仲間意識を共有されるようにはなっていたが、それでもどこか壁があった。しかし今や、すっかり軍事学研究会の同胞として溶け込んでいる。
武術大会については今なお怒りを覚えるものの、この大会に向けたルイの指南教室によって、彼が真に軍人生徒達から受け入れられたことは、唯一の利点、不幸中の幸いだと心に落とし込むことができた。
とはいえそれだけで納得などできる筈もなく、無論ながら演習廃止に対する抗議の密書をセリアに複数送り付けていたが。
機会さえあれば直接怒りの声をぶつけてやろうか、などとさえ思いつつ、今は武術大会へ備えることに意識と行動を優先させる。
エミールは軍事学研究会の皆々に混じって魔力を纏い、かつて寮で行っていた特訓と同じく己の魔力を薄い膜となるよう操った。今ではかなり自然に均一な魔力膜を維持できるが、それでもこれは騎士、貴族の家に生まれた者なら十の頃までに習得する基本的な技術に過ぎない。
半年以上ルイに教えられ続けても、騎士家出身生徒との実力差はまだまだ埋まっていなかった。
そのような厳しい現実を前にはしているが、エミールの表情に暗さはない。軍事学研究会の人間も似たような、悲観のない面構えである。
卒業を控えた上級生らは、魔力操作の指導など今更遅いという諦めも少なからずあるのだろうが、それでも、せめて軍人家の人間としての意地を見せつけ、一矢報いてやるとの決意と熱を感じる程度には、真剣な態度でルイの言葉を熱心に耳を傾けていた。
怒りを熱意に変えて鍛錬する軍事学研究会を、天上の太陽が、極僅かに冷えを含み始めた空気を温めながら彼らを見つめ続ける──。
「そんなことになってるんですか」
薄桃色の髪が首元まで伸びた少女が、先日の課外活動を耳にすると、ティーカップを持ったまま小さく驚いた。
学食を終えて食後の一服に入ったエミールとルイの二人だったが、当たり前の如くフィーユがこれに参加。彼女の持ち寄った茶菓子──今回はマドレーヌ──を供に、談笑へと興じる。
この茶飲み友達の関係も、既に二ヶ月近い。完全に日常の一コマとして馴染んでいた。とはいえ、持ち込まれる茶菓子については、未だに必ずフィーユが口にしたことを確認してから頂いているが。
そういった最低限の用心だけは維持しているものの、それ以上のことはせず、エミールは三人での談笑を受け入れていた。
「それにしてもルイさんは凄いですね。先輩方まで教えているなんて」
「大したことじゃないよ。僕じゃなくとも、魔術科の人なら指導自体はできるだろうし」
「んなわけあるか。軍人家に属する人間へ真面目にかつ的確な指導を続けられるのはお前ぐらいだぞ。軍人家を蔑視しない上に、保有魔力の差に関わらず適切な指南ができるとなると現状じゃ一人だけだ」
ルイの謙遜をエミールはぴしゃりと否定する。フィーユは眦を大きくさせた後、素直に問うた。
「そうなんですか?」
「ええ、通常は魔力に大きな差があると、それぞれの魔力に対する感覚も乖離が激しく、これが認識や意識の違いという壁となって指導が困難になりやすいのです。例えるなら、幼い子どもに複雑な数学を理解させようとしたり、大人相手の短距離走で勝たせようとするようなものですよ」
「……そんなに難しいんですね」
魔力、魔術教育のネックを踏まえたエミールの返答に、フィーユが呆気に取られたような顔をする。平民とはいえ並の貴族を超える魔力を持つ彼女にとっては、想像の埒外だったようだ。ここにも魔力総量が多い王侯貴族を基準とした王立学園の歪みが見て取れる。
「でもルイさんの指導を受けているなら、皆さん武術大会でもきっと勝ち上がれますね」
「いや、かなり厳しいかと。一番長くルイの特訓を受けてる俺でさえ、騎士科の戦闘訓練で勝てた試しが無い。今年の軍人家生徒は全敗で終わる可能性が高いでしょうな」
フィーユの前向きな言葉に、エミールは悲観的な、だが極めて現実的でもある意見を被せた。
エミールは自身と騎士家出身者との実力差が、中々埋まらないと常々感じている。そして、短期間の努力だけでは、素養の格差はどうにもならないとも。
絶望的な現状に思わず弱音が漏れる。
「……手を抜くつもりはないが、マシな負け方をするために戦うってのは、やるせないな」
「それでも、頑張ってください。始めから諦めては何にもなりません。挑まないと一歩も進めないんですから」
低く落とした呟きを拾ったのか、それとも暗い表情で察したのか、真剣な顔でそう力強く言い切る彼女に、今度はエミールが虚を突かれた。同時に簡単に言ってくれるなと、反発が胸より沸き上がった。が、すぐに思い直す。
本来学園に足を踏み入れられる筈のない平民であるフィーユが、何故入学できたか。それは魔力の属性と総量を計測する儀式を二度受けたが故だった。
全ての王国民は一二歳までに一度、魔力計測の儀を受ける義務がある。才ある者を取りこぼさないためというのが名目だったが、今ではほとんど通過儀礼化し、魔力量によって貴族と平民の線引きを視覚化させるようなものとなっていた。
そんな儀式を彼女は二度繰り返した。一度目の結果は、計測不能。計測を行う役人はこれを魔力の量が少な過ぎるためと判断したが、フィーユはやり直しを求めた。
幼少期、友人が大怪我をした時にとった咄嗟の行動が、結果的に魔術を発動させ怪我を癒した経験があったからだった。
二度目の計測で彼女は大貴族並の魔力を持つことが判明。王立学園入学の契機となった。
もし計測のやり直しを訴えなかったら、一歩踏み出すことを躊躇っていたら、今彼女の姿は王立学園に無かっただろう。
諦めなかったからこそ未来を掴んだフィーユにとって、物事に挑む前から諦念に支配されることなどあってはならないようだ。
……やっぱりフィーユとは合わねえわ。独善っぷりが目に付いてしょうがねえ。
エミールは内心で毒づく。何より腹が立ったのは、軍人家が経験してきた現実を知りもせずに言うところと──彼女の言葉に何も言い返せない自分自身だった。
挑まなければ成功どころか糧となる失敗さえできない。そんなことは分かっていた筈なのに。言われて初めて、今の自分は諦観ぶって逃げ腰を正当化していただけだったと自覚したのだ。
それに今年の大会で結果を出せずとも、自分達初年生はまだ来年、再来年の機会がある。どんな結末になろうと次があるのなら、何ら恐れる必要はないではないか。
フィーユに向かってにやりと唇を歪め、鼻で笑ってみせる。
「そんな砂糖のような言葉を掛けられずとも、一勝はもぎ取るつもりです。派手なだけの武芸ではなく、泥臭い実戦の技でね」
皮肉を混じえて口調以外の素を露わにしたエミールに、彼女は爛漫と微笑んだ。
一方、二人の世界の外側では、半ば放って置かれた黒髪の美青年が紫の瞳を不穏な形色にさせてこちらを睨んでいた。
──あっやべ。
ルイの感情を察したエミールは、それがフィーユとの会話を占有してしまった自分へ向けられたのか、逆にフィーユへ対してなのか判断がつかず、口を噤んで気まずい沈黙を続けるしかなかった。




