それぞれの決意…黎琳・衿泉編
ここからは各々の最終決戦へ向けての物語を4つ更新します。
手始めは主人公・黎琳と衿泉、次に銀蒐・春零、陳鎌・蓬杏、溜謎編の順でお送りいたします。
好きな登場人物の話のみを見るもよし、全てを網羅するもよしの内容ですので、お好みで読み進めてください。
なお、新章はこの4編全てを更新し終えた後で更新していく予定です。
二人がやって来たのは天界の入り口――宮殿の玄関だった。
空は既に蒼闇を通り越して一面の黒だった。いつもなら見えているはずの星の光がとても淡く儚く見えている。これも妖気――溜謎と黎冥の放つ力の影響なのかも知れない。
しかしその光がそれぞれの脆くて壊れそうな心を暗示しているかのようだった。
「お前、最初の時より随分変わったよな」
いきなり話を切り出してきたかと思えば、あまりにも緊張感のない話題振りだった。
「何を、いきなり……」
自分でも声が微妙に裏返っているのが分かった。
衿泉もしっかりそれを認識していたようで、軽く笑って続きを話し出す。
「最初は人間なんて脆くて貧弱な生き物だとしか見てなかっただろ?」
「……そうだな。私からすれば人間風情など取るに足らない。下僕として扱うのにもいまいちだ。そんな弱い者達がどうして地上に繁栄するのを黙視し、都合が悪くなれば妖魔の脅威から救わなければならんのだ、と思っていた」
「でもそれがどうしてだったか、今は分かるんじゃないのか?」
「ああ。人間は一人だと弱い。けど、秘める思いが強いほど、また、複数人であればあるほど無限の可能性を弾き出す事が可能な生き物なのだと、お前達を見てよく分かった」
「だから、大丈夫だ」
「大丈夫って……何がだ」
「溜謎の事だ。お前だって、変われたんだ。俺達が一緒に旅した間に。だから、きっと溜謎も変われるさ」
きょとんっとしている黎琳を衿泉はそのまま自分の胸へと引き込んだ。
「自信持て。お前も人の持つ無限の可能性を秘めた応龍――いや、今は天龍になったんだからさ」
「……お前も人の事言えないぞ」
「ん?」
顔を真っ赤にしながら彼女は反抗した。
「最初は妖魔が憎くて憎くて仕方がなかったくせに。倒す以外の選択肢を持たなかった下僕の分際で、よく言うわ」
「んじゃ主人に偉そうな口を利いた罰を与えないとな」
「え?」
「何なりと罰を与えてくれたらいい」
胸の中でくすぐったく動き、自分を見つめる彼女の瞳はいつもとは様子が違う。意地っ張りさが残っているものの、まるで何かを誘っているかのような――。
思った以上に心臓が高鳴りつつあるのを感じた。
「じゃあ――」
ああ。こんな大事な時に。何考えているのだろうか。
でもこんな時だからこそ――。
「罰として、私との永遠の未来を誓え。絶対、この先の未来でも離すなよ?」
「それは駄目」
言うなり、彼女の顎をとらえ、唇を重ねる。
顔を離すなり、容赦ない拳骨攻撃が待っていた。
「痛っ、痛い!」
「何が駄目、だ!お前に拒否権はないわ阿呆!」
「違う違う。拒否ではなくて」
ずっと懐にしまったままだったある品を取り出す。
それは透き通った深緑の宝石が埋め込まれた銀色の指輪だった。内側には誰かの名前が彫られていたようだが、傷だらけで読めそうにない。しかし、外面はいたって外傷はなく、相当価値があるように思われる。
それを静かに黎琳の左薬指に嵌めた。
「そう言うのは一応男からっていうのが人間の慣わしだから」
指に輝く緑の蛍は将来を誓う婚約の証に相違なかった。
「明日、全て片付けて、それから――二人で、旅に出よう」
流石に結婚しようだなんて言えなかった。
何となくそう言ったら黎琳にどういう理由であれ殴られそうな気がしたから。
「……旅、ね」
別の意味で彼女は怒っているようだった。しかし、息を吐いた後、見せたのは満面の笑みだった。
「ま、それでもいいか。二人が一緒に居られたら、それで」
また二人が、だなんて無意識に誘惑してくるのが小悪魔っぽい。
「そうそう」
いっそこのまま襲ってしまおうか、などと考えてしまうではないか。
「それで、春零も銀蒐も、陳鎌も蓬杏も、一緒に!」
ああ、折角の気分が台無しだ。全くこういうのに疎いと色々気苦労が耐えない。
でも、今の彼女の一言で気付いた。
明日で全てが終われば――それは共に旅した仲間達との別れの時を意味する。
確かにそう長くない付き合いではないが、既に離れがたい絆を感じている。
それでも別れの時は必ずやって来る。
「衿泉?」
「ん、ああ?」
「この指輪は……もしかして両親の形見、だったりするのか?」
「そうだけど……どうしてだ?」
彫られていたはずの名前は襲撃の際に傷ついて見えなくなってしまっているはずなのだが。
「何となく……聞こえる気がするんだ」
「何が?」
「お前の両親の声が」
彼女は魂の声でも聞いているのだろうか。
すると、いきなり彼女の瞳に涙が煌いた。
何だか最近彼女はよく泣く気がする。今まで泣く事を忘れていた反動でもあるのだろうか。でも彼女もどうして涙が溢れているのか分からないようで、困惑の表情を浮かべていた。
「どうして泣いてるんだよ……」
「そんなの、知らん!けど、止まらないんだ。辛くて、切なくて、でもとても温かくて……お前は本当に、両親から、愛されていたんだな」
涙を拭い、黎琳は指輪から伝わってくる、かの両親の想いを噛み締めた。
衿泉はそっと黎琳から離れ、自分の剣を見つめた。
蒼翠から授かった神剣。新たなるこの力で、果たしてどこまで彼女を援助出来るだろうか。
彼女も新しい力を手に入れて、今度こそ兄を助け出そうとしている。
やはり生まれの差で、彼女には到底追いつけないと分かってしまうのが心もとなかった。この手で守ろうとしても、結局は彼女の力で守られる立場でしか居られないのがもどかしい。
それでも……側に居ると決めた。
決めた以上は、覚悟を決めなければ。
「……もし、どうしても、駄目だったその時は――」
小さく、心の中で呟いた。
黎琳だけでも、守る。命に代えても。
「もう、こんなに泣いたら明日顔が腫れるではないかっ!泣かすな、馬鹿者!」
「俺が泣かしたんじゃないだろ!」
「もう寝るぞ!さっさと歩け!この下僕が!」
「だから下僕じゃないって!」
逆上している彼女には手のつけようがなかったので、先に部屋へと戻る。
その後ろ姿を見つめて、黎琳もまた、決意を呟く。
「誰も殺させはしない。これで、全て終わらせる。この悲しみの連鎖を――」
遥か彼方に見える地上をしばらく覗き見た後、黎琳も部屋へと戻るのだった。