初日の出
季節の企画小説だったものですが、日常感が良いので追加。
今日は十二月末日。
すなわち、大みそかだ。
といっても、我々はみんな揃って休みというわけにはいかない。
この国では特に除夜や元旦を大々的に祝う風習は無いようで、大晦日には宿直の者以外は早めに帰宅し、静かに年を越した後は元旦に祭祀を行って、二日目からはもう通常通りになるそうだ。
まぁ、この戦乱の時世にのんびり休んでいるという訳にもいかないのだろうし。
あれから、二か月と少し。
私はまだ小競り合いの戦で少し功績をあげた程度で、地位は変わらず春覇のもとで働いている。
春覇は六人いる卿の一人、大司馬の官に就いているので、私は司馬府の属官ということになっている。
私が最初に与えられた下士というのはそれなりに良い身分で、元来の制度で言えば自分の臣下を持てるらしいが、そんな余裕も人脈も私には無い。またこの国の制度も乱世に適応するためにかなり流動的になっているらしく、良家の出身でない者の中で特に未婚の者は、官位が上がっても家を持っておらず家臣も少ない、というケースが結構あるらしい。
現状、私も兵舎や司馬府の宿直室に寝泊まりする毎日だ。
そして、今日。
昼頃になると、もう皆そそくさと帰り支度を始めた。
「それじゃ、悪いな」
同僚の一人が、ぽんと私の肩を叩いて行く。
「気にするな。しっかり家族と団欒して来い」
私は軽く手を振った。
既婚者は言わずもがな、未婚の者でも、家に帰って家族と過ごすのが普通だというのは、ここでも変わらない。
よって、皆大晦日の宿直はやりたがらない。
自然、私のような独り者が引き受けることになっていた。
宿直といっても、面倒な仕事があるわけではなく、各役所で数人、警備と何かあった場合の対応の為に待機するだけだ。
徹夜することにはなるが、今日は昼間時間に余裕があるので仮眠もとれる。
勿論誰かは起きていなければならないから、仲間と相談して、ということになるけれど。
通常の仕事を片付けて、私はくぁ、と欠伸をした。
「先に仮眠するか」
声をかけられて、慌てて口を閉じる。
見られたのが後ろからでまだ良かった、と思うべきか…?
「別に眠いわけじゃ…なんだ、もう一人はお前が引き受けたのか」
「なんだとはなんだ」
仏頂面で私の頭を小突いたのは範蔵だ。
元来春覇の麾下にいた彼は、現在私と同じく司馬府の属官として働いている。
今年の大晦日、宿直を引き受けたのはこの二人のようだ。
「俺も待ってる家族なんざ居ないからな」
そう言った範蔵は、ちらりと時計代わりの水盤を見た。
「先に仮眠していいぞ。三経したら起こす」
「そうか?じゃあ、お先」
敢えて遠慮する理由も無いので、私は先に仮眠室へ向かった。
きっちり三経後に起こしに来た範蔵と交代して残った仕事を片付け、あまり時間で書物を読むことにする。
この世界について何も知らなかった私には、勉強が欠かせない。
日が暮れてくると範蔵を起こし、二人で宿直にあたる。
「暇だな」
ぼそりと、範蔵が言った。
実際、何事も無ければ宿直なんて単なる徹夜に等しい。
「何も無いのはいい事だ。眠いけど」
私はそう返して、目覚ましの為に濃いめのお茶を淹れた。
暇な時間は長く感じられる。
「おい、鴻宵」
ようやく夜明けが迫ろうという頃、範蔵が私の肩を叩いた。
「来い。いいものを見せてやる」
「いいもの?」
首を傾げながら範蔵について部屋を出ようとする私に、範蔵は上着を投げて寄越した。
「着とけ。外は冷える」
範蔵自身も上着を羽織り、宿直室から出て回廊を歩く。
端まで来たと思ったら、範蔵はいきなり回廊の柵に上り、柱と雨樋を足がかりにひらりと屋根に登ってしまった。
「おい!?」
慌てて柵から身を乗り出して見上げると、上から手を差し出される。
「来い。手貸してやるから」
「いや、登ろうと思えば自力で登れるけど…屋根に登ってどうする気だ」
というかこれ、上官に見つかったら怒られないだろうか。
ああ、皆家に帰ってるから大丈夫か。
そういう問題でもないだろう、と自分で突っ込みながら、私も範蔵の真似をして屋根に登った。
途中雨樋に手が届かなくて手間取っていると、範蔵が腕を掴んで引き上げてくれる。
屋根の上からは、王城内が一望できた。
「こうして見るとなかなか壮観だな」
その眺めに感心しながら、私は上着の胸元を掻き合わせた。
碧の四季は緩やかだが、冬の早朝ともなればやはり寒い。
おまけに屋根の上は吹きさらしだ。
「城ならいつでも見られる。こっちだ」
範蔵はそう言うと、足場の悪い瓦の上をひょいひょいと歩いて行く。
私もそれに続いた。
高所恐怖症でなくて良かった。
「間に合ったな」
足を止めた範蔵がそう呟いたので、隣に並んで同じ方向を見てみる。
範蔵の視線の先で、東の空がゆっくりと明るさを増しつつあった。
そうか。
「初日の出…」
「普通に官舎の屋根に登ったんじゃ東宮の屋根が邪魔だが、こっちの端に来ると見えるんだ。司馬府の宿直の特権だな」
どうやら範蔵は、帰るべき家が無いので毎年宿直を引き受けていたらしい。
或る時思い立って屋根に登ってみたら、この場所を見つけたとのことだ。
私と範蔵は、並んで屋根に座り、東の空が徐々に明けていくのを眺めた。
「あ」
太陽が遠く城壁の向こうから顔を出し、さぁっと眩しい光が私達を照らす。
ああ、年が明けたんだ。
なんだか無性にそう感じた。
「あけましておめでとう?」
「…なんだ、それ」
あ、この国では言わないのか。
「私の故郷の挨拶だよ。新しい年が無事に明けて、おめでとうって」
「…そうか」
何を思ったか、範蔵はいきなり私の頭をがしがしとかき混ぜてきた。
「わっ、何するんだ!」
私の抗議に耳を貸さず、範蔵は朝日を見つめたまま、言う。
「新年、迎えられてよかったな。――来年も、迎えられるように頑張れよ」
朝日が、じりじりと闇夜を押し上げていく。
私は見開いた目を、ゆっくりと細めた。
「うん。お前も」
「当たり前だ」
最後に軽く小突いて、範蔵は私の頭から手を離す。
今は乱世。
一旦戦が起これば、私達は兵士として戦場に赴くことになる。
次の年が明けるまで、また幾多の命が消えるだろう。
その中に、私達が入っていないという保証なんて、どこにもない。
それでも、また来年を迎えられることを願って。
私達は、朝日が空全体を照らすまで、屋根に座って空を眺めていた。