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17話 光陰

 

 初夏も過ぎ、陽の暖かみがはっきりと夏の暑さに変わりつつある。そんな陽気が注がれる学園の廊下で、漆黒の髪に紫水晶(アメジスト)の瞳を持つ美青年が、物憂げな息を吐いた。


 ルイの心中はここのところ穏やかでない。最近エミールの帰寮が遅い。それが彼の気分を沈めていた。

 これまでエミールは放課後に真っ直ぐ寄宿寮へ戻り、ルイと合流しては、寮室や寮の庭などで魔力操作と魔術の練習を重ねていた。しかし、近頃は寮へ戻るのが、一時間半以上遅くなっている。そのため、寮でエミールの特訓に付き合う時間も短くなっていた。


 無論、彼が放課後に外出している可能性もある。が、だとしても毎日というのが奇妙だった。ルイとしてはエミールの行動を把握しておきたいが、それも中々難しい。ルームメイトとはいえ、選択科目の多くが違う以上、常に彼と共にいることは叶わず、また帰寮を共にするには放課後に校門で待つしかなかった。

 闇の魔術を利用して、彼の所在を追跡するというのも、一度は考えに浮かんだ。しかし学園の外ならともかく、魔術に長けた学生、教師で溢れる学園内でそれを実行するのは、リスクが大き過ぎる。発覚した場合、エミールと引き離されるかもしれない。故にルイはその計画を早々に放棄した。

 だからと言って、ルイの頭に諦めるという選択肢は無い。何が何でもエミールの行動を探るつもりだった。


 昼時、食堂にてエミールを探す。料理とその器が乗った木製の角盆(トレイ)を保持しつつ、手慣れたように目当ての茶髪青年を見つけると、いつもの通り「やあエミール」と一言掛けてその隣へ着席した。エミールも一度視線を送って「おう」とだけ返し、食事を続ける。マナーに従ってそれ以上互いに喋ることもなく、食器と角盆(トレイ)を片付け、食後の紅茶に口を付けてから初めて会話に入った。


「ねえ……最近いつも帰りが遅いよね。何でなのか聞いていい?」

「……」


 ルイが単刀直入に核心へ切り込む。ちらっと一度こちらを見たエミールは、視線を紅茶に戻してカップを持ち上げた。静かに一口飲み込んでから口を開く。


「あー、大したことじゃない。ちょっと軍人家系のあれこれで、な」


 明らかに言葉を(にご)す彼に、ルイの疑心が膨らみ始めた。これまでは、軍人の内情に触れる際、エミールは明かすというより、実情をルイに知って欲しいという様子だった。それらは、彼自身を含め軍人の立場の改善に少しでも繋がれば、という彼の本心、願いから来るものだとルイは感じ取っている。

 ところが今回は、触れてくれるなと言わんばかり。何か隠しているに違いない。そう確信したルイは、覆い隠された相手の本心へと掴み掛かる。


「あれこれって?」

「ルイには関係ねえことだよ。軍人家系の生徒同士の情報交換みたいなもんだ」


 そう言うエミールは、一向に視線を合わせようとしない。間を埋めようとするように度々カップを口に運ぶ。その振る舞いもルイの疑念を更に増幅させる。故につい、唇どころか口調までも尖らせてしまう。


「関係ないって何さ、親友なんだから話してくれてもいいでしょ」


 そこで会話が一度途切れた。灰が降り積もったかのように音が消える。


「ねえ、エミール」


 灰色の沈黙を破って再びルイが口を開くが、またもやエミールは紅茶を飲むことで口を隠す。もはや中身が残っているのかさえ怪しい。ルイが拳を握って震わせる。そしてひび割れた声色をエミールへ叩き付けた。


「ねえってば! 僕は毎日校門で待ちぼうけになってるんだよ」


 途端、エミールの視線が上がる。ようやくルイと目を合わせたその顔は、眉間も両目も口元も険しく歪んだ(しか)めっ面。飛び出た声も底の欠けたガラス瓶のようなものだった。


「っ、しつこいぞ。そもそもそっちが勝手に待ってるだけだろうが」

「あ……ごめん……」

「……いや、こっちも声を荒げて悪かった。言い過ぎた」


 互いに謝罪の言葉を交わしながらも、視線は相手から逸らし合う。そのまま鉛の如く重い空気が場を支配し続け、遂には学園の鐘が昼休憩の終わりを告げてしまった。

 ルイはエミールと別れ、午後の授業に向かうも、迷宮へ放り込まれたような気持ちのまま。初めてエミールと正面から衝突してしまい、どうしてよいか分からない。彼とすれ違った状態を一刻も早く解消したい。そんな思いがぐるぐると胸中で渦巻く。授業の内容もただただ耳を通り抜けた。

 しかし結局のところ、ルイはどうすべきか本当は分かっている。うじうじと悩んでいても何も始まらず、エミールと顔を突き合わせて語り合わねば、一切進展しないことを。独学で魔術を会得した頭脳は伊達ではない。

 まず彼と再会し会話すること。事態の解決はそれからだった。


 そして案外早く、その機会が訪れた。授業終了後の廊下でたまたまエミールの姿を捉えたのだ。


「エミール、その……今日は一緒に帰ろう」

「すまんな、今日も用事があるんだ。先に帰っていてくれ。今度の休みには何なのかちゃんと話すから」


 気後れしながらも、ルイはしっかりと誘いの言葉を掛ける。だが、にべもなく断られた。とはいえ、ここまでは想定内。

 席を立ったエミールの後を、ルイが距離を置いてこっそり()ける。白い壁の廊下を歩くエミールは、こちらに全く気付いていない様子で、一度も振り返ることがない。

 やがて校舎の外へ出ると、人気(ひとけ)の無い方へと進んでいく。ルイは校舎の壁や植え込みの陰に隠れつつ、その後を追った。


 そして、見てしまう。エミールがルイの知らない男子生徒へ親しげに声を掛ける姿を。


 距離があるため何を喋っているのかは分からない。だが右手を軽く上げて生徒へ呼び掛け、笑顔で会話を始めるその様子から、一日二日の関係ではないのが明白だった。

 ルイとて全く想像していなかったと言えば嘘になる。エミールが自分と同じように、ルームメイト以外の生徒と交友が無いなどありえない、とは頭の片隅で理解していた。彼は孤立していた自分とは違い、当然他者との繋がりが存在する筈なのだから。

 しかし、現実で目の当たりにすると、ルイの頭は真っ白になってしまった。ルイにはエミールしかいないが、彼はルイとの付き合いなど無くても孤独にはならず、絶対的に必要というわけではない。それを直視してしまった。

 全身の力が抜け、視界が揺れる。そして世界が闇に染まっていく。


『忌み子のお前が本気で友を得られるとでも思っていたのか』


 背後から誰とも分からぬ声が響く。振り返るとにやにや笑う人影の群れがいた。顔の無い──それでもルイには嘲笑を浮かべていると分かった──それらは次々にせせら笑いと侮蔑を振り撒く。


『私生児とはいえ、まさか陛下から闇の魔力を持つ子供が出るとは』

『かの恥知らずの売女(ばいた)の子だからさ』

『ああ恐ろしい、いつかきっと人を呪い殺すわよ』

『何で呪われ子がいつまで宮廷に居るんだ、とっとと追い出せばいいものを』


 ルイにとって全て聞き覚えのある言葉だった。


「やめろっ」


 両耳を塞いで(うずくま)る。かつては聞き慣れてしまった不協和音も、孤独が解消された学園生活の記憶が、これらの醜悪さを際立てた。痛覚が麻痺していた宮廷住み時代とは違って、今味わう苦痛は(やすり)のように心を削っていく。

 突然、閉じられた(まぶた)を貫く程の光が闇を照らす。思わず目を開ければ、目の前に身なりの良い女性が立っていた。顔は逆光で分からないが、年齢がルイの倍以上はあるだろうことと、後頭部で纏められた上品な栗色の巻毛が確認出来る。

 それだけでルイは彼女が何者か理解した。ルイにとって忘れられない女性、宮廷において実母より母として(した)った教育係。事実上の養母その人だった。彼女は毅然(きぜん)とした声を僅かに震わせて、別れの言葉を告げる。


『さようなら、ルイ』

「先生……! 行かないで先生っ!」


 迷いを断ち切るように背を向けて遠ざかっていく彼女へ、ルイの悲痛な叫びが追い(すが)った。しかし、その声は押し寄せる闇に(はば)まれ、またもルイは漆黒の空間へ取り残される。

 かと思えば、今度は背後から光を浴びた。振り返ると、後光を背負うエミールの姿が。影の面で表情を隠した彼は無言で(きびす)を返し、すたすたと何の躊躇(ちゅうちょ)も見せず去っていく。


「待って……待ってエミール!」


 慌てて駆け出したルイは必死に足を動かした。だが、ルイの両足が鎖でも巻き付いているかのように重くなる。その間にもエミールの背中はどんどん離れていき、遂には光と共に黒闇の奥へと消えてしまった。

 光を失ったルイが崩れ落ちる。瞳から溢れるものを拭おうともせず、自らの頭を抱え込んだ。


「置いていかないで……もう、独りは嫌だ……」


 彼の独白を聞く者は、いない。


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