…春零・銀蒐編
「陳鎌、とても気を遣いますね」
「……そうだな」
「春零、まるで昔の自分を見ているようで、切なくなります……」
割り当てられた部屋へと戻る最中で、こんな会話を交わす二人。
彼らはちゃんと察していた。最初は黎琳にべたついていた陳鎌。彼が黎琳と衿泉の間には入れぬ事を悟って、支援に回っている事を。
かつては衿泉を想い、そのあまりに黎琳に嫉妬をぶつけた春零にも思うところがあった。
「確かにあの二人の間には入れそうにはありませんけど、いくら邪魔者だからってああいう姿を見ると、ちょっと……」
「同情してしまうな」
「あら、銀蒐も心当たりが?」
「いや、別に心当たりはないが、少し衿泉殿が羨ましい時もあった」
一瞬歩調が乱れる。
「え?あっ……!」
自らの足に引っ掛かり、春零の身体は前のめりになる。
「おっと」
軽々銀蒐が受け止め、事なきを得る。
「ご、ごめんなさい!!」
突き飛ばす勢いで離れる春零。
考えたこともなかった。彼はそういう感情に疎い人だとずっと思っていたから。
「その様子じゃ、気付いていなかったようで」
「当たり前じゃないですか!!そんな素振り一度も見せた事がないですし!」
確かに黎琳には不思議と人を惹きつけるモノがある。上辺だけ見れば、単なる我儘な女としかとれないだろうが、その奥には繊細な心が見え隠れしていて。
男性としては放っておけない、って事なのだろうか。
あの女ったらしっぽい元盗賊も例外なく。
「何だか、黎琳、色んな人から好かれ過ぎです……」
歩調が乱れた時点で、自分自身の心も明白だった。
完全に動揺している。
だって、彼は――。
「春零殿、話を変えてもいいか」
「え?はい……」
何だかはぐらかされた気がする。
銀蒐の事だ。既にお見通しであろうから、尚更だ。
「今、その状態で春零殿は戦いに臨めるのか?」
「!?」
鋭い指摘が春零の胸に突き刺さった。
「こんな些細な事で動揺しているようでは……足手まといになるのでは?」
何かの冗談だと言って欲しかった。けれど、真剣な眼差しが現実だという認識を揺るぎないものにさせた。
「どうして……」
落ち着いていたはずの心に再び荒波が立った。
今の自分には、貴方だけが支えなのに!
「銀蒐の……馬鹿、です!」
ばしっと乾いた音が響いた。
堪えようと思っていた涙が、去り際にとうとう零れ落ちた。
部屋の扉を乱暴に閉め、その場に崩れ落ちた。
「春零には……銀蒐だけが、頼りなのに!心の、拠り所、なのに……っ!」
突き放された。
もうすがれるものはない。
以前なら、どうしていた?辛い時、悲しい時。本当はこんなにもか弱い自分がどうしてここまでやって来れた?
「春蘭!やっぱり、春零には、貴方以外……居ないのっ!?」
弱音を吐ける場所があった。そっと心の荒波を鎮めるモノがあった。
けれど、もうそれは存在していない。
「ううぅぅ……」
強くなんかない。黎琳達のように、覚悟を決めて命を賭けるような強さなど、最初から持ち合わせていなかったのだ。
彼の言うとおり、このままでは足手まといだ。
――変わらなきゃ
このままじゃ駄目だ。
誰かの助けを求めるのはもうやめよう。すがらなくても、この足は自力で歩ける。
それでも不安な時は仲間達を想えばいい。
「甘える」と「頼りにする」は違う。
春零はその証として、自身の癖っ毛に鋏を入れた。
丸まった髪束がその辺りに散らばる。
そこへ、カチャリッと扉の開く音が響いた。
「!春零殿!?」
涙の痕を見て、どうやら自殺を図ろうとしている、と勘違いしたらしい。血相を変えて銀蒐は春零の手から鋏を取り上げた。
「言い過ぎた!申し訳ない、春零殿!そこまで追い詰めるつもりは……!」
「ううん、銀蒐が言った事は正しかったんです。ですから、決意の象徴として、この癖毛を切り落としたんです」
散らばった金髪にようやく気付き、銀蒐は勘違いだと悟った。
ばつが悪いのか鋏を鏡台に置き、手をついて一人葛藤の時間に移る。それが可笑しくて、つい春零は微笑んだ。
「春零のこと、ちゃんと想ってくれてるんですね。ありがとうございます」
とろけるような笑顔に銀蒐も思わず頬を染める。
きっと、あのように厳しく言ったのは自分を案じての事だったのだ。もしかすると、出来れば前線に出させたくないのかも知れない。春蘭が居なくなった事で戦力としての価値も落ち、精神不安定のままでは命に関わると踏んで。
出来れば分かりやすいように言ってほしかったのだが……。
――それは、贅沢ですよね、春蘭
自分だけは幸せになってはいけない。姉と共に犯した罪をこれからも贖っていかなければならないのだと思っていた。
いつの間にか忘れていた。忘れてはならない過去を。
でももし許されるのならば――。
――共に。この戦いが終わっても、皆と……貴方と、共に
例えこのままではいられなくなったとしても。
「春零殿、そろそろ我々も休みましょう。明日に寝不足を持ち込んでは……」
「あの、銀蒐」
「何か?」
「あの……一人じゃ寝られそうにないから、隣、駄目ですか?」
潤んだ瞳で見つめられれば、駄目だなんて言えるはずがない。
しばらく脳内で色々と葛藤した後、渋々承諾した。
一人なら十分広さがある寝台も、二人で入れば少々窮屈だ。しかも壁側に追いやられるのは銀蒐で、春零はまだましな反対側に横になった。
にしても、ここまで密着してしまうと……。
「しゅ、春零殿」
狭いからもう少しそちらに行ってもらえないか
そう言おうとしたが、春零は既に寝息を立てていた。彼女の睫毛に光る涙で、もう言葉を紡ぐ事は敵わなかった。
「……」
結局銀蒐は寝られない夜を過ごす事になった。どのみち、見張りのために大抵夜は意識を保っている事が多いのだが。
後ろに感じる温もりを思うと、心が落ち着きそうにもなかった。
この温もりは消させない。絶対に。
隣で眠る天使の頬をそっと撫で、銀蒐は朝を待つ。