在るべき姿へ
光は止んだ。
いつの間にか気を失っていたらしい。姿もいつもの「黎琳」に戻っている。
身を起こし、黎琳はあの二人がどうなったのか捜した。
そう時間もかからず、二人を見つける事が出来た。
寄り添って立つその姿からして、悲劇が終わった事は明白だった。
長年の争いの火種がようやく鎮火したのだ。もう争う必要はない。そして共存の道への一歩も、あれで指し示された。この国が、在るべき姿へ向かう道筋は既に整えられたのだ。
「黎琳」
名を呼ばれ、黎琳は笑みを浮かべた。
仲間達がこちらへとやって来る。悲劇に関しては起こらなければ越した事はなかったが、あったおかげで彼らとの出会いがあったのだとも思う。彼らに出会わなければ、こうして天龍となる経緯もなかったであろう。そして、何より愛する人と巡り合う事も、なかった。
この旅は、もうすぐ終わってしまう。そうして、彼らもまた、在るべき姿の中へと戻っていく。寂しい気もするが、これもまた、世界の命運とでも言うべきなのだろう。
「どうしたんですか、黎琳?ようやく全てが終わったのに、嬉しくなさそうな笑顔ですね?」
「何なのかなぁ?もしかして、全てが終わったら、皆での旅が終わっちゃうから、僕との別れが寂しかったりして」
「「調子に乗るな阿呆が!」」
蓬杏と息ぴったりに陳鎌の頭を地に沈めた。
「確かにあの思いは伝わっていたように思ったが、それだけではまだだ。黎琳殿も、分かっているだろう」
水を差すように銀蒐が言った。
「分かっている」
次の行動を起こそうとすると、向こうからどよめきが上がった。
何事かと思ったが、先程の二人の立っていた位置で嬌薇が突然倒れたようだ。抱え込む主神の背中が見える。しかしこれで黎琳は全てを悟ってしまった。
「折角分かり合えたのに、二人はやはり、引き裂かれてしまうのか……」
「それって……!」
そう。然るべき死が。嬌薇を連れ去っていく。
春零が口を押さえ、身を震わせた。銀蒐は優しくそれを支える。陳鎌は蓬杏を抱きかかえて滅多に見せない真剣な眼差しで二人を見つめる。黎琳は衿泉と顔を見合わせ、複雑な思いで主神と嬌薇を見守る。
二人きりで、話がしたいらしい。主神が手を振り、取り巻きが心配そうに後ろへと下がる。
何を言っているのか、こちらからは窺えない。
が、こちらの頭の中に、彼女の声が響いた。
『最後まで諦めずにわたくしの心の闇を照らした、光の者達よ……ありがとう。わたくしの願いを叶えてくれて。そして、わたくしとあのお方とを再び縁で結び付けてくれて』
見れば、彼女はこちらを向いて涙していた。
「……っ!」
思わず黎琳は手を伸ばしていた。しかしそれを遮ったのは黎冥だった。
隣で同じく人間の姿となって気を失っていたはずなのだが、いつの間に気付いたのだろうか。
「黎琳、分かっているだろう。大いなる力を、聖なる力を手に入れたからと言って、やっていい事と悪い事を区別できないとは言わせないぞ。そんな育て方を、父上母上はしていないはずだ」
「黎冥。私は――」
言いそうになった言葉を無理やり喉の奥へと押し込めた。これは言ってはいけない事だ。世界の理すらも揺るがす、許されぬ事。――死者を現世に留めて置くことなど、神ですらも許されない行為。そして、何より一番主神と嬌薇が望まないであろう在り方。春蘭の時と同じような感覚で、やろうとしてしまった自分が愚かしくて無様だった。
『さようなら……愛しい人。わたくしは……来世で、望んだ、未来を……生きます……――』
魂が溜謎の身体からするりと抜け、天高く舞い上がったかと思うと、何処かの彼方へと消え去った。主神はそれを見送り、一筋だけ涙を流したものの、そこから嗚咽を漏らす事はなかった。
主神の腕に抱かれた溜謎は程なくして目覚め、真実を打ち明けた父の胸で、泣きはらした。
本当は嬌薇と同じく彼女も欲しかったのだと思う。在るべき場所が。在るべき世界が。
長を亡くした反動で、妖魔達が再び闇へと引っ張られ始めていた。
『何故姫様が死ななければならなかった?』
『やっぱり、我々はこのまま滅ぼされるのでは……!』
不安は消えない。このような火種からまた憎しみや怒りが湧いて出てきてしまうのも無理はないとは思う。
しかし同じ事を繰り返していては、それこそ犠牲になった者達の心が救われない。ここで、歯止めをきっちりかけなければならないのだ。
意を決し、黎琳は高らかに声を上げた。
「皆、聞いて欲しい!」
沢山の眼差しがこちらへと向けられた。どうしてだろう。今まで恐怖や緊張など感じた事がないのに、手に汗が滲んで喉が渇いてくる。この言葉が、全てを左右する事を自覚したからだろうか。これで、世界の行く末が決まるから……。
そっと、その手を握る温かい手。
衿泉だけかと思えば、春零や銀蒐、蓬杏も陳鎌も黎琳の手に触れ、ぬくもりを伝えていた。黎冥は深く頷き、黎琳の背中をそっと押す。
「今こうして再び憎しみや悲しみ、怒りが湧くのは致し方がない事だとは思う。しかしそれでは、折角分かり合えた我々の心は再び踏み躙られ、意味のない血を流しあわなければならない日が来てしまうだろう。少なくとも、本当は皆そんな日が来て欲しいと思っていないと、私は信じている。神に屈せよ、我らに服せよ、などとは言わない。だから、私から頭を下げて願おう。どうか一度は過ちを犯した互いを許し、共に在るべき未来を創ってはくれないだろうか?」
しん、と静まり返ったその場から、やがてさざ波のような歓声が上がった。
そしてそれらが集束して大きな声援となって返ってきた。
確かに中にはしかめっ面を浮かべている者もいたが、どんな長い時間がかかってもきっといつかは分かってくれるだろうと今なら純粋に信じれた。
「新しい世界の幕開けって所だな」
「さすがは黎琳!やることが世界規模だな!」
「妾達とて人間の身としてこの戦いに貢献したのじゃ!引け目になる必要など何処にもないのじゃ!」
「……女王にも、この事を早くお伝えせねば。あのお方なら、柔軟に受けて入れてくれるだろう」
「本当に、終わったんですね……本当に、良かった……!」
黎琳は仲間達の方に振り向き、今まで見せた事のない最高の笑みを浮かべた。
人間と妖魔、神。
それぞれ担う役割も違えば、衝突する時だってあるだろう。
しかし彼らは同じく心を持っているのだから、分かり合えない事などない。
長い時間がかかってしまっても――互いを尊重し、平和の道へ繋がる時は必ずやって来る。
自らの存在で、それを指し示した応龍に感謝の意を述べ、ここに語り継がん。
後日、地上に降り立った黎琳と神々の仲介を経て開かれた、妖魔と人間の平和調印の際に、女王が記した言葉である。
これをもって、神妖戦争、並びに人と妖魔の戦乱の時代は幕を降ろしたのである。