縁を手繰り寄せて
「……ようやく、ここでの作業も終わりか」
木漏れ日の心地よい、小さな農村で、妖魔の荒らした畑を犯人共々耕していた人物は、やっと訪れた終焉にほっと息を漏らした。
この妖魔は人を喰らう事をやめたまでは良かったのだが、山菜では間に合わずに強奪に至ったらしい。しゅんと尾を下げて反省しているので、村人達とも合意して厳重注意で済ませる事になった。
妖魔と人間が共存の道を歩き出して、三ヶ月。
まだ戸惑いを隠せぬ者も多いが、大多数は既になじんできている。両者の事情、考えを尊重、理解する姿勢は随分と定着してきた。元々、彼等の中にもそう出来ないだろうかという考えがあったからこその成果なのだろう、と密かに報告書に書き記した。
「銀蒐~!」
作業を終えた彼の元にやって来たのは、天使の笑顔だった。両手には沢山の花を抱えている。
「見てください!少し村から出たところに大きな花畑があってですね!こんなにも摘んじゃいました」
無邪気な笑みは、実際の年齢よりも幼く感じる。
銀蒐は春零の持ってきた花を一輪抜き取ると、それを春零の髪に挿した。淡い桃色が金の波打った髪を彩り、かわいさを引き立てる。
「こんなに花があったら、蓬杏殿は花飾りでも作るのではないだろうか?」
「ああ、蓬杏ならそうやって遊びそうね」
くすくす笑い合う二人に、聞き慣れた、でも今ここで聞けるはずのない声が届いた。
「妾は花びらを一枚一枚千切って、空から雨のように降らせるのが好きじゃぞ」
「「!!」」
肩をすくめて春零が振り返った先には、紛れもなく蓬杏の姿が。隣には見知らぬ鳥族の女性が控えている。恐らく、姫の御付と言ったところだろう。
「あの花畑は妾と陳鎌で造ったのじゃ。あそこはたまたま開けていて、花が咲くには丁度いいじゃろうと、種を蒔いたのじゃ」
「あの花畑を二人で?」
「どうしても形にして残したい事があったのじゃ」
しみじみと言う蓬杏の瞳は僅かに潤んでいた。
聞くのは避けた方がいいかと思われたが、聞かないわけにはいかなかった。
「陳鎌は?今、どうしてるの?」
「……」
しばらく沈黙した後、蓬杏は無理に笑顔を作って言った。
「あやつは、遠い何処かへ逃げたのじゃ。妾ごと陳鎌を暗殺しようとした輩が出てきて……怖くて、逃げ出したのじゃ」
「本当に、もう二度とあの面を拝みたくはありませんよ」
「雁鳴、久々に仲間達に出会ったのじゃ。水入らずで話をしたいのじゃ」
「承りました。どうぞごゆっくり」
側に控えていた彼女はゆっくりと下がり、村の出口へ向かって消えた。
彼女がちゃんと離れたのを確認すると、蓬杏はぼろぼろと涙を流し出した。
「妾は、せめて、連絡くらい、来るものじゃと、思ってたのに!何も言わないで、自分だけ責めて……!」
「蓬杏……」
おそらく陳鎌も辛い決断だっただろう。姫の元で罪を贖う事を言いがかりに側に居たのだろうに、そのせいで危険な目に遭わせてしまったのだから。
彼には衿泉と同じように、帰る場所がない。下手をしたら何処かで彷徨い続けているかも知れないのだ。心配でならないに決まっている。
花を握り締め、春零は宥めるように言った。
「蓬杏、花畑に行きましょう」
突然の提案に、蓬杏もきょとんとしていた。
「二人で造った、大切な思い出の場所なのでしょう?彼だって、ここを大事に想っているはずです。だったら――来ると思います。蓬杏に、春零達が待ち望んでいれば、きっと」
「……帰って、来てくれる、じゃろうか」
「二人を結ぶ唯一の証をないがしろになど出来るはずがないだろう」
さらりと言ってのけた銀蒐に、蓬杏は迷いを払拭した。力強く頷き、彼らと共に陳鎌に繋がる唯一の糸を手繰り寄せるために、一歩踏み出した。
村を抜け出して数分後。
深緑が急に開け、白や桃色を基調とした花の絨毯が辺り一面に広がった。
香ってくるほのかな甘い匂いに、よく語られる「桃源郷」と呼ばれる場所をつい連想してしまう。
確かに日当たりも良いが、これだけの花はもちろん定期的に手入れをしなければ育つ事はない。この膨大な土地を蓬杏一人で手入れするのには骨が折れそうだと思う。
「見てくれ!この紅い花は蓬蓮花と言って、炎のように熱く、優しく燃えるような花じゃ!実は妾の名前はここから来ておるのじゃ!」
花畑の一角に、目立つ赤色の花は本当に紅蓮の炎そのものだった。しかし燃やし尽くして灰にしてしまいそうなギラギラした炎ではなかった。ふんわりとした花弁が、まさに生命の営みに欠かせない、生き物を優しく温める灯火だった。
「これも……陳鎌が埋めてくれたのじゃ。妾の名前の由来である、大切な花じゃからと」
またもや瞳を潤ませる蓬杏。
そこに風が吹き、辺りの花びらを宙に舞わせた。視界が赤と白に染まる。
この風が、待ち人を運んでくれたら……。
なんて思った時だった。
舞い続ける花びらの中、こちらへ向かってくる一つの影が見えたような気がした。しかし一瞬だったために、蓬杏は最初ただの気のせいだと思っていた。まさか、本物が居るはずないと心の中で半ば諦めていたせいだろう。
ところがそれは紛れもない現実だった。
落ち着きを取り戻した花びらが花畑に散っていく。視界が鮮明になり、先程の影は確かにこちらへ向かって来ていた。
必死に目を凝らした蓬杏。
「全く、運命ってとんでもない奇跡を手繰り寄せるもんだなぁ」
聞こえた懐かしい声に銀蒐と春零も顔をほころばせた。
幻じゃない、本物の陳鎌が現れたからだ。あの頃と違うのは、第三の目を隠していた額当てがなくなっていることだった。
「本当に、陳鎌なのじゃな!?」
「ああ。逃げても何も変わらないって、蓬杏の元を離れてすぐ思ったのさ。でもそのままで帰るわけにもいかなかった。だから、一つけじめをつけにいったのさ」
「けじめ?」
「そう、僕の父親に会ってきた」
「!」
父親の行方は分からないと聞いていたのだが……。
「最初はやっぱり拒絶されたよ。でも、諦めなかった。僕が大切な存在であると思うことが出来なくても、母さんは違うだろうって言った。そしたら、母さんとの事を思い出してくれたようでさ。いつか一緒に母さんの墓に行こうって約束してきた。まだまだ時間が必要だろうけど、互いに拒絶し合って造った壁はほぼ打ち砕かれたかなって感じ」
「して、父親の行方はどうやって捜したのじゃ!?姿こそ覚えていたじゃろうが、この国中をそう短期に回る事など……」
「出来るだろう?僕には、いや僕達には絆で繋がった頼もしい仲間が居るんだからさ!」
次の瞬間、空を何かが駆けた。あまりの速さに最初は一体何なのか、陳鎌以外には分からなかった。
それは旋回して花畑の中央にゆっくりと着地した。再び風が巻き起こり、それを歓迎して彩るかのように花が踊る。
ようやくそれの正体が何なのか理解した春零、銀蒐、蓬杏は思わず駆け寄った。
「「「黎琳!」」」
翼を畳んだ天龍は一緒に旅してきた仲間の姿へと変わる。
「久しぶりだな、皆!」
黎琳の背から飛び降りた衿泉も久しぶりに仲間達の顔を見て、口元を緩めた。
「黎琳、龍の姿に戻れるようになったんですね!」
「ああ!衿泉と旅をしていたら、まだ蕾だけのこの花畑に遭遇してな。そこから流れ出ていた強い思いが、私の気を活性化させたみたいでな」
「いきなりこんな所で龍化するものだから、ぎょっとしてしまったがな」
互いに再会の喜びを分かち合う。
「……にしても、陳鎌殿と蓬杏殿が造ったこの花畑に何気に皆引き寄せられているような気がするのだが」
「そりゃあ、この二人は私と離れたくない!って最後まであれだったからな。その思いが強く花に浸透して根付いてしまったのだろう。花は人の思いに答えて咲くものだと、香耀も言ってたし」
たとえどんなに離れていても、思いはきっと届く。その結果が今の有様に強く出ていると黎琳は思った。
「どうだ。折角皆集まったのだし、茶でもしないか?」
「この花ならお茶に浮かべて丁度いい感じになりそうです♪」
「村から米を買ってきて、にぎりを作っても良さそうだ」
「定期的にこういうのをするのもありだと思わない?」
「それ、賛成なのじゃ!」
口々に自分の思ったことを述べて、笑い合う。
「じゃあ早速茶器などを借りてこよう」
「花見に合いそうな菓子もじゃ!」
『菓子はほどほどにしておかないと、花より団子になっちゃうでしょうよぅ?』
「そうそう、春零が尚更幸せ太りするって……おろ?」
会話に乱入してきた珍しい声に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった黎琳。何せ自然に入ってこられては不自然である人物がそこに居たものだから。
「どうしてお前もここに?」
つい三ヶ月ほど前までは敵としていがみあっていた妖狐の娘は、嘲笑の笑みを浮かべた。
『不自然にここだけ花畑になってたから、来てみただけだわ。まさか平和ボケしたお前達に会うなんて、思ってもみなかったけど。彼なら知っていたんじゃない?』
「彼って……まさか!」
『そのまさか、だ。黎琳』
銀色の龍が緑を掻き分けて花畑へと進み出た。
「黎冥!」
もうしばらくは会えまいと思っていた兄と、今ここで再会出来た喜びは大きかったらしく、黎琳は勢い良く黎冥に抱きついた。衿泉は少し眉を引きつるのを忘れなかった。
抱擁を交わした兄に向かって、黎琳は言った。
「黎冥も皆と一緒に茶を楽しもうじゃないか!ほら、溜謎も!」
『いや、わたくし達は別に……!こらっ!尻尾を掴むな!』
否応なしにぐいぐい引き寄せる黎琳に、調子を狂わされる溜謎。黎冥も困った妹だ、と苦笑いしながら仲間達の所に近寄る。しかし、気のせいか歩く動作が少しぎこちなかった。
黎琳以外の皆は察した。きっと、本当に仲間に入れてもらっていいのか躊躇っているのだろうと。少なくともあの出来事で失ったモノがある人がいるのは事実だ。久しぶりに集った英雄達にもそれは例外ではない。
が、そんな複雑な気持ちなど抱く必要はなかった。
「器が八つ、菓子も八人分、じゃの!」
蓬杏の明るい声に、衿泉も瞳を優しく細めた。春零は二人を手招きし、銀蒐は茶の用意のために村へと降りて行く。陳鎌は黎冥の肩に手を回し、いつもの陽気さで場の空気を緩ませる。蓬杏は溜謎と「炎の格好良さ」について意気投合しはじめたりした。
皆、変わった。世界が変わったように。でも、世界を変えたのは紛れもなく先に未来を見据えて変わった者達の心に相違ない。新しく走り出した世界に戸惑いを覚え、馴染めずにいる者達は少数であれど、いるのは事実だ。もしかすると、折角生まれた世界は不安定で、すぐに壊れてしまう危険性だってあるのだ。
こんな幸せな時間を、彼らはいつまで過ごす事が出来るのだろう。
いつかは本当の別れや悲しみが訪れるだろう。しかし、彼らなら大丈夫だ。
これからは共に悩み、共に苦しみ、喜び、分かち合い、彼ら人間と妖魔が中心となって世界を展開していけばいいのだから。
――私が、皆が、これからも世界を支えていく。新たに結ばれた縁を大切に出来るように
「何呆けているんだ、黎琳。お前も座れ」
愛しい人に名を呼ばれ、黎琳は花の道を渡る。
――愛しい者達を、守るために
辿り着くその先はいつだって、彼らの、皆の笑顔溢れる場所だと確信して。
……天から彼らの様子を覗き見していた七神達はこれから彼らがどんな物語を紡いでいくのか、楽しみで仕方なかった。
共に世界を救う旅は終わってしまったけど、共に未来を歩く「旅」は終わらない。
新たに生まれたこの世界を生きる、全ての生き物があり続ける限り。
これからもずっと、永遠に。
思い描く明日へ、思いっきり走り抜けて。
空を駆ける龍のように。
今回で龍神烈風伝は最終回となります。
今まで応援有難う御座いました。
作者の個人的な見解、続編・新作の事については「あとがき」をご覧下さい。