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水鏡五国志番外編  作者: 子志
第二部
9/12

鴻家の家臣3:範蔵

「しょーぐーん!!」

「うわぁっ!?」

書類を手に話し合いをしていた鴻宵が、範蔵の目の前で子ども達に潰された。


毎度毎度飽きもせず主君に飛びつく子ども達も子ども達だが、毎回懲りずに潰される主君も主君だと、範蔵は思う。

もっとも、子ども達の行動はいつも突然だから、対策の立てようも無いのかも知れないが。


「あそぼー!」

「いや、ちょっと今仕事が……こら、よじ登るな!」

わいわいと騒ぐ子ども達と鴻宵をあきれ顔で見ていると、焦れたような鴻宵の顔がこちらへ向いた。


「範蔵!」

「やれやれ…」

面倒なことだ、と頭を振りながら、範蔵はとりあえず手近に居た子どもの首根っこを捕まえた。


「いい加減にしろお前ら。仕事中だ。ほらどけ!全員整列!前進!」

敢えて軍隊にでもかけるような号令をかけてやると、子ども達は面白がって並んで歩いてゆく。


「助かった…」

安堵の息を吐きながら立ちあがって着物の埃を払っている主君を、範蔵は呆れを隠そうともせずに見遣った。


思えばこの主君は、出会った当初から随分な変わり者だったものだ。

範蔵の脳裏に、過去の情景が俄かに蘇ってきた。



範蔵が「彼」と出会ったのは、心泉の地を巡る昏との小競り合いから帰還する軍中だった。


その頃範蔵は、特に頭角を現すことも無い一兵士として従軍していた。

そんな彼にとって覇姫などは正しく雲上人で、一生その目に留まる事など無い――筈であった。


今思えば、間違いなく彼の人生の転換点だったのだろうその瞬間を、範蔵は克明に記憶している。


戦を勝利のうちに終え、幕舎を張って駐屯の準備作業をしている時であった。


「おい」

仲間の兵士に小声で呼びかけられ、範蔵は顔を上げた。

声を掛けた兵士は、目配せだけで背後を見ろと促してくる。


範蔵が作業を続けながらちらりと後ろを見ると、常に覇姫に付き従っている狐狼が昏軍の残して行った幕舎から出てくる所だった。

脇に何か抱えているようだ。

その傍に覇姫が歩み寄り、何事か言葉を交わしている。


「こんな近くで見るのは初めてだ」

範蔵に声を掛けた兵士が、声を潜めて言う。

範蔵も目で頷いた。


それから作業を進めていると、何故か周囲の兵士達に緊張が走る気配がした。先程範蔵と話をしていた兵士も、やけに固い動きで荷を運んでいる。

内心首を傾げた範蔵は、作業の区切れ目に顔を上げ、その理由を理解した。


件の狐狼が、どういうわけか兵士達の作業場へ来て何かを探すように視線を彷徨わせているのだ。


彼が何かをするわけではないが、覇姫子飼いの狐狼を畏怖の対象とする者は多い。

その上、彼の耳目が覇姫と直接に繋がっている事を思えば、滅多な事はできないと思うのは当然の道理であった。


緊迫感を帯びた作業場の中で。

範蔵は、件の狐狼とばちりと目が合った気がした。


(まさか、な)

単なる偶然と片付けて作業を続けようとした時。


「そこのお前」

声が、かかった。


範蔵は顔を上げるのを躊躇って俯いていたのだが、周囲の視線は段々と範蔵の方へ集まって来る。


嘘だろう、と範蔵は思った。

何かまずかっただろうか。


「お前だ。荷駄の前に居る」

追い打ちをかけるように、件の狐狼の淡々とした声が範蔵を特定する。

お前一体何をやらかしたんだ、というような仲間の視線が突き刺さった。


「……私、ですか」

観念して、範蔵は狐狼の方を向いた。

狐狼がこくりと頷く。


「来い」

簡潔に言って、背を向けた。

仕方なく、範蔵もその後ろについて歩き出す。


辿りついた先には、今回の軍の帥将である将軍と、覇姫が居た。

平時ならその視界に入る機会すら稀であろう相手と向き合う事になり、範蔵は冷や汗を流す。


どこだ。

一体どこで踏み誤った。


範蔵を連れてきた狐狼は数秒覇姫と目を見かわすと、踵を返して立ち去って行く。

一人情況の読めない範蔵は、とにかく跪いて頭を下げた。


「顔を上げてくれ」

凛とした声が鼓膜を震わす。

覇姫はこんな声をしているのか、などと考えてしまった辺り、範蔵の思考は既に現状から逃避しかけていたのかも知れない。


範蔵が指示に従って顔を上げ、更に促されて立ちあがると、覇姫は用件を切り出した。


「お前に一つ仕事を頼みたい」

指示されたのは、昏軍の捕虜になっていた少年の監視だった。

無論断るなどという選択肢は考えることすらできず、範蔵はそれを引き受ける。


「恐らく危険は無かろうが、よくわからん相手だ。注意は怠らないように」

「はっ」

拝礼しながら、範蔵は内心首を傾げた。

一体こんな役目に、何故自分が選ばれたのだろう。


その後、一度仲間達のもとへ戻って事情を説明してから覇姫に指示された幕舎へ向かう。

ちょうど覇姫が例の捕虜を連れてきたところらしく、連れ立って歩いているのが見えた。


想像したより若く、華奢な少年である。

確かに、これなら危険は無かろうと判断されるのもわかる。


しかし驚いた事に、覇姫の隣を歩き、対等に言葉を交わしている。

範蔵は眉を寄せた。

覇姫はその実力もさることながら、王族として尊敬の対象となるべき身分の人間だ。

彼女と肩を並べて歩くなど普通は許されない。

余程の高官でも、一歩後ろを歩く。

傲慢な人間は、扱いづらい。


多少憂鬱になりながら、範蔵は覇姫と入れ違いに幕舎に入った。


「範蔵と申します」

彼が名乗ると、少年は思いのほか澄んだ目をこちらに向けた。

数秒範蔵を見つめて、それから何か納得したようにちらりと苦笑めいた表情を見せる。


「俺は神凪灯宵。別に敬語で話さなくていい」

そんな無茶な事を言って、だらりと寝台に座る。

想像していたのとだいぶ違う反応に戸惑いながら、一応範蔵は抗議した。


「ですが…」

「俺は何も偉くない。ただのガキだ。それに慣れてない」

ひらりと手を振って、少年はそんな風に言う。

範蔵はぽかんとした。


ああ、そうか。

彼が覇姫と対等に振舞っていたのは、傲慢故ではないのか。


「わかった」

範蔵は肩の力を抜いた。

同時に、この奇妙な少年に興味を覚えた。

覇姫から聞いた名前を思い出す。


「灯宵殿は…」

「灯宵でいい」

「…灯宵は変わってるな」

わけもなく照れくさくなって頬を掻きながら、範蔵は言った。


思えば、こんな風に誰かと正面から話をするのはいつぶりだろう。

兵士同士騒ぐことはあっても、きちんと向かい合う相手など、もう何年も居ない気がした。


変わっている、と言われたのが納得いかないのか首を傾げている少年に、範蔵は知らず目を細めていた。


「普通の奴は偉くなくても偉く振る舞いたがる。正直、平気で覇姫様と対等に振る舞うなんてどんな偉そうな奴かと身構えてたんだ」

その言葉に、目を瞬かせた少年は声を上げて笑った。


「何だそれ。俺ってそんな風に見えてたのか」

言いながらくつくつと笑う少年は、きっと身分による抑圧から自由な所で暮らしてきたに違いない。

範蔵は軽い羨望を覚えるとともに、何故だかこの少年にこのまま変わってほしくない、と思った。


宮仕えは、身分に厳しい。

そう、一人くらい、自由な奴が居てもいいじゃないか。


「何か疲れた。少し寝る」

少年はそう言って、ぱたりと寝台に横たわった。



それから半年と少し経った頃。


少年は鴻宵と名を変えて範蔵の同僚になった。

そして、あっという間に彼を追い越し、遥かな高みへ登っていった。

宮中に仕え身分を弁え、それでもなお、鴻宵の内面は身分の隔たりから自由だった。



「範蔵!暇なら書類整理――」

「断る」

今は主君となった鴻宵に拒絶の言葉を返し、ついでとばかりに頭をべしりと叩く。


「痛い!」

「餓鬼どもはどけてやったんだから仕事は自力でやれ」

外では十分に備えている筈の将軍の威厳などどこへやら、頭を押さえて恨めしげにしている鴻宵はあの頃からそう変わっていないように思える。


「ま、それでいいか」

「何がだ」

不審げな鴻宵の頭をわしゃわしゃと掻きまわして、範蔵は少し笑った。


変わり者で、破天荒で、自由な主君。

どれだけ色々な面が変わったとしても――

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