…陳鎌・蓬杏編
「にしても、この宮殿でかくて迷子になるねぇ~」
「そうじゃの~……ってのほほんとしてる場合か!」
勢い乗って来たのはいいが、何処かで曲がる場所を間違えたらしい。広い迷路の中を彷徨う羽目になっていた二人。
苛立ちが積もりに積もっていた蓬杏はとうとう噴火した。
「どうして貴様はこうも考えなしなのじゃ!妾の就寝時間はもう過ぎておるのじゃ!おぶれ!妾はもう寝る!」
「承諾得ずに背中に飛び乗るなって!」
羽根を使って身軽に飛んでくるのはいいが、身体への負担をもう少し考えて欲しいものだ。
もし明日筋肉痛が残ったら、本当に笑い事じゃ済まされない。
とは言え、子供の体力を考えると、早めに休ませるのが妥当だ。そもそも迷ったのは陳鎌のせいなので、とても自分で歩けとは言えなかった。
考えなしに身を引かざるを得なかった。
衿泉がたった一人、黎琳の元へと向かった時から、完全に思い知ってしまったのだ。
あの二人の間にはもう割り込めない、と。
最初に出会った時からあった想いは決して叶わないと分かっていた。つもりだった。
でもいざ目の当たりにするのは辛いものがあった。
しかし嫉妬などに走る事はなかった。それはずっと保護者同然で彼女と常に一緒に居るからかも知れない。彼女と居れば言い合いしたりして、寂しさや辛さが薄れるから――。
「……また、逃げることしか出来ないのな」
己の運命から目を背けようとしていた時と何一つ変わらない。
辛い事、悲しい事を打破しようとは思えず、ただただ後回しにして、どうしても駄目なら逃げ出して。
想いを寄せたあの応龍ですら、自らの半身である兄を取り戻そうと運命に立ち向かっている。いくら応龍だとは言え、そこらにいる普通の少女とさほど変わらない、彼女が。そして衿泉も強大な相手に対して逃げるという答えは出さなかった。共に戦う事を迷わず選んだ。春零や銀蒐も。
口先だけでは格好付けで、ここまで来て、だなんて言ったけど。
「僕には子供のお守りがお似合い、って事かなぁ?」
「誰が子供じゃ!」
背後からの拳骨は避けようがなかった。
「鳥族は身体の成長が遅いのじゃ!妾とて、そろそろ黎琳のような美女になれるはず、なのじゃが……」
「じゃあ蓬杏は今何歳なのさ?」
「三百歳」
さらりと言ってのけたとんでもない齢に足が止まってしまった。
とても三百年を生きたとは思えない幼稚っぷりだ。全く、周りはそういう精神面の教育はしなかったのか。
とは言え、人間と妖魔の混血である陳鎌も見た目の二倍の年齢ではあるのだが。
「年増、だと思ったじゃろう?」
「うんや、歳の割りにはまだまだ未熟さの残った麗しの幼子だと思っただけさ」
「燃えてしまえ!」
「ま、待て!ぼやでも熱いから!」
とことん沸点の低いお姫様だ。
とか思えば、急にしおらしくなって、背中を掴む手の力がやけに入った。
妙に大人しくなったので、ちらりと横目で見ると、顔をうずめていた。どうやら相当眠いらしい。
「陳鎌」
声ははっきりしていた。
「どうしたのさ?」
「……貴様は、美人が好きなのか」
「そりゃ美人は好きだよ?」
「だから、黎琳の事が好きになったのじゃな」
「黎琳は確かに美人だけど、それだけじゃない。放っておけないんだよ、ああいうのは。現に衿泉が既にもう放って置けなくて仕方ない病にかかっているからさ」
「放って、おけない……」
しばらくの間を空けて。
「じゃあ、妾は?」
「……はい?」
「妾の事は、どう思っておるのじゃ」
思いがけぬ質問に陳鎌も言葉を失ってしまった。
確かに放っておけないのは事実だ。すぐに突っ走って何をしでかすか分からない。けど、こちらに被る迷惑は半端ないし、出来れば関わりたくないはずなのに。なかったはずなのに。
自分からいつの間にか距離を近づけていた。黎琳への想いを押し込めていく代わりに。
けれど。
「何って、何も?」
「何もって……妾はただの我儘娘としか映っていないのか!?」
「うん」
「……そう、か。そうじゃの。変な事を聞いて悪かったの」
突き放さなければならない。
自分がどう思っていようと関係ない。
今のこの関係はあくまで仮にでっちあげられたものでしか過ぎない。この旅が終われば――片方は罪人・片方はそれを裁く姫に戻る。それを忘れてはならないのだ。
黎琳のものとよく似た感情を抱いてしまっていた。
隣にいるだけで落ち着く。陳鎌にとって蓬杏とのやり取りは一つのいい気晴らしになっていた。けれど、この場所は永遠の場所ではない。
命を粗末に差し出すつもりはもうない。だが、命長らえたとしても彼女の隣に居られるのは、恐らく明日までだ。
と、ようやく見慣れた通路にぶち当たった。恐らくこれで部屋に辿り着ける。
記憶を頼りに通路を歩く。黙っているのを見ると、蓬杏は到着を待たずに寝てしまったようだ。
やっとのことで、部屋に辿り着いた。早速蓬杏を寝台へ寝かせようとした時だった。
急に重石でも乗せられたかのように後ろの荷物が重くなった。
「!?」
異変を感じた陳鎌は慌てて寝台に蓬杏を降ろした。すぐに陳鎌は彼女の身体の変化を目の当たりにした。
体格が大人へと一気に成長する。着ていた服が窮屈になり、今にも弾けそうになる。これは相当まずい。
折りたたんであった薄手の布団をすぐさま被せる。その後服がはちきれた音が耳を刺激した。
彼女自身も身体の成長についていけないのか、相当苦しそうだった。そりゃ今言ったところで、急激に変化すれば辛いのも無理はないだろう。心の準備くらい、させてほしかったものだ。
にしても。
まさか自分が密かに思っていた以上に、蓬杏の成長した姿は美人だった。艶やかさを増した肌。それをさらに際立たせる朱の髪。女らしい体型。文句なしだ。
「どうだ……美人、じゃろ?」
途切れ途切れ、うわ言のように彼女は言った。
全く、参ったものだ。ここまで見せつけられてしまってはどうしようもない。
「これで妾もさらに力を使えるじゃろう!」
頑張って背伸びして、吊り合うようになりたくて。そういう想いが単刀直入に伝わってくる。
本当、純情乙女の望みは恐ろしい。
「はいはい、僕の負け。僕の命運は蓬杏に預けたの、すっかり忘れてたよ」
「そうじゃそうじゃ♪分かればいい……っ」
軽く唇を落とす。
「側に居てほしいんでしょ?居てやるさ。蓬杏の命令なら」
「……素直じゃないのじゃなっ」
「お互い様だよ」
まだまだ夜が明ける気配はない。
半分に齧られた月が二人を避けるように光を揺らめかせた。