第十三章:裏切りの黒月
「――……もう、お前にそう呼ぶ資格などない!」
鬼のような形相で主神は吐き捨てた。
驚愕の真実に思考がついていけない黎琳達など相手にせず、溜謎も牙を剥いた。
『こっちも身の毛がよだつほどだわ。でもこの忌まわしい存在をようやく打ちのめす事が出来るのだから、ようやくわたくしの……母上の願いが叶えられるのだよ!』
「あの人の願いとは、どういう事だ!?それは単なるお前の個人的な復讐では――」
『聞くがいい!お前が知らない母上の真意を!』
周囲が幻術に覆われ、白く染まった。
それは現在から千年も昔の事だった。黎琳でさえもまだ生まれていない頃の話だ。
森の中にある小さな小屋の中。そこに美しい少女が一人住んでいた。長い金色の髪と同じく金色の瞳を持つ彼女は、その立ち振る舞いで、たまたま地上に降りてきていた主神の目を釘付けにした。
普通の人間に見られないよう、姿を消していたはずなのだが、彼女はまた特殊な人物で、その目で確かに主神を見ていたのだと言う。
最初は上手く隠れていると思っていた主神も、あまりにも長い間目が合うので、つい声をかけてしまったのだと言う。
「見えるのか、我が姿が」
「ええ、分かります。貴方が人間ではいらっしゃらない事もね」
さらりと言う彼女は主神に話し相手が欲しかったのだ、と半ば強引に話を聞かせた。
彼女はここに望んで住んでいるのではなく、封じ込められているのだと言う事。その理由が人には見えぬモノが見えてしまう事。その力によって周囲にはとんだ災難が降りかかったとか。一人で居るのは本当は寂しいけど、それで他の皆が幸せになれるのなら、それでいいと彼女は笑って話していた。
「なら、我が定期的に話しに来よう。そうすれば寂しくなかろう」
これは特定の人物のみを閉じ込める形の術式なので、主神に影響はない。
「本当に……?いいのですか?恐らく、貴方はわたくしの目に間違いがなければ天界の――」
「我がいいと言っているのだ」
「……はい」
彼女に見送られ、主神は天界へと帰った。
あれは稀に見る下界のひずみによって起こる「生まれてはならない子」だ。本人は自覚なしにいつか世界の毒と化してしまう。人々を害なす、妖魔へと――。
――本当は今、殺すべきであったのに、何故出来なかった?
一度芽生えてしまった感情は消せなかった。
度々二人は密会し、徐々にその愛を育んでいった。
そしてある日、主神は彼女にその運命を告げるのだった。全てを知った彼女は悲しむ、と言うよりも納得していた。
その上で彼女はこう切り出した。
「わたくしの願いを、叶えてもらえないでしょうか?」
「ここから出す事は出来ない。それ以外に何を望む?」
「……わたくしに、子供を授けてください」
「!!」
「永遠にここから出られなくて構いません。いつか自我を失くしても。その前に、どうしても子供が欲しいのです。どうせ奪われる命なのかも知れませんが、どうしても!もう一人になる時間はこりごりなのです!」
切実なるその願いに、主神は断る事が出来なかった。
とは言え、人間を連れてくるわけにもいかない。触れて影響が及ばないとは限らない。
――我が、守って見せよう。そなたも、そして新たに生まれてこよう子供も
安易にそう考えていた。
『それがわたくしの生まれ』
淡々と話す溜謎。
これだけ見ていると主神にそこまで非があるようには思えない。純粋に地上の女性を愛し、その人はいずれ消される運命にあれども、その望みを叶え、生まれてくる子供もひっくるめて守る決意をしていたのだから。
「そうだ。我は確かに彼女を愛した。お前も愛していた。なのに、どうして」
『どうしてはこちらの台詞だ!』
びくり、と主神は肩を震わせた。
『忘れたとは言わせないぞ!あの時の事を――!』
それから数年。
幼い娘がきゃいきゃい森の中を走り回っていた。
「忙しいのに来て頂いて有難う御座います」
「いや、我が来たいと思っただけだ。気に病むでない」
「……本当にお優しい人」
寄り添うその姿は、本当に幸せそうである。
このまだ無邪気に跳ね回る娘が後に風琳国を脅威へ陥れる妖魔と化すとは到底予想がつきそうもない。
しかし、魔の手は着実に彼等の元へと近づいていた。
「……!!」
「!」
まず主神が、瞬時遅れて彼女が気配を感じて反応する。
「溜謎、こっちへ」
すぐさま娘を抱いて、小屋の中へと隠れる。主神は近づいてくる気配に意識を集中させ、姿を見せるのを待つ。
相手はそう時間がたたないうちに現れた。
『どうしてお前のような者がこの場所に居るのだ……!』
「それは我の方が聞きたいものだ。何故この場所へと足を踏み入れる事が出来る?」
『お前には関係のない事だ!』
殺気立った狼の妖魔は地を蹴り、主神目掛けて突進する。
冷静にその一撃をかわし、力を行使する。妖魔は瞳孔を拡散し、その場に砕け散った。骨と肉の残骸がその場に積もる。
守るために必要な事だとは言え、恐らくかなり精神的な傷を負わせてしまっただろう。
「貴方様はわたくしの、そして娘のためにそのような穢れ仕事をせざるを得ないのですね……。本当にごめんなさい。わたくしが貴方様の足枷となってしまって――」
「そなたのせいではない。何も、案ずるな。この我が、そなたと娘を守る。主神の名にかけて」
「貴方様――」
軽く口付けを交わし、主神は天へと戻った。
それを見送った彼女は今まで我慢していた痛みにその場でうずくまってしまった。
「おかあさん、だいじょうぶぅ?」
心配そうに見つめる溜謎に、彼女は無理に笑みを浮かべて平気だと答える。
不安が解消され、楽しそうに再び森へと繰り出していく溜謎。彼女の目にはうっすらとその姿に見えてはならぬモノが見えてくるようになっていた。
やはり、許される事ではなかったのだろうか。
寿命を縮め、全てを裏切ってまでする事では――。
「この身はどうなってもかまわないのです――。お願い、貴方だけは、わたくしと同じ道を歩まぬように……」
残された時間はあと少し。
それまでは幸せなこの時間を過ごしたい。
……その小さな小さな願いは打ち砕かれる事になる。