02:主席と次席
俺がスノウと出会ったのは、おおよそ六年ほど前のこと。
騎士学園に入学した俺の前に、彼女はもっとも強大なライバルとして現れた。
騎士団長を目指す上で、騎士学園の主席卒業はある意味必須と言える要素。
それを達成するために、俺はスノウよりも常に上の成績を取り続ける必要があった。
日々追い立てられるというのは苦しいものではあったが、おかげで怠けずに過ごせたことは、心の底から感謝している。
スノウとの思い出の中で酷く印象に残っていることは、卒業間際のやり取りだ。
「なあ、スノウってこの先どうするんだ?」
共に行う日課の素振りを終えた俺は、スノウに対してそう問いかけた。
その時俺はすでに騎士団への内定をもらっていて、卒業と同時に入団が決まっている状態。
しかしスノウは、騎士団への入団申請どころか他に用意された就職先にすらも申請を出していなかった。
騎士学園に入学するほとんどの人間は騎士団への入団を望んでいるため、スノウのような人間は本当に珍しい。
ただそのせいで彼女は、実力は伴っているのに変人扱いされてしまっていた。
「……冒険者になろうと思う」
「冒険者⁉」
「うん。元々騎士学園に入ったのは、剣術を学びたかったから。騎士団には興味がない」
スノウはあまり表情豊かな方ではない。
しかし、ここ数年の付き合いで、スノウが冗談を言うような人間ではないことは知っている。
だから冒険者になるというその発言も、本気で言っているのだと理解できた。
「私は自由な人生が好き。だから、気ままに自由に、ダンジョンに挑む生活を送りたい」
「……そうか。スノウらしいな」
「レインも……」
「ん?」
「レインも、一緒に冒険者にならない?」
その問いかけには、さすがにポカンとしてしまった。
俺が騎士団長を目指しているということを、スノウは知っているはず。
それでも尚誘ってきたということは、よほど俺のことを必要としてくれているのだろうと思った。
「誘ってくれるのは、すごく嬉しい。……でもやっぱり、俺は騎士団長を目指すよ」
「……ん、分かった」
残念そうに小さく笑った彼女の顔は、今でもよく覚えている。
◇◆◇
「スノウと一緒に……冒険者を」
「そう」
スノウは真剣な顔で頷く。
冒険者への誘い。
前に誘ってくれた時も冗談抜きの真剣な誘いであることは理解していたけれど、今はそれよりも重いモノが込められているような気がした。
「前に一度誘って、断られたことは覚えている。レインが騎士団長を目指していることも知っている。それでもやっぱり、あなたには私の隣にいてほしい」
「……っ」
俺の脳裏に、ヴェイルの嫌な言葉が過ぎる。
『お前の居場所なんざ、どこにもねぇ』
どれだけ馬鹿にされようが、どれだけ虐げられようが、俺はずっと耐えることができていた。
しかし、最後にぶつけられたその言葉だけは、どういうわけか俺の心に深い傷として残ってしまっている。
スノウの言葉には、そんな心の傷にスッと染み込み、癒してくれる力があった。
(どうせ……行く場所なんてないしな)
俺は騎士団長になり、力なき者たちのために戦える人間になりたかった。
その夢が儚く消えた今、目の前にいる女性のために生きるというのも悪くはないだろう。
それが、俺の生きる目的になるのなら――――。
「……分かった。こんな俺でよければ、お前の側に置いてくれ」
そんな言葉と共に、俺はスノウの手を取った。
「……いいの?」
「いいのって……お前が誘ってきたんだろ?」
「うん。でも、正直断られると思っていたから」
「ああ……」
スノウは、俺が騎士団を追い出されたことをまだ知らない。
故に無理に誘っていると認識していたようだ。
「今の俺について、聞いてほしいことがあるんだ。少し、時間をくれないか?」
「ん、分かった。今日は予定もない。いくらでも付き合える」
「それは助かるよ」
俺とスノウはもう少し込み入った話をするために、場所を移すことにした。
「――――それは酷い話」
場所を近くの喫茶店に移した後、俺は騎士団に入団してから自分の身に起きたことをスノウへ説明した。
話をすべて聞いた上で、彼女は不機嫌そうに頬を膨らませている。
しかしながら、相変わらずその表情変化が乏しい。
俺は長らく時間を共にしたおかげでなんとなく理解できるが、初対面の人間からすれば彫刻を見ている気分になることだろう。
ともあれ、自分のために怒ってくれる人間がいるというのは、正直ありがたい。
「だからもう、騎士団には戻れないんだ。だからスノウに誘ってもらえて助かったっていうか……」
「ん、タイミングがよかったみたいで嬉しい」
スノウは安心したように胸元に手を沿えている。
俺がスノウの立場になって考えると、俺のような人間を別の道に誘うなんてことは、相当勇気のいることのように感じられた。
しかも一度俺は断っているし、再び誘うことに抵抗を覚える気持ちは理解できる。
「……スノウは、学園を卒業してからどうしてたんだ? 大雑把なことは噂として知っているけど、どれも信憑性がなくてさ。竜の首を落としたとか、Bランクダンジョンを一人で攻略したとか」
「ん、どれも本当」
「へぇ……って」
俺はコーヒーの入ったカップを口に運ぼうとして、思わず止める。
「嘘だろ……? ほ、本当に一人で?」
「うん。Bランクのダンジョンに一人で潜ったら、最下層に竜がいた。だから倒した。それだけのこと」
なんでもないことのように言いつつ、スノウはミルクと砂糖の入ったコーヒーを飲む。
この世界を創造せし神が、いずれ来たるとされる"災厄"に対抗するために人類への試練として用意した物――――それこそがダンジョン。
人々はダンジョンを攻略するために強くなり、ダンジョンは人類の努力に見合った報酬を与える。
報酬とは人々の生活を豊かにする素材や、新たなダンジョンに挑むための新しい武器など様々だ。
そういった物を得るために、人々はダンジョンへと潜る。
もちろんダンジョン攻略は決して簡単なことではない。
中には大量の魔物、罠や複雑なギミックが所狭しと並んでいるのだ。
冒険者ギルドでは四人以上の攻略が義務付けられており、パーティメンバーのバランスが何よりも大切だと言われている。
高難易度ダンジョンが相手の時はギルド総出を上げて挑むことだってあるし、内部のギミックに合わせて都度メンバーチェンジを行いながら攻略していくことだってあると聞いた。
それを一人で攻略してしまうなんて、いくら俺が冒険者に精通していないとはいえ、規格外であることくらいは分かる。
「さすがにギルドマスターに叱られたから、もうやらないけど」
「ああ、それはギルドマスターが正しいと思う……」
「でも、一人で攻略できたのは潜ったのがBランクだったから。Aランクのダンジョンはギルドメンバーを連れて行くし、Sランクに挑む時はさらに厳選しないといけないって分かってる」
そう告げて、スノウは俺を見た。
「レインの力は、多分私が一番よく知っている。そして私のことも、きっとレインが一番知っている。だからSランクダンジョンに挑む時は、必ずあなたを連れて行くと決めていた」
「……責任重大だな」
「私たちなら大丈夫。きっと攻略できる」
スノウの目は、どこまでも俺を信じ切っていた。
ここ二年間、こんな風に信頼してもらったことなどあっただろうか。
スノウはどこまでも純粋な人間だ。
その信頼に嘘偽りがないことくらい、俺でも分かる。
「今日はもうすぐ日が暮れる。明日の朝、ギルドに案内するために迎えに行く。レインはこれからどこに住むの?」
「ああ……しばらくは宿暮らしになると思う。あまり貯金があるわけじゃないけど、それが尽きるまでに何か仕事ができればって考えてる」
「ん、じゃあ一つ提案がある」
「え?」
「――――私の家で一緒に住もう」
そう提案された瞬間、俺は自分が石のように固まってしまったのを自覚した。
「……冗談、だよな?」
「私は冗談は言わない。私の家はとても広い。余っている部屋もいくつかある。そこを使わずに宿に泊まるのは、ちょっともったいない」
「いや、理屈は分かるんだけど……スノウはその家に誰かと住んでるのか?」
「一人だよ?」
「んー……」
提案自体はありがたい。
本当に心の底からありがたい。
スノウのサポートで冒険者になれたところで、すぐに何もかも上手く行って生活費を稼げるようになるとは限らないわけで。
そこを心配する以上、寝床が確保できるだけでも安心感が違う。
とは言え、だ。
「……お前は本当に大丈夫なのか?」
「何が?」
頭を抱えそうになった。
別にやましい気持ちがあるというわけでもないけれど、この危機感のなさは正直心配になる。
まあスノウを組み伏せることができる人間が、そもそもほとんど存在しないわけだけど――――。
「レインと一緒なら、私も嬉しい。他に当てがないのなら、私の家に来てほしい」
「……分かった」
ここまで言わせた上で断るというのは、俺には難しい話だった。
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