2 七不思議の秘密
「そうなの。秘密の魔法薬を作るための大釜や、コウモリのフン、トカゲの尻尾、邪悪な魔獣の卵を温める孵化器まであると噂の場所よ。これってまずいよね?」
ウルリカは必死で訴えたが、親友はくすっと笑った。
「噂はね。生徒会の記録では、あそこは園芸部の作業小屋よ。もうずっと閉め切られていると思っていたけれど」
「だって、園芸部なんてうちの学園にはないじゃない!」
「数年前の帳簿には、活動記録があったと思うわ。予算の執行記録もちゃんとあるはずよ。確かめたいなら、会計のブラッドフォードに聞いてみれば? 冬越しの祭りの前に古い帳簿類を整理していたから」
共通の知り合いである、生徒会役員の一学年後輩の男子の名前をあげられては、ウルリカもうなずくしかない。ブラッドフォードの調査能力はずば抜けている。根も葉もない噂に踊らされることなく、確実な証拠に基づいた事実を教えてくれるはずだ。
「でも、それだけじゃないの。今にして思えば、アイベルンが学園七不思議にまつわるところに出没しているのは間違いないのよ」
「『魔女の小屋』だけじゃなくて、ってこと?」
「そう」
ウルリカはため息をついた。
「一番最初に、あれっと思ったのは、時計塔の『魔獣の檻』。去年の夏ごろだったかな。眠れなくて、窓から外を見ていたら、男子寮の陰から、時計塔の方に向かう人影が見えたのよ。その後で、時計塔の外壁を苦も無く登って、それからしばらくして下りてくる人影も」
「ええっ」
スフィリアは細い指先でつまみかけていたクッキーを、皿の上に落としてしまった。
「時計塔の外壁? あんなところ、登れるわけ? しかも、夜に見えたそんな遠くの人影をどうしてヒマリ先輩って断言できるの?」
信じられないといった口調で問いを重ねる友人に向かって、ウルリカは憤然と腕を組んだ。
「あの走り方のくせは、絶対アイベルンよ。ちょっと上下に飛び跳ねるみたいな動きなのに、ものすごく速いの。見まちがうわけないわ。ネコ科の人達なら、もっと姿勢を低くして一直線に走ると思う。それに、時計塔の外壁は、彼の実家の近くの岩山にちょっと似ている材質なのよ。他の人にとっては想像もできないかもしれないけど、アイベルンの実家は山岳防衛を主にやっているから、崖登りなんて日常トレーニングの一環なの。もともと、彼は寝つきが悪い方で、実家でもよく夜に抜け出して散歩していたみたいだったから、その時は、気晴らしに運動したかったのかなってあまり深くは気にしなかったんだけど」
「ヒマリ先輩もウルリカも、規格外だってことは今の話でよくわかったわ。時計塔の登攀なんて、気晴らしの運動ってレベルじゃないわよ。生徒指導の先生が見たら卒倒しちゃう」
「だから黙ってたんじゃない。彼にとっては大したことないのに、騒ぎにしてもいいことなんてないと思ったんだもの」
ウルリカは唇をとがらせた。そう。その時は、別に大したことはないと思ったのだ。
(あの時、もっと心配して、直接話を聞いてみればよかったのかもしれない)
「今にして思えば、『魔獣の檻』 に行ってたのかなって」
「うーん。深夜に時計塔を登攀する理由として、運動不足解消も、『魔獣の檻』の調査も、どっちも荒唐無稽のレベルとしては大差ないと思うけどね。行動自体がすでに突拍子がないもの。……まあ、いいや。それで?」
「『精霊の塚』は、厨房の裏手の雑木林にあるって話だったでしょ。アイベルンがそのあたりを、周囲を気にしながら何かを探しているような様子で歩いていたことがあって、私が声を掛けたらびっくりして飛び上がって逃げちゃったの。『幻の空中庭園』は、『精霊の塚』と同じく厨房と食堂がある棟のあたりだって噂があったわよね」
「詳しい場所は今となっては誰も知らないけどね……いや、ブラッドフォードなら、噂ぐらいは押さえているかも。あの子、地獄耳だから」
スフィリアは少し首を傾げたが、ウルリカは構わず続けた。
「『学園図書館の禁書目録』については、アイベルンがしょっちゅう、地下の閉架書庫を利用しているみたいだってことまではわかった」
「ちょっと、ウルリカ。避けられてるっていう割に、ずいぶん彼の行動に詳しいのね」
呆れたように、スフィリアはカップを口元に運んで、その香りに思わずといったように頬をほころばせた。今日ウルリカが淹れた紅茶は、実家の茶園で製造されている最高級のものだ。学園で友だちに飲んでもらって宣伝するから、と理屈をつけ、いつもウルリカに甘い父に駄々をこねて少しだけもらってきた秘蔵の品である。
「だって、避けられていると思えば、話をしたくなるじゃない。気にもなるでしょ。でも、私が声をかけると逃げちゃうから、物陰から様子を見るしかなかったのよ」
「それ、世間では付きまといっていうんじゃないかしら。ヒマリ先輩が気にしないならいいと思うけど」
少し首を傾げて冷静に指摘する親友の言葉に、ウルリカはうっと言葉を詰まらせた。
「それに、閉架書庫にあるのは、階上の閲覧室には収まりきらない、少し古い本や閲覧者が少ない本だけよ。うちの学園に、『禁書』があるなんて聞いたことがないわ」
「誰にも存在を知られないように、読めないようにしてあるから禁書なんでしょ?」
「でも、『魔女の小屋』と『魔獣の檻』以外はどの案件も、近くで見た程度の根拠薄弱な話じゃない。それに、『檻』のある時計塔も『小屋』も、普通は生徒が近寄らないっていうだけで、れっきとした正当な使用目的のある施設よ。七不思議みたいなおどろおどろしい伝説は本来入り込む余地はないはず。ウルリカの心配し過ぎじゃないのかなあ。七不思議の、後の二つはなんだっけ」
「一つは『失われた水晶宮』だったかな。それから、最後の一つは――――」
彼女は力なく首を振った。
「七番目の不思議は、他の不思議の謎を解いたものだけが辿りつける、途方もない効き目と価値がある秘密の呪法だっていう噂だけは聞いたことがあるの。だとすると、それがアイベルンの目的なのかなって」
「もし本当ならすごいじゃん」
スフィリアはくすっと笑った。
「でも、まさかでしょ。ヒマリ先輩がそんなもの信じるなんて思えないけどなあ。学園生活の思い出に、おどろおどろしい噂を好奇心半分で調べてみようと思ったからって、それは大きな問題じゃないんじゃない?」
「それが趣味程度ならね。でも、卒業したらどうするのかを聞こうと思っても、会話にも応じないで逃げちゃう人が、一人でそんな不確かなものにのめり込んでるって考えたら心配にならない?」
「うん、それはわかるけど。思い込みで動かないほうがいいよ」
笑ったりせず、心配そうな顔になったスフィリアの様子に、ウルリカは少しだけほっとした。
(やっぱり心配なんだもん。私がわがままだったり、めったやたらに過剰反応をしてるわけじゃない……よね?)
「大体、一人でってウルリカは言うけど、そもそもヒマリ先輩って、二十年に一人レベルの秀才と言われるだけあって、とにかく人と馴れあわない、孤高の人って感じでしょ」
「その、秀才って言われるのは本人はすごく嫌がるけどね。色んな意味で、あまり周囲と話が合わない感じはあると思う」
体力自慢の人間が多いヒマリ一族の中では珍しく、アイベルンは学問に大きく才能を発揮していた。とはいえ、辺境の山岳を駆けまわって培ってきた体力もまた、一族の中でこそさして目立たないが、学園の中では群を抜いている。寡黙な性質の幼なじみは、そうしたずば抜けた実力で周囲を圧倒して、彼にとって居心地のよい対人距離、すなわち誰からもしつこく構われず、放っておいてもらえるポジションを獲得したらしかった。
運動こそ他の女子より多少できたけれども、勉強は十人並みで、とにかく人当たりの良さと社交力で学園生活を乗り切ってきたウルリカとは大違いである。
「先輩の単独行動はいつものことだし、案外何でもない話なのかも。ちゃんと話してみなよ」
スフィリアはウルリカをなだめるように穏やかな調子で言ったが、ウルリカの胸騒ぎはおさまらなかった。
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本日中にもう一話分更新し、明日からは、一日一話更新とさせていただきます!