3 空き地の白い花
もちろん、まず本人から話を聞くべきだ、というスフィリアの意見はもっともだとウルリカも思っていた。だがそれも、当のアイベルンが会話に応じてくれないのなら、意味をなさない。
ウルリカは何度も、寮と校舎を結ぶ並木道や、校舎の入り口で待ち伏せをした。だが、見渡す限りの岩山やジャングルで密入国者や敵対国からのスパイを摘発したり、危険な大型の獣や魔法生物を禁猟域の境界の向こうにまで追い返したりする訓練を繰り返して育ってきたアイベルンにとって、ウルリカの待ち伏せをかわすのは子どもの遊びよりもたやすいらしかった。
その日の放課後も、ウルリカは六年生のロッカーの近くでずっと待っていたのだが、アイベルンは姿を見せなかった。
(そういえば、小さい頃には、かくれんぼや鬼ごっこもしたなあ。いつもアイベルンが鬼で、すごく楽しかったけれど、あれ、彼にとっては遊びというより、来客に対する『おもてなし』だったのか)
アイベルンが本気を出したら、ウルリカなんて、隠れても、走って逃げても、十秒もかからずに捕まってしまったはずだったのだ、という、ほろ苦い事実に気がついてしまう。
(すぐ捕まったらわがままだった私はきっとへそを曲げちゃっただろうし、アイベルンは、半日でも一日でも、きゃあきゃあはしゃいで逃げ回る私に合わせてくれてたんだよね)
もしかして、婚約の話もそういうことだったのか、と考えると、ウルリカの心は鉛に変わってしまったかのようにずんと落ち込んでいった。早春の夕方、あっという間に下がっていく気温が、そんな気分に拍車を掛ける。
(子どもっぽくはしゃぐ私に合わせて、婚約ごっこに付き合ってくれていただけだったのかも。今のアイベルンには、もっと他に叶えたい夢ができちゃったのかも)
何と言っても、婚約なんて話題がウルリカとアイベルンが一緒にいるときに出たのは、学園に入学する以前が最後なのだ。その頃は、まだまだ先の話だと、親同士もごく軽い調子でお茶の席の話題にする程度だった。
ウルリカが学園の寮に入ってからは、帰省の日程が噛み合わなかったりして、彼とは故郷では入れ違いになることが多かった。そもそも、アイベルンの帰省が一般的な生徒よりかなり短いのだ。この前の冬越しの祭りの休暇なんて、みんな実家で家族と過ごすのが当たり前なのに、アイベルンは、一日も実家に戻らなかったらしい。伯爵夫妻はひどく残念がっていた。
それでも二人はいつもと変わらずに、ウルリカを実の娘のようにかわいがってくれたので、彼女はすっかり安心しきっていて、状況が変わっている可能性を考えてもみなかった。
(いくら、伯爵夫妻が結婚に乗り気だからって、アイベルンの気持ちもずっと二人と同じかどうかなんて、わからないはずなのに。もしかして、そういう話題になるのが嫌で、帰省も避けていたのかな)
もしそうなら、末の息子が帰省しないという伯爵夫妻の憂いの遠因は、ウルリカということになる。夫妻がかわいがってくれている恩を仇で返すようなものである。
考えれば考えるほど、ウルリカの気持ちは沈んでいった。
(もう、やめよう。今日は帰ろう。こんな気分でアイベルンに会っても、何を話していいかわかんないよ)
すっかり薄暗くなってきていた昇降口を出ると、それでも春に向けていつの間にか日が伸びてきていたようで、夕空はまだ思ったよりも明るかった。淡い紫色の空が、寮へと続く並木道の上に広がっている。
そのまま寮に戻る気にもなれず、ウルリカはふらりと並木道を外れて、寮と校舎をへだてる雑木林に分け入った。すこし散歩して、頭を冷やそうと思ったのだ。
風もなく、しんとした夕方。木々が華やかな色の空に黒々と枝を広げて、レースのような複雑な模様を描いていた。
もうほとんどみんなが下校して、寮生たちは宿題をしたり、本を読んだり、談話室でおしゃべりしたりと、思い思いの時間を過ごしたりしているはずだ。
並木道からかなり離れた木立の中、古い柳の木の下にあるベンチのような倒木に腰掛けると、ウルリカは大きく深呼吸した。ここは、親友のスフィリアと彼女しか知らないはずの秘密の空き地だ。生徒会の仕事が忙しくなってからは、めったに訪れることもなくなっていた。
冷たい空気の底に流れる、ほんのりとさわやかな香りが、ふとウルリカの鼻をくすぐった。
(あれ。何の香りだろう)
辺りを見渡したウルリカは、少し離れたところに、何人もが寄り集まってぎゅうぎゅう身体を押し合う子どもの遊びみたいに、密集して白い花を咲かせている、とがった葉の植物の群落を見つけた。
この近くは、ウルリカの故郷よりもかなり涼しい気候で、花の種類も多少異なる。その、香りの強いラッパのような形の白い花は、彼女が初めて見る種類だった。
「わあ、こんな花があったんだ」
ウルリカは、思い悩んでいたことも一瞬忘れて、吸い寄せられるように群落に近寄った。そっと花に顔を寄せて目を閉じ、香りを嗅ぐ。心が洗われるような、凛とした香りだった。
その時だった。
「やめるんだ、ウルリカ!」
突然の声と、つむじ風のように近づいてくる気配に、ウルリカははっとして目を開けた。
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第4章以降は、一日一回、午前中更新のつもりです。
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