33話 桃色髪の少女
夏期休暇が明け、王立学園は再び学生らで満たされている。友人との再会に華を咲かせ、あるいは休暇中ともに過ごした者達の思い出話があちこちで湧き起こる。
しかし、かつての活況と完全に同じとは言えない。どこか空気の端々に緊張が見られ、無理に明るく振る舞うぎこちなさが僅かに感じられた。そもそも王都内でも、見回りを行う騎士の姿が常より増えて、やや物々しさがある。
「やっぱり先の大規模討伐での騒動が尾を引いているか……」
「だね……」
エミールとルイは声を潜めて言葉を交わす。
夏期休暇を前にして発生した、不審人物と魔道具による魔物操作事件。隣国の工作員と思われる人物に引き起こされた魔物の襲撃は、学園のみならず王国各地に大きな衝撃を与えた。
何しろ、魔物との小競り合いはありながらも百年の平和を享受してきた王国にとって、百年ぶりの対外危機になりかねない。
流石に公的には、犯人を隣国の工作員と断定してはおらず、公表されたのは魔道具とその操作者の存在だけだが、少なくない人間が外国の影を感じ取っている。王国以外の国々では、魔道具の発展が著しいことは周知の事実だからだ。王国へ輸入された外国製の民生魔道具も多い。
王国の人間は誰もが外からの脅威を感じざるを得なかった。無論、学生達も。
一抹の不安や緊張が見え隠れする学園であったが、授業は滞りなく進み、合間の休憩時間も以前と変わらず穏やかなものだった。
エミールの学園生活も、座学はルイの助けもあり順調である一方、実践的な騎士科の成績は振るわないというのは、夏期休暇以後も変わらない。
そんな日常を幾日か過ごした頃、エミールは学園の有名人の一人と出会った。
放課後、ルイと共に軍事学研究会へ向かおうと校舎の廊下を歩いていた時、突然若い女性の叫びが飛び込んできた。
「どういうつもりなの!」
その強い響きに穏やかではない気配を感じ取り、互いに顔を見合い示し合わせた二人は、声の方へ忍び寄る。曲がり角で止まると壁越しに向こう側を覗き込んだ。
一人の女子学生が廊下の壁を背に立っている。そして窓ガラスからの陽を遮るように、三人の女子が壁を作っていた。まるで包囲するかの如く。
前にも見たことあるなこんな光景。そう思いながら、エミールはちらりと傍にいるルイを見た。
「あれは……フィーユさんだね。他の三人は、分からないや」
ルイの言葉に視線を女子達へ戻す。確かに壁際の女子は、特徴的な桃色の髪が見えた。稀有な治癒の魔術を使える少女にして、ゲームにおけるメインキャラクターの一人。今代の聖女と祭り上げられつつある、フィーユその人に違いなかった。
彼女を追い詰めるように囲う女子生徒三人組は、身に纏う雰囲気と立ち振る舞いから、全員貴族と見受けられる。
特に、庶民の出であるフィーユの髪が肩までなのに対し、三人が共通して長髪であることも、貴族らしい特長だ。王国において、手入れに手間のかかる長髪をするのは、使用人を多数抱える貴族ぐらいだった。
エミールはこの状況を、親セリア派がフィーユに突っかかっているか、反セリア派がフィーユを取り込もうとしているかのどちらかだと推測した。
両派にとって、彼女は次期王妃と目されたセリアへの対抗馬になり得る存在である。だからこそ、両派ともに無視出来ないどころか、積極的な干渉を図ってもおかしくはない。
「貴女、平民のくせに王太子殿下と馴れ馴れしく言葉を交わすなんて、立場というものを理解しているの?」
この一言でエミールは彼女達が反セリア派であり、フィーユがシャルル王子と接触していたことを察した。
身分の低いヒロインが貴人ヒーローと親しくなり、それをよく思わない者達から詰問される。女性向け学園ファンタジーものの典型的な場面じゃないかと、エミールは天を仰ぎたくなった。
なおも詰め寄る三人組の勢いが増し、当たりが強くなっていく。婚約者であるセリアを差し置いて王太子に近付くなどとんでもない。身分差を考えろ。などとこれまた典型的な台詞が並ぶ。
エミールはこめかみを押さえた。彼女達をセリアがけしかけたとは到底思えない。この三人の独断、つまり一部の親セリア派の暴走だろう。
以前にセリアはゲームストーリーへ意識が向き過ぎて、自身の派閥を統制出来ていないのではないかと疑ったことがあったが、現実にそれを目撃してしまった。
転生者なら尚更、自分の派閥の手綱ぐらいしっかり取っててくれと思うが、規律を重んじる軍人の間でも末端が暴走することは珍しくないため、あまり強く非難も出来ない。密書を通じて軽く釘を刺すぐらいが妥当か。
現実逃避を兼ねて後々の対応を考えると、億劫ながらも眼前の面倒な現実へ意識を戻す。
流石に見て見ぬふりをするのは良心が咎めるものの、御令嬢方の家柄は明らかにセルジョン家より上と見える。どうしたものか。なんとはなしに横目でルイを見る。
彼は犬のようにしゅんとした瞳でこちらを真っ直ぐ見つめていた。虚を突かれたエミールはきょとんと目を丸くした後、苦笑とため息を同時にこなす。
あの時ルイを助けておいて、ここでフィーユを助けないのは筋が通らない。自分の時と同じように彼女を助けてと懇願するルイの目を見て、そう思った。
足を踏み出す。あの時とは違って、余裕のある足取りで。
「随分と楽しそうな“会話”ですね。我々も混ぜてもらえませんか」
笑いではなく嗤いを顔面に貼り付けて声を掛けると、女性陣は突然の乱入者に皆驚きと警戒の色を露わにした。
「どうしました? 興味深いお話の続きはなされないので?」
軍人家の人間として兵隊を相手にするうちに身に付けた圧を背負い、かつかつと一歩一歩わざとらしく音を立てて近付く。
流石にここまでされては、令嬢達もエミールが静かな敵意を向けていることに勘付いたらしく、先程までフィーユに向けていた鋭い視線で応射した。荒くれ揃いの兵隊との怒鳴り合いを経験しているエミールには全く効かないが。
「ひっ……」
加えて、背中から冷気が漂ってきた。
ルイも雰囲気だけで威圧しているのだろうが、背中越しに感じる寒気だけでも結構な空気を纏っていると察した。闇の魔力さえ滲ませているのかもしれない。彼女達が分かりやすく怯んだのも無理はないだろう。
ルイの圧もあって、そそくさと撤退する令嬢三人組を横目に、同学年の少女へ向き直る。
「あ、ありがとうございます」
フィーユは勢いよく頭を下げ、肩までに留めた長さの桃色髪が揺れ動く。そして同じ勢いでがばりと身を起こした。青い瞳が真っ直ぐエミールを射抜くも、その形がすぐさま丸くなる。
「あっ、実習に居た! えっと……お名前は」
「エミール・セルジョン。こっちは」
「ルイ・ステファンです」
三人が初めて顔を合わせたのは低級竜の襲撃があった実習の時だったが、すぐに別れたため、エミールはてっきりフィーユに顔を覚えられていないと思っていた。
しっかり彼女の記憶に残っていたことを意外に思いつつも、名乗りを簡単に済ませる。だが、内心では警戒を解かない。
前世の小説や漫画でよくあったものがある。聖女と見せかけて実は悪女だった。ゲームのヒロインに転生したがために、役得として攻略対象を侍らせようと企む自分勝手な輩。などなど、善なる乙女の顔をしてその腹の中は真っ黒というのは、ある種物語のお約束だ。
フィーユとて、そうでないとは限らない。既に自分とセリアが転生者である以上、転生者である可能性と、そうであった場合の彼女の人間性を警戒せざるを得なかった。
眼前の少女は転生者か否か。悪女か否か。はてさて──。
僅かなことも見逃すまいと観察を始めるエミールに対し、ルイが先程の状況を問う。
「何があったんですか」
「その、いきなりあの三人が王太子殿下に近付くなって怒鳴り込んできて──」
彼女の話は、エミールが想像した通りの内容だった。そしてフィーユと王太子シャルルとの関係もまた、概ね想定した通り。
フィーユはシャルルと度々会話をする程度には親しいらしい。始まりは廊下でばったり会い、他愛無い言葉を一つ二つ交わしたこと。以降、顔を合わせる度に会話を嗜む仲となり、実習でも隊の一員として同行することもあるという。
当然、そういった場にセリアの姿は無く、まるで彼女と入れ替わるように、シャルルの隣に収まっているようだった。
──そら、親セリア派に睨まれるわな。
エミールはそう思うと同時に、セリアの失態に歯を噛む。
転生者でありこの世界の元たるゲーム『クリスタル・コシュマール』経験者である彼女なら、フィーユが自分の派閥からどう扱われるか分かっていた筈だ。
それにゲーム内のセリアも、分岐ルートによってはフィーユの置かれた状況を知り、彼女を助け出す場面があった。彼女がそれを知らぬ訳がない。
わざとフィーユを放置しているか、自分の派閥のことなどすっかり失念しているかのどちらかだろう。今夜にでも密書を認めて、セリアに叩き付けなければ。
エミールが胸中に小さな怒りを蓄えている間に、フィーユの話が終わる。
「改めて、本当にありがとうございました。機会があれば、お礼させてください」
頭を下げる彼女に、ルイと二人で「礼をされるほどのことじゃない」といった気遣いの言葉を掛け、その場を後にした。
軍事学研究会の会場へ足を向け直した道中、エミールは思考の海へ飛び込む。
フィーユとの会話で感じたのは、明るくて素直な人となり。彼女に裏の顔があるかまでは全く分からなかった。そもそも裏があってもそうそう尻尾は出さないだろう。
本性を見極める手っ取り早い方法としては、かつてセリアの情報を探った時と同じくルイの闇魔術による諜報だが、倫理的な問題は勿論、フィーユは貴族と張り合える魔力の持ち主であるため発覚の恐れがある。
最終手段ではあるものの、現状取るべき手段ではない。地道に情報収集や観察を重ねる他ないだろう。
──ゲームストーリーへの対処、学園内の派閥、自分の成績、フィーユのこと……全く、考えなければいけない事がどんどん増えるな。
どっさりの悩みにエミールは、またもや天を仰いだ。




