絆の強さ
学校が春休みに突入しましたので、執筆のペースを上げて、週二回更新しようかと思っています。
今週は今日と明日、来週以降は水曜日と日曜日にする予定です。
春休みが明ければ、今までどおり日曜日のみの更新に戻りますので、よろしくお願いします。
『これでも喰らうがいいわ!』
扇状に狐火をばら撒く。隣に控えていた衿泉が飛び出し、神剣によって水流を巻き起こし、炎を消し去る。
「どうあっても、戦うと言うのか」
くどくも黎琳はそう言った。
少なくともまだその心が完全に闇に染まっているわけではない事は分かっていた。主神の意図を知った時動揺していた事から明白だった。一瞬でも躊躇いがあったのならば、まだ引き返せるはずなのだ。
『戦うわ!わたくしは、そのためにここまで来たんだから!』
十の尾が尖り、襲い掛かる。
黎琳が今度は前に出て、気を集中させ、結界を張った。どれだけ先が鋭いと言っても、その結界を打ち砕いて中の二人を串刺しにする事は出来なかった。幻影でだが、彼女と天界で見えた時感じた強い力が気のせいではないのだと実感した。
『まさかここまで強くなっていたとはね』
尾を退け、二人を睨みつける。
二人が互いに守りあう姿を見ていると苛立ちが募るのは何故だろうか。胸の奥がチリチリして、痛い。
結界を解いた黎琳は、その姿を天龍へと変貌させる。白く輝くその大きな翼に、思わず溜謎は息をのんだ。前の応龍には感じ取れなかったとんでもない威圧感。纏う神聖たる気は触れただけでも邪悪な者を消し去ってしまえるかのように思える。
これでは、黎冥の心の闇もあっさり取り払われてしまうだろう。それだけじゃない。永遠に闇に染まらないように、同じく天龍と化してしまうことだろう。そうなれば、もう……。
『黎冥は返してもらう!』
「黎琳に敵わないと察しているのなら、退け!」
二人が叫ぶ。
――いやだ
敵わないと分かっていても、退く事はできない。
もう母親の敵討ちや、妖魔の理想社会建設だとか、どうだっていい。
今はただ、失いたくないだけ……!
『ああああああああ!』
強烈な熱気を放ち、溜謎のその姿は変化した。
天龍となった黎琳並みに大きい、十の尾を持つ天狐の姿に。
その光景を見た主神は思わず呟いていた。
「なんと……母親と同じく天狐としての力を手に入れていたとは……」
しかし襲い来る敵を前にして、主神はそちらから目を逸らさるを得なかった。
『本気を出したわたくしに、勝てるなどと思うな!』
巨大な炎の渦が発生し、逃げる間もなく衿泉が呑み込まれる。
『衿泉!』
すぐに助けに行こうとした黎琳だったが、迂闊に近寄れば同じく呑み込まれてしまう。
手を拱くしかなかった黎琳。しかし、空の異変に気付き、上空から飛び去った。
『ふん、愛する者さえ勝利のために捨てるか!』
『それは違う。私は衿泉を信じているからな』
妙な自信に眉をひそめる溜謎。と、空が突然重い呻き声を上げた。
天を仰いだ途端、稲光が瞬き、滝のような雨粒がその身体に降り注いでいた。
『!!』
鞭を打たれているかのような大きな雨粒。炎の渦はみるみる縮こまり、中に閉じ込められていた人物を解放する。
神剣に宿っていた、水を司る蒼翠の力が発動したのだ。
だが、それをもってしても、衿泉への影響は大きかった。服の裾には焦げた跡がしっかり残っており、本人も軽くではあるが火傷を負っていた。傷口に雨粒がしみるのか、その顔は苦痛に歪んでいた。
「やっぱり、天狐の力は、そう、侮れないみたい、だな」
『しばらく口を閉じていろ』
すぐに地上へ降り立ち、人の姿となって、黎琳が気を集中させる。
皮膚の傷が少しずつ薄れていく。
『そのまま二人まとめて滅ぶがいいわ!』
「黎琳、来るぞ!」
「分かっている。お前も私を信じろ」
無防備な黎琳の背に迫る火の珠。まともにあれを喰らったら、どのみちただでは済まない。
治療はまだ終わりそうにもなかった。
「……っ」
「それより、私がやはりお前の力を上回っているのが悔しいか?」
彼女は焦るどころか、余裕だと言わんばかりに微笑んだ。
迫る炎に衿泉はぐっと奥歯を噛み締めてただただ見据える事しか出来なかった。
もうすぐ彼女の背中に直撃し、その身体を焼け焦がすかと思われた時だった。
見えなかった気の障壁が初めてその時姿を現し、炎をいとも簡単に防ぎきった。溜謎もまさか防ぎきるとは思っていなかったらしい。目を見開いて絶句していた。
「忘れたか?今の私は以前の私とは更に格が違うのを」
――そんな、馬鹿な
ほぼ全力を投じたに等しい攻撃をこうも簡単に傷一つなく防いで見せるとは。
こんなにも、違うのか。
天龍に覚醒した、応龍の力は……!
「やられっぱなしは癪だから、今度はこっちから行くぞ!」
まだ鎮火しきれていない間を疾風のごとくすり抜け、黎琳は間合いを詰める。
気を纏った彼女の拳を持てる妖気で何とか受け止める。それでもじんじんと痛んだが。
『わざわざこんな近くに出向いてくれるとはね……!』
これで形勢逆転だ。
このまま炎を撃てば確実に天龍は丸焼きになる。
口を開こうとした時だった。
「お前の負けだ、溜謎」
一足遅れて背後から衿泉がこちらへと地を蹴っていた。迫ってきた黎琳の真後からやってきていた事に全く気付かなかった溜謎はどうすることもできなかった。
水流を帯びた双龍が悪しき狐に斬りかかった。
胸部にななめ十字の傷がぱっくりといき、血が噴き出た。
溜謎はただただそこに倒れることしか出来なかった。身体から生暖かい血液がどんどん染み出していき、空虚になっていくのをまざまざと感じながら。
「溜謎、お前は……黎冥を、ただの道具だけではなく、本当に……――」
分かったような面をするな、人間風情が。そう言いたくとも、声に出す事さえ叶わなかった。
何を言おうが、今この瞬間、自分は負けてしまったのだ。
人間と運命を共にしようという、変わり者の天龍と、その相手とに。
何とも惨めだ。屈辱だ。
想いだけは、絶対に負けてないと思っていたのに。
この二人には、実力的にも、愛情的にも劣っていたなんて!
妖力も尽きてきたようで、その姿は再び半妖に戻ってしまった。
「お前も絆の強さを知っていれば、このような道を歩まずには済んだかも知れないのに……自ら孤独の道を選んだ事、後悔するがいい」
そう言い残し、黎琳は溜謎の元から離れていく。
後から衿泉が覗き込んだが、何も言わずにそのまま行ってしまった。
『絆の強さ、ね……確かに、そう、なのかも、知れない……』
もう楽になりたい。
今目を瞑り、眠ってしまえばきっと……。
しかしそれは許されなかった。
『!?』
突如襲った身体の異変。傷がどうのという問題ではなかった。頬に刻まれた忌まわしき印が疼き、得体の知れない何かが体内を蹂躙していく。しかしそれを根本的に起こしている原因を溜謎は感じ取っていた。感じ取れたからこそ――付け入る隙を与えてしまったのだった。
『何故……どうして!!は、は――』
黒月の刻印が熱を発し、溜謎の意識を呑み込んでいった。