薄衣が剥がれる時
主神は天界の住人に見つからないように細心の注意を払いながら二人を天界へと招き入れた。気配を探られぬように用意周到な術まで施して。滅多に使わない術だったので完成までに数週間の時間を要してしまったが。
何はともあれ、作戦は無事成功し、天狐と溜謎は宮殿の隅にある一室に住み始めた。部屋は広い、とは言えないが、天狐には毎日主神と会える利点からすれば全然気にならなかった。
彼女達が宮殿に住むようになって数ヶ月。
半年以上行方不明となっている雷の七神の妻にあたっていた緑の七神が報告をした。
「我が夫の遺体を、発見しました」
淡々と話す彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいた。まさか死んでいたとは思っていなかったのだろう。何せ力ある七神なのだ。死ぬとしたら余程強い妖魔に出くわしたか、自殺を図ったか、二つに一つくらいなのだから。
「空いた席を埋める者が必要だな」
「……我が夫は、胴と頭が引き裂かれていました」
「!」
自殺ではない。
間違いなくそう断定出来た。
つまりは――。
「居るのか、七神に歯が立たぬ妖魔が地上に!」
「……恐らく、そうかと」
もう何回も地上へは足を運んでいるが、そこまで邪悪な気配は何処にも漂っていなかった。そのような妖魔が一体何処に身を潜めているのか。
早急に手を打たねば、人間だけでなく天界にも被害を及ぼしかねない。下手をすれば滅ぼされてしまう。
「ところで、どうして今更あの者の死体が出てきたのだ?」
「……それが特殊な場所にあったもので……。もしかすると、あそこに元は潜んでいたのかも知れません」
「では、そこへ天龍を派遣しよう。あの者ならきっと探し出し、征伐出来よう」
側で控えていた少女が顔を上げる。それは紛れも無く藍樺――まだ今の黎琳よりか幼い頃の彼女であった。
「して、その場所は何処だ?」
「……東にぽっかりと、まるで人工的に造られたような森です」
一瞬耳を疑った。
「もう一度、申してみよ」
「……東にある人工的に造られたとみられる広大な森です。中心に小屋があり、つい最近まで何者かが住んでいた形跡が見られました」
世界が揺れているように見えた。
ここで動揺してはいけない。知っていると疑われた時点で危険だ。
「そうか……。では、天龍よ、その場所へ行くように」
「心得ました、主神さま」
可愛らしくお辞儀をし、翼をはためかせて幼き天龍は飛び立った。報告を終えた炎の七神も謁見の間を後にする。
完全にその姿が見えなくなった所で、主神は深くため息を着いた。
どうなっている。
あそこに七神に匹敵する妖魔が居た、だと?
そんな強大な妖気、一度も感じた事はない。
しかもあそこには侵入者を排除する術が施されている。
中に居たのは妖魔ではなく、ひずみの子。いくらひずみの子が妖魔の素質を持ち合わせていたとしても、そんな強大な力を持つ可能性はないに等しい。
と、なると、元からの妖魔が上手に隠れていたのか。
「それでは折角の結界も意味がな――」
はた、と主神は気付いた。
もし、あれが鳥籠の姫君を守るためのモノだとしたら――。
あの時、いとも簡単に侵入してきた妖魔。
あれを仕掛けたのが妖魔であり、まさか主神がそれを破って中の要人と接触をしているとは思っていなかったら。
必死で敵わぬ相手に喰らいついた理由も筋が通る。
背筋が一瞬で凍りついた。あまりにも辻褄が合っていく、一番信じたくない仮定で。
彼女が、愛するあの人自身が、本当は妖魔である事で。
――そんなの嘘だ!一番我自身が分かっている事であろう!今会えばそうではないと確信が持てる……
席を立ち、長い廊下を急ぎ足で歩く。
何処へ行くのか、そう臣下に尋ねられても主神は何も言わずに通り過ぎた。
人通りの少ない隅の廊下。その一番端が彼女達の部屋だ。
部屋の前に立ち、扉を叩こうとした。しかし数瞬躊躇った。ここで扉を開けてしまえばもう二度と今ある全てが崩れてしまいそうで。
しかし叩かない訳にはいかなかった。確かめなければならないと言う心理が勝ったのだ。
しばらくして、恐る恐る扉が開いた。
「こんな早くに来て、大丈夫なのですか……?」
まさかこんな時間に来訪されるとは思っていなかったらしく、服は完全に部屋着だ。髪も櫛をとおしてないせいか、いつもの輝きがない。
「どうしても早く会いに来たかったのだ」
少し頬を桜色に染め、彼女は部屋の中へと招き入れた。いつもの愛しい彼女だ。疑う事など、有り得ない。
中に居た溜謎は父の姿を見るなり、こちらへと向かって飛びついてきた。
相変わらず狐の耳と尾は消えていない。しかし妖魔の気配は感じられない事から、浄化は進んでいるようだ。
「それで、お話は何です?」
「む?」
「お話があるから、こうも早くいらっしゃったのでしょう?」
どうやら全部お見通しのようだ。
あくまで彼女を疑っている訳ではない。そう自分に言い聞かせ、主神は口を開いた。
「今日、こちらに報告があったのだが、行方不明だった雷の七神が遺体で発見されたらしい」
「!」
天狐は息を呑んだ。
「そしてその場所が……そなた達の住んでいたあの森なのだ。あの周辺、内部に七神に匹敵する妖魔が居たのか、知っているな?」
「……はい」
嘘をついても無駄だ。そう思い、天狐は正直に答えた。
「あそこには妖魔を束ねる長が住んでいました。しかし、その長は妖魔達の願いを退け、自らの理想に走ったため、追放され幽閉されてしまったのです」
「幽閉されていたのは、そなただな?」
「はい」
これでもう否定は出来ない。
「では……力ある妖魔――妖魔を束ねる長なる存在は、そなたなのだな?」
しばらくの沈黙の後。
「……その通りです。わたくしが妖魔の長、天狐の嬌薇です」
時が止まったかのように二人とも動かなかった。
二人のやり取りが何を意味しているのか分からず、溜謎は傍らで首を傾げていた。