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32話 百間と一見


 夏期休暇も半ばを過ぎた、王都中心部にあるシャグラン公爵家の屋敷。王族に次いでリュクス王国の最上流に位置する大貴族の居館とあって、大理石をふんだんに積み上げた三階層という白亜の巨体に、大きなガラス窓がずらりと並ぶといった、大聖堂とも競えるような豪邸である。

 その一室にて、公爵令嬢のセリアが(つや)と気品のあるクルミ材の椅子に座り、手紙を開いていた。

 金糸の髪の下にあるエメラルドの瞳が、(つづ)られた文を追う。そして最後に、ふっと柔らかく微笑んだ。

 彼女が持っているのはエミールからの密書。学園生活中と同じように休暇中も近況を報告するようにと、セリアが送った手紙の返事だった。


 エミールはルイを連れて実家に帰っていると、公爵家の隠密より報告を受けていたが、セリアはいくつか気掛かりなことが頭に浮かんでいる。


 まず、ルイが慣れない地で穏やかに過ごせているか。王宮の一部と学園程度しか世界を知らない彼が、初めての地で無理をしていないとは限らない。

 次に、エミールの実家がある地域、辺境伯領が少々問題だった。ゲームストーリー上、将来この国に攻め寄せるかもしれない隣国との国境が近いのだ。

 現時点での危険性は高くないだろうが、それでも魔物を操る魔道具を工作員ごと送り込んできている国と接しているともなれば、気にはなるというもの。

 万一に備えてエミールからの情報は欲しかった。


 しかし結論から言えば、全て杞憂に終わっている。

 エミールの実家であるセルジョン家はルイを大いに歓迎し、彼も心安らかに過ごしているという。また魔物や不審人物の存在を思わせる事もなく、平和そのものらしい。

 ルイに乗馬の経験が無いということで、セルジョン家が保有する馬で練習させた──当初はおっかなびっくりだったが、ものの数日で人並みの馬術を身に付けたそうだ──だの。領地で育てている羊の放牧を見学しただの。実に牧歌的な日々が手紙に記されていた。

 これにはセリアも思わず微笑ましくなるというもの。


 一方で、それらと一線を画すやや剣呑(けんのん)な話もあった。二枚目の手紙に目を通したセリアの眉が僅かだが眉間に寄る。

 エミール曰くセルジョン家が抱える王国軍一個中隊、その訓練の様子の一部を案内して回った、と。

 どうやらルイの方が望んだようで、エミールは渋っていたそうだが、結局求めに応じたという。詳細は次のようなものだった──。




 夏の真っ盛り、晴天の下、馬上の人となったエミールとルイが疾走していた。真夏といえども、リュクス王国の北部は湿度が高くないために蒸し暑さは感じられない。故に気持ちの良い風を受けつつ、二人は馬の背で揺られ続ける。

 セルジョン家の城館から馬を走らせて二、三時間程。牧草地を駆け抜ける土の道を進んだ先に、天幕の数々が見えてくる。数十人の人間が行き交ったり座り込んでいる姿も。

 セルジョン家の指揮する歩兵中隊、通称“セルジョン中隊”の一部が駐留する野営地だ。無精髭とぼさぼさの髪をした男達が、雑然と過ごしている様子を遠目から見ながらエミールがルイに解説を始める。


「兵士は大半が集落や町に住んでる。そこからこういった郊外に設置した野営地に“出勤”して訓練してるんだ。都市部だと野営地じゃなく、ちゃんと駐屯地があるケースも多いが」

「騎士団みたいに宿舎は無いの?」

「基本無いな、金や資材の都合もあるし。でも言われてみれば兵舎は確かに必要だよな、今のやり方だと非効率な上に情報の管理も(あや)うい。兵舎でまとめて寝起きさせれば、サボりや脱走もしにくくなるだろうし、完全に町中から郊外へ移せれば住民とのトラブルも減らせる」


 エミールは言われてから初めて当然のことに気が付く。前世では兵士は兵舎に収まっているのが当たり前だったというのに。

 しかしこの国の軍隊は、兵舎などの恒久的な兵士用の住居を持っておらず、軍兵と民間人の線引きが明確にされていない。今まではそれが常識として疑問にすら思わなかったが、前世の記憶とルイの指摘によって強烈な違和感を覚えた。


 実のところ、エミールの前世地球においても郊外に兵舎が整備されるのは近世から近代に掛けてのことで、それ以前は兵士と市民が混在して生活することが珍しくなかった。王国軍もまだその状態にあるに過ぎない。


「帰ったら早速父上に相談しておこう。軍にも働きかけてもらわんと……予算が厳しいだろうけど、それでも必要だ」


 そう決意するエミールは、野営地を見る目を変え、馬を進めながら父エドモンへどう提言するかじっくり考え込んだ。

 そうして黙ってしまったエミールと共に、ルイが天幕の村へ踏み入る。蹄の音が響き、何人かの兵士がこちらを見やった。途端、ざわめきが起こる。


「おお、中隊長の息子さんだ」

「マジだ、坊主が戻ってきたぞ。もう一人は誰だ?」

「げっ帰ってきたのかよ」

「そうか夏期休暇だもんな。隣は御友人か? えれえイイ面してんな」


 様々な声が上がり、それが更に別の者を呼び寄せて賑やかになっていく。わいわいと二人を囲み始めた彼ら兵士達に、エミールは仏頂面で上官として振る舞った。


「……おう、エミール少尉、学園の夏期休暇にて帰還した。隣にいるは我が恩人にして学友、ルイ・ステファン。彼は本野営地の調練見物を望んでいる、おらっ整列しろ兵隊!」

「はっ! そら並べグズ共!」


 命令を受けて下士官が兵士らを並ばせに掛かる。怒号が飛び、むさ苦しい男達が牛の群れの如くのろのろと列を作った。

 その規律の低さにエミールが顔をしかめながらも、訓練を開始するよう告げる。男達を兵として行動させるべく、下士官が再び「調練開始っ、しゃきっとしろノロマ共!」などと怒声を上げた。


 この野営地での軍事訓練は、主に行進と槍の鍛錬。彼ら王国軍兵士は基本的に槍兵として訓練されている。

 ヘルメット状の簡素な兜を被り三メートルほどの槍を担いで行進する彼らを眺めていたルイが、エミールに一つ疑問を言った。


「そういえば弓兵はいないんだね?」

「ああ、ウチの中隊にはいないな。王国軍全体でも少数だ」


 エミールの言う通り、セルジョン家の中隊に弓兵は一人もいない。辺境伯軍どころか王国軍中を見渡しても、大半が槍兵で弓を持つ者は少数派だった。その訳をエミールが語る。


「弓はともかく矢って量が(かさ)むと地味に金が掛かるもんでな。それに、弓兵より槍兵の方が訓練に手間も時間も掛からない。ま、結局は金の問題よ。ウチ(セルジョン家)だって余裕のある方じゃないんだ」

「じゃあ他の軍人一族も槍兵を揃えるだけで精一杯ってことなんだね……」

「そういうこった。剣だって槍より高く付くし、素人には扱いづらい。ましてや騎兵なんか無理無理。ただでさえ馬は高いのに年間の餌代すらとんでもねえ、おまけにこの国じゃあ……」

「魔物の領域と接する以上、飛来した竜が家畜を襲うリスクが常にある。牧場を置ける場所や規模が限られるから他国よりも値段が張る」


 ルイの補足にエミールが頷く。そして内心呆れた。


 ──まさかファンタジーで馬車が一頭立てばかりだったり、畑を耕すのに牛馬に(すき)を引かせず(クワ)を振るうだけだったりする理由が、「家畜を大規模飼育すると竜が襲ってくるから」だとはなぁ。


 リュクス王国は国土の多くが魔物の生息域と接している。そして魔物の中で最も強力な存在が竜だ。彼らは基本的に標高の高い山や谷の奥などを縄張りにして、そうそう寝ぐらから遠く離れることはない。

 だが、稀に牛や馬を狙って人里まで飛来する場合がある。そういった時は、決まって牧畜が盛んな地が襲われており、牛馬が多く集まっている牧場は格好の餌場だと認識されているようだった。

 このため、王国は竜の襲撃を招かないよう、牛や馬といった大型の家畜の飼育場及び保有数を法で制限。当然馬や牛の流通量は減り、価格は他国より跳ね上がった。

 その結果、上流階級であっても四頭立て以上の馬車を使えない、農民は牛馬を農耕に利用できない、軍は騎兵部隊を組織できないといった様々な弊害(へいがい)を抱えることになっている。


 とはいえ、馬車の馬不足は、魔力の豊かな土地柄故の馬自身の強靱化により、一頭二頭でも十分な馬力が得られるため自然と解決。農業も肥沃な土壌や魔術師が開発する魔道具のおかげで、大きな問題は起きていない。ただただ騎兵が割りを食うだけで済んでいる。軍としては頭が痛いが。


 兵士達の行進訓練が終わると、エミールらの見ている前で彼らが三列の横列を作り、手にした槍を体の右側に両手で保持する。


「構え、槍! 立て、槍!」


 下士官の号令が飛び、兵士達が一斉に槍を構える。かと思えば次の号令で槍を持ち上げ、再び体の横で待機させた。


「あ、基本教練だ。軍事学研究会でやってたことそのままだね」

「だろう? 普段は下士官とかに任せ切りだが、俺も騎士になれなかったら兵をああやってどやすことになるな」


 基本教練とは号令の下、基本的な動作を体に教え込むものだ。厳密には行進訓練もこれに含まれる。基本教練を繰り返すことで素人も兵隊になっていき、また兵士を“兵士”として維持することが出来るのだ。

 二人の会話の間にも基本教練は進み、遂には突撃訓練へと入った。最前列が腰の位置で槍を支え、次列と後列が肩の位置で構える。そして下士官の号令と共にゆっくり歩き出した。前進はやがて突撃へと至る。


「おらぁ! 声張れぇ! 列崩すなぁ!」


 下士官に怒鳴られつつも槍兵部隊は雄叫びを上げて突き進む──槍を持ち上げながら隊列を維持しなければならないため、小走り程度の勢いだが。


 訓練風景を一通り眺めた後、エミールはルイに尋ねる。つまらなくないかと。


「軍事学研究会で経験してることばっかで、目新しさも何もねえだろ。来る必要無かったんじゃねえか」


 きっぱりとルイの首が振られる。


「いいや、実際に見れて良かったよ。聞くと見るじゃ得られるものが違う」


 彼にとって実際の“兵士”の姿を見たことは良い知見になったらしい。頭上の青空のような晴れやかさをたたえて言う──。


「将来、軍人と貴族……は難しくても魔術師との橋渡しをするために、軍について知っておかなきゃ」

「そうか……ありがとな」




 セリアの手にする密書にはそのような内容が(したた)められていた。そして最後に付け加えられる形で、兵舎整備のための臨時予算が軍部に降りるよう公爵家から何とか働き掛けられないだろうか、という嘆願で締め括られている。


 公爵令嬢は紙上に(つづ)られた日本語の文章を読み終えると、手紙を畳んで封筒に戻した。

 手紙の内容に、セリアはエミールが軍人一族であることを初めて実感する。彼が軍人の家の人間であることは情報として知っていた。だが理解まではしていなかったのだと、今回の手紙で自覚した。


「軍……か」


 ぽつりと漏らした彼女は、しばし細い(あご)に手をやる。


「そうね、黒幕である隣国の動きもあるし、国防について一度真剣に考える必要があるわ。シャルル様やテオに相談してみましょうか」


 王太子と近衞騎士子息テオドールの名を口にしたセリアは早速、(ふみ)を書くことにする。宛名はエミールではない。彼との密書とは別の、より上等な紙と香り付けの香水まで用意した。王太子シャルルへの伺いの手紙である。



 ……もし、後世の歴史学者、歴史家らにセリアの全てを見せた上で、リュクス王国が今後辿る歴史が不可逆的に決定付けられた瞬間──いわゆる回帰不能点はどこであったか尋ねれば、おそらくこう述べるだろう。


 彼女がシャルルとテオドールへ相談を持ち掛けた時、あるいはこの瞬間かもしれない、と。



「何で戦記物以外のファンタジー世界では、弓兵や弩兵部隊がろくにいないのか」

「金が掛かる上に魔物や魔法相手じゃ威力不足なんじゃね? それと飛び道具は卑怯という脳筋思考が蔓延してるとか」


「何でファンタジー世界には、2〜6頭立ての馬車が無かったり、牛馬に棃を引かせず鍬だけで耕してるんだろう? あと何で騎兵がほとんどおらんの?」

「家畜は魔物に襲われるってことで制限されてるんじゃね?」


という自問自答をぶち込みました。本当にどうなってるんだファンタジー(特に女性向け)世界。


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