終章:終わらない旅路を
調印が無事に済み、一行は女王の計らいで城に滞在していた。
まだ戦いの疲労は残っていたため、数日部屋でゆっくり休養を取った。特に黎琳と黎冥は莫大な力を使ったせいで、相当の負担がかかっていたらしく、初日寝室に入るなり気を失って大変だった。
仲間達は早々に回復した。春零や宮殿の治癒術師が手厚い看護をしてくれたからだ。そしてつい先程、黎冥が目覚めた。だが未だに黎琳は眠り続けている。
心配そうに妹の側を離れない黎冥を見ていると、らしくない子供じみた感情を抱いてしまう衿泉であった。
そうしている間に決戦から一週間が経とうとしていた。
「これから皆は元いた場所へと帰るんだよな……」
割り当てられた自身の部屋で、何もする事がなく窓の外を見つめて呟く衿泉の姿があった。
分かっていた事ではあるが、旅ももう終わった事だし、ここらが潮時だ。
このままだらだらと一緒に居れば居るほど別れが辛くなってしまう。
銀蒐はこの王城で、まだ女王としてなりたての陛下を支えなければならない。そして恐らく春零もその力添えのためにここに残る。蓬杏は鳥族の姫として帰還するであろうし、陳鎌も罪人として共に鳥族の里へと行く覚悟だろう。
そして黎琳は……何処に帰るのだろう?
育った天界だろうか。はたまた、記憶に残る自らの生家だろうか。
自分には帰る場所がないから、黎琳と共に居たい以上、彼女が望む場所へもちろん行くつもりだ。けれど、それで本当にいいのだろうか。
もしかしたら……。
「浮かない顔してどうしたんだ、衿泉」
「ああ、少し考え事をしていただけだ。気にするな……」
「この私に相談もしないで、か?」
しばしの間を置いて、衿泉ははっと勢いよく振り向いた。
眠り姫のように横たわっていた黎琳が起きてピンピンしていた。
「なっ……!おまっ、起きてっ」
「だ~か~ら~、私をお前呼ばわりするなっ!」
懐かしの飛び蹴りが炸裂した。痛いのは勘弁、と言いたいところだが、黎琳が本当に目覚めた事を実感する事が出来た。
ふっと思わず頬を緩めると、まだ仕置きが足りないか、と頬をぐりぐりしだした。
「いたっ!もう分かっつぁ!分きゃったから!」
「ふふんっ」
何だか黎琳の方も上機嫌のようだ。
「久々に衿泉に会ったような気がしてな」
「そりゃあ、一週間寝込んだままじゃそう思うだろうな」
「一週間も寝ていたのか!?」
どれだけの時間が経過しているかまでは分からなかったようだ。
「えっ……と」
ばつの悪そうに顔を赤らめて、視線を逸らす彼女。
「心配かけて、悪かった……。れ、黎冥が!激しく気落ちしてるって、言ってたから!」
「黎冥が?」
「気を利かしたのだから悪く思うな、人の子よ」
何処からともなく室内に黎冥の姿が現れ、思わずぎょっとしてしまった。
「我が妹のために心を痛めていたようだからな……。これは昔から一度言い出したら歯止めの利かないじゃじゃ馬娘でな。これからきっと色々気苦労をかけると思うが……よろしく頼む」
何だか妹を預けて何処かへ行ってしまうような言い回しだと思ったので、すかさず聞いた。
「これから、何処へ行くつもりなんだ?」
「――さあ。今は何も考えていない。しかし当てもなく彷徨うのもまた叙情のあるものだ」
「……溜謎はあの山の洞穴にまだ居るみたいだ」
銀蒐から聞いた情報によると、そこで妖魔達との働きかけを行っているらしい。たった一人でこの国全土に住まう妖魔達に話をつけるのは骨の折れそうな話である。彼なら何か思う所があるだろうし、即刻行くと言い出すだろうと思っていたが。
「その近くに行く事があれば、行こう」
思った以上に薄い反応に、それ以上溜謎の事を気にかけろとは言えなくなってしまった。歪んでいたとはいえ、彼女が黎冥に抱いた淡い恋心は事実であろう。その想いには応えられないと言う事なのだろうか。それとも、共にあったせいで世界を破滅へ導こうとしたのだから、会ってはならぬと自分を律しているのだろうか。
気まずい空気が流れ始めた時。
「いや、黎冥は溜謎に会うべきだ」
鋭く口を挟んだ黎琳に二人とも度肝を抜かれてしまった。
「確かに二人、出会わなければ良かったと思う部分もあるかもしれない。だが、一度何の因果であれ繋がった縁は大切にした方がいいと私は思うんだ。私が、人間などくだらないと思っていた最中に自然と引き寄せた仲間達と同じように」
「……分かった。我が妹がそういうのであれば、会いに行こう」
「じゃあ、元気でな。黎冥」
「我らが使命は終わらぬ。もしも再びこの国に影が落ちたら、惜しまず力を貸そうぞ」
「もちろん!私もずっと、地上を見守るさ!」
黎冥の姿はどんどん薄れ、やがて完全に消え去った。気の力を使って転移したのであろう。まさかこんなところで龍の姿に戻るのではないかと一瞬ヒヤッとしていたのだが。
「やはり黎冥は自らの罪を、その命尽きるまで償うつもりなのだろうな……」
俯き加減で呟いた黎琳の瞳は潤んでいた。肩代わりしたいのは山々だろうが、これは本人が逃げずに向き合わなければならない問題だ。身内であろうと手出しする事は出来ないし、許されない。
この先、そういう苦悩にぶち当たる事が多々あるだろう。しかしそこは割り切らなければならないのだと気付いた。出来ないものは出来ないし、もどかしくてもどうしようもない。いちいち悩んでいたら心が持たない。
まず想い人が応龍――今は天龍であるのだから、それくらい大きな器で受け止めなくては。
「旅をしていたら、きっとまた会えるさ」
さっきまでの憂鬱な雰囲気が一気に晴れたので、黎琳は小首を傾げたものの、窓枠の空を仰いで微笑みを返した。
目覚めた黎琳を仲間達は笑顔と涙で迎えた。これで何とか無事、かの戦いから戻ってこれたという気持ちがしたからだろう。
女王陛下からは祝いの会が催され、そこで思いがけない事が起こった。
何故かその会には国の重鎮――銀蒐のような高級官僚などが揃い踏みだった。黎琳や蓬杏はそんなの気にせずに豪華な肉料理にがっついていたが、春零や陳鎌はそわそわと落ち着かない様子だった。衿泉もてっきり内輪だけで済ますと思っていたので、堅苦しくて仕方がなかった。
そして頃合いを見計らって女王陛下が席を立った。
「ここにいる六人の英雄に、この場で正式に勲章を差し上げたいのですが、異論はありませんね?」
突然の発言に軽く飲んでいた酒を吐き出しそうになった。
あったのは拍手だけで、誰も異論を唱えようとはしなかった。
銀蒐はこれを既に知っていたのか平然としていた。春零は知っていたら前もって教えてくださいと喚くわ、蓬杏は意気高揚して羽根で部屋中を舞い飛ぶ始末。全くこんな連中が本当に英雄と呼ばれるような働きをしたようには見えなかっただろう。
一人一人、名を呼ばれ、女王陛下の前に跪く。黎琳は何故跪かなければならんのかと仁王立ちしていたので、慌てて頭を下げさせなければならなかった。
「諸君の大いなる活躍にこの勲章を授けましょう」
王家の掲げる印である二つ首の龍が描かれた文様の入った上着を授かった。これを着る事で社会にも一目置かれることになるだろう。
「有難く存じます」
「これは有難くもらっておくぞ!女王!」
「お前いい加減態度のでかさを何とかしろ!」
「なにをっ!?」
本来ならば非難の声を浴びせられてもおかしくはなかったが、女王が笑い出したので皆口を挟もうとはしなかった。
物怖じしないと言うか、怖いもの知らずもここまで来るとただの阿呆と言うか。
……とにかく無事に祝賀会は終わり、晴れて自分達は国から認められた救世主となった。
そして来たる明日、それぞれの道へ歩き出す――。