18話 目覚め
ルイの体が揺さぶられる。滲んだ視界の向こうに、こちらを覗き込むエミールの顔があった。
「大丈夫か? 酷くうなされてたが」
そう声を掛けられたルイだったが、事態が飲み込めず茫然とエミールの顔面の前にある空気を見つめた。ふと頬が濡れているのを感じて、ルイは初めて自分が泣いていたことに気付く。そして眼前にあるエミールの眉尻が下がった顔にも。
がばりとルイがエミールの首に腕を回して引き寄せる。
「え、あ? ルイ?」
「ふぐうぅぅぅ……」
エミールの困惑を他所に、ルイは交差させた腕を引き寄せて体を密着させ続ける。同時に声にならない呻きを鼻から漏らした。ルイの鼻声に何か察したのか、エミールが右手でルイの後頭部を撫で、左手を彼の背中に伸ばして軽く叩く。
暫しの間、そのまま時が過ぎたが、やがてルイの頭がエミールから離れる。伏せた顔から鼻を啜る音を鳴らしながら、今度は形を成した鼻声を発した。
「エミール、ぼ、僕を、捨てないで」
「ちょっと待てルイ、なんでそう思った。夢見が悪かったせいか? 一旦落ち着け」
そう言って深呼吸を促すエミールだが、ルイはお構いなしに詰め寄った。その紫の眼は濁りつつある。
「だって僕は闇の魔力を持った呪われ子と呼ばれる存在で、エミールにも迷惑かけてばかりだし……本当はエミールも僕を疎ましく思ってるじゃないかって」
「んなことねえって。それとも俺がくだらん理由で、親友を平気で放り捨てるような人間だと思ってんのか? 心外だぞ」
ルイの弱音に、エミールが眉間と唇を歪ませた。しかしルイの怒声がそれを吹き飛ばす。
「ならなんで僕に内緒で軍人生徒と仲良くしてるの、別に秘密にする必要無いよね⁉︎」
紫水晶の面影も無い濁った毒沼の瞳。それが溢れ落ちんばかりに見開くルイは、エミールの双肩をがっしり掴む。
「なんで、ねえなんで……」
肩を捕らえた手の力が強まり、噛み付くように爪が食い込んだ。呆気に取られた様子で瞬きも忘れているエミールだったが、やがて大きく息を吐きながら頭をがくりと落とす。それにルイの瞳がびくりと震えた。
「見られてたか……そりゃお前なら尾行ぐらいはするわな」
彼の視線が上げられると、眉がやや下がった形をしていた。その面相は不機嫌や不満どころか、むしろこちらに申し訳なさそうな色を見せている。
眉尻を下げたままのエミールがルイの両腕を掴み、肩から手を放すよう諭す……が、ルイの唇が引き結ばれるだけに終わった。ルイからすれば、このエミールの態度は拒絶にも思える。しかし彼の表情は憂いこそ帯びていたが、ルイへの悪感情は一切感じられない。そのギャップに、ルイはただただ戸惑うしかなかった。
挙句まるで止めとばかりに、エミールの頭が下げられる。
「すまん。俺の配慮が足りず、お前を傷付けてしまった。そのうち言おうと思ってはいたんだが、どうはぐらかすか考えてばかりでルイの気持ちまで思考がいっていなかった」
彼のつむじを見せられたルイは、小さく口を開けたまま何も言えず視線を彷徨わせる。やがてエミールの首が持ち上がったが、ばつが悪そうに目線だけは地面を向いている。
「ルイの気性には合わないだろうし、気まずい思いもさせちまうから、あそこに来させたくなかったんだが、その気遣いが余計だったな」
彼はそう言いながら後頭部を掻きむしる。そして重々しい息を地面へ吐いた。
「本当に悪かった。もうルイを閉め出すような真似はしないと約束する。今日は一緒に行こう」
そう二度目の謝罪と約束を口にするとエミールの目が立ち上がり、ルイへ真っ直ぐ向けられる。そして右手を差し出した。
和解の握手を求められている、と受け止めたルイは、しばし沈黙する。短い間に雪崩れ込んだ情報をゆっくり咀嚼し、飲み込んだ。疑問はある。何故自分を遠ざけようとしていたのか、何故一切を隠そうとしていたのか。問いたいことは山ほどある。
その上でエミールの手を握った。たった一人の親友を信用して。
「──で、結局エミールは毎日こそこそどこへ行っていたの」
とはいえ当然の問いはぶつける。握られた右手を引き締め、圧力を掛けていった。釘を刺される形になったエミールは苦笑いを浮かべ、白旗を上げる。
「課外活動だよ、かなり閉鎖的だけどな」
「閉鎖的な課外活動? それって一体……」
重ねて問い掛けようとしたルイに、エミールが「活動の場で説明する」と言って、寮室の壁掛け時計を指差す。
「朝飯に間に合わなくなる。とっとと身支度を終わらせるぞ」
朝食後、二人は放課後にエントランスで落ち合うこととして授業に向かった。そして今日最後の鐘が鳴った直後、ルイは真っ直ぐエントランスへ足を運ぶ。
学園のエントランスの床には大理石が敷き詰められ、行き交う生徒が歩く度に硬質な音を響かせていた。中央に立つ銅像が、それらに無言で聴き入っている。この青銅の偉人を避けるように、二又の階段が弧を描いて伸びており、それをルイが早足で降りていく。
床の大理石に靴が触れるなり、彼は辺りをぐるりと見渡した。まだ目当ての人物の姿はない。じわりと胸中に仄暗いものが滲み出る。しかしすぐに、ルイの背中へ馴染み深い青年の声が届いた。
「ルイ、待たせたな」
エントランスに姿を見せたエミールは、振り向いたルイの左肩を軽く叩いた。そして、そのままルイを追い越した彼が、先導を開始する──筈であった。
「さっ行こうか……ルイ?」
エミールの制服の裾をルイの右手が掴んでいる。困惑する茶髪の青年に対し、漆黒の髪を垂らす美男子は俯きつつも、その手を離さない。ルイは離したくなかった。エミールを信用していないわけではない。が、彼の背中を見たら、夢の中の光景が重なってしまう。
唇が真一文字を描き足元へ視線を泳がせる。そんなルイへエミールの容赦無い──けれどもどこか温かい言葉が浴びせられた。
「とっとと行くぞ、掴んだままなら引っ張ってやる」
彼は雄牛の如くそのまま進み出す。裾を掴むルイの右手がぐいっと引っ張られ、牽引されるように歩かざるを得なくなった。
捕まえた制服の裾に引き摺られるうち、見覚えのある景色が目に映る。人気の少ない校舎の陰。昨日、エミールが見知らぬ男子と親しげにしていた場所だ。無意識にルイの右手に力が入る。それを感じているのかいないのか、エミールはどんどん進んでいく。
本校舎の脇に並ぶ講堂や寄宿寮、倉庫を横目に進み続けると、やがて二人の前に一つの古びた建物が現れた。煉瓦造りのそれは、窓の少なさと高い設置位置から一見倉庫のようにも見える。事実、倉庫として建てられたのだろう。ただ蔦が這い回る外観から、普段使われている様子は無い。
どうやらここが目的地だったようで、エミールが両開きの扉の前で立ち止まる。そしてルイに向けて振り返った。
「ここが課外活動の会場だ」
「……一体ここで何をしてるの」
「ここは騎士としてではなく、軍人としての技術と学問を学ぶ場でな、魔術師を目指すお前には……とてもようこそとは言えん。だから、覚悟はしておけ」
ルイの問いに、意味深な答えを言いながらエミールは足を進め、倉庫の扉の右側を手前に引く。屋内はそう暗くはなかった。彩光窓から注ぐ日光は頼りない一方、照明の魔道具が壁に設置されているため、充分な明るさは確保されている。
そして屋内を把握すると同時に、開かれた扉の向こうから、視線の一斉射撃が放たれたことも否応なく理解した。
広々とした空間の中に、大量の椅子が扇状に並び、講義室のように整えられている。そしてほとんどの椅子に制服姿の学生が座り、大多数が首を回してこちらを見やっていた。その眼光はどれも学生とは思えぬ鋭さがある。
「全員俺と同じ軍人家系出身の生徒、そしてここはその集まり『軍事学研究会』だ」




