8 閉架書庫と空中庭園
図書室の閉架書庫の調査に、ブラッドフォードとスフィリアはあまり乗り気ではなかった。現在でもごく当たり前に利用されている施設で、目新しい発見は見込めないだろう、と言うのだ。だが、ウルリカが『アイベルンが行っていたのだから』と強く主張したため、三人で訪問することにした。
「そもそも、魔導情報板の検索システムで探し当てた資料が閉架書庫にあることなんてしょっちゅうです。こうして申請を出せば誰でも入れますし、本もたいていのものは貸し出してもらえます。七不思議とは関係なく普通に来るところでしょう」
書庫を見回りつつ言うブラッドフォードに、ウルリカは反論した。
「こんな場所があるなんて、私は知らなかったわ。学級文庫で十分だもの。上の閲覧室だって、月に一度も来ないわよ。こんな奥深くにある本を読みたがるなんて、変わり者だけでしょ」
「つまり、僕やヒマリ先輩はかなりの変わり者ですね」
ブラッドフォードは笑い、スフィリアも同調した。
「私も、宿題のレポートの参考資料がほしくて何度か地下まで来たことがあるわ。ウルリカの月に一度はさすがに少なすぎじゃない?」
「これだから、勉強が出来る組はやんなっちゃう。あんたたちの常識は世間の非常識よ。レポートなんて、普通、教科書を見て書くものじゃない」
だが、その瞬間、ふと、ウルリカの目に止まった書棚があった。学園での公用語である中央共通語とは異なる言語で書かれた書物が収められている棚だった。
「あれ、こんな本もあるんだ。南国の……農園の本かしら。バナナやコーヒーの栽培について書かれているみたい。それから……食品加工の本かな?」
先へ行きかけていた二人がぎょっとして振り返った。
「読めるの、ウルリカ?」
「完全には無理だけど、なんとなくなら。地元の言葉に近いの」
スフィリアに問われてウルリカがうなずくと、書棚を確かめていたブラッドフォードがある箇所を指さした。
「ここ、何冊か抜けてますね」
ウルリカの心臓はどきりと鳴った。
ウルリカの実家近くの言語圏は、王都周辺とは大きく異なる。南方の隣国語の影響が強いのだ。
貴族の子弟は、中央共通語も学ぶが、領民との意思疎通のため領地の言葉にも熟達している必要があり、多くはバイリンガルとして育てられる。そして、学園でウルリカと同郷なのは、アイベルンだけだった。
「この本を曲がりなりにも読める人がこの学園にいるとしたら、語学科の先生でない限り、アイベルンよ」
「そして、語学科の先生は興味を持たなさそうな、植物関係の専門書ばかりの棚ですね」
三人は顔を見合わせてうなずき合った。ウルリカの胸がちくりと痛む。
(生物科のティナ先生は、イノシシ獣人らしく鋭敏な嗅覚と味覚を活かして、食物研究部の顧問もしているのよね。植物学に食品加工。アイベルンが興味があるのって、七不思議なんかじゃなくて、もしかして本当は……)
◇
次の行き先を『魔女の小屋』にしたのはブラッドフォードの提案からだった。
「例の『空中庭園』は、少し離れたところからの方がよく見えます。それに、さきほど言った通り、ヒマリ先輩が一番よく出入りしている七不思議のスポットが『魔女の小屋』なんですよ」
(もしアイベルンがいたら、何を聞けばいいんだろう)
そう思うと、ウルリカの足取りは次第に重くなった。
かたや、前を歩くスフィリアとブラッドフォードは楽しそうに、『空中庭園』について語り合っている。
「厨房棟の煙突は、寮生や職員寮にいらっしゃる先生方の朝晩の食事とか、お昼のカフェテリア営業の調理で、ほぼ一日中使われているはずなんです」
「自宅生でも、昼はカフェテリアで食事をとる生徒も多いものね」
「僕は父の方針で、ほとんど家で弁当を用意されるので、使わないですけどね。温まった煙突の外壁に、雨どいから定期的に水分が供給されるわけですから、地上とはかなり違った環境になりますね」
「高さがある分、夜に地面が冷えて周囲の温度が下がる、放射冷却の影響も受けにくいわよね」
まだ少し距離があるというのに、目の上に手をかざして日差しを避け『空中庭園』を探すスフィリアに、ブラッドフォードはうなずいた。
「ええ、凍結や霜害の影響も少ないと思いますよ」
「とすると、珍しい植物も育っているのかしら。ああでも、種がなければ無理か。この辺でも当たり前に見られるけれど普通なら地上部が枯れてしまって冬を越せないような植物が、冬越しで残っている、程度が、期待できる妥当なラインかな。バジルとか、ミントとか」
「スフィリア先輩、夢がないですねえ。植物に紛れて探検部が持って帰ってきた蜂の一部が生き残っている、くらい、想像してもよくないですか」
「それは無理でしょ。一定規模のコロニーを維持できなければ、それこそ冬が越せないわ。でも、針のない手乗りの蜂はかわいいでしょうね。見たかったなあ。……あ、ほら、あれかしら」
スフィリアは、午後の日差しに照らされたレンガ造りの厨房棟の煙突を指さした。気が付くと、もう、『魔女の小屋』のすぐ近くまで来ていた。
とぼとぼと足元を見ながら二人の後ろを歩いていたウルリカも、友人の弾んだ声に、視線をあげた。厨房棟の壁面から伸びた煙突が、全体の高さの下から七分目辺りで、傾斜した屋根の端とぶつかる。そのすぐ下辺りに、確かに、ヤドリギのようなこんもりとした緑色の塊が見えた。
「あの屋根は、三階部分のところですね。どうにかして建物の中から屋根に上がれれば観察に行けそうですけど」
ブラッドフォードは腕を組んで目を細め、検分するように視線を動かしたが、ウルリカは首を横に振った。
「アイベルンなら、そんな必要ない。あのくらい簡単に登れるわ」
(そして、もしも珍しい植物があるなら、きっと、ティナ先生も見たがるんじゃないかしら)
ティナ先生の趣味は、珍しい植物の標本採集旅行だと、授業の時に聞いたことがあった。そのついでに、行く先々のおいしいものを食べるのも楽しみなのだ、と嬉しそうに語っていたから、よく覚えている。
そして、一緒に遊んだ幼い頃、アイベルンは、ウルリカが欲しがった花はどんな高いところのものでも、苦も無くとってきてくれた。あまりに平気で崖や高い木にも登るので、見ている方が怖くなって、ウルリカの方が見つけた花をすぐに指ささない自制心を身に付けたくらいなのだ。彼なら、本当に好きな人のためだったら、頼まれなくたって煙突ぐらい軽く登るだろう。
ウルリカの想像はどんどん嫌な方向に膨らんでいく。
その時だった。背後の小屋で、がちゃがちゃとノブを回すような音がした。はっとしてスフィリアが振り返る。
「『魔女の小屋』だわ」
「誰か出てくる!」
ウルリカは小さく叫ぶと、友人と後輩の袖をとっさに引っ張り、藪の陰に身を隠した。
そっと首を伸ばして、生い茂った葉の影から様子をうかがう。
小屋から出てきたのは、ティナ・ボーア先生その人だった。