大切な人の最期
銀蒐に導かれ、辿り着いたもう一つの隠し部屋。
中にはとにかく重い空気が流れていた。すすり泣き、呆然とする臣下。必死に呼びかける女王。そして今にも意識が飛んでしまいそうな帝王の姿があった。
かなりの毒――物理的な物ではなく、陰気を浴びた、と言う方が適切であるかもしれない。もう少し早く来ていれば、回復の見込みがあっただろうが、それなりの齢を数えたその身体と魂がここまで蝕まれてしまっては、黎琳の力でしても回復は見込めない。
もう少し早ければ手の施しようがあったかも知れないが……。
「応……龍」
掠れる声で、王は黎琳を呼んだ。
側に控える者達が道を作る。彼らの向ける視線に苦々しい思いを抱きつつも、黎琳は歩み寄った。目に見える形で、その身体が変化しつつある王の隣へ。
その罪を見よと言わんばかりに、魂の蝕まれた姿もはっきりと視えていた。
「そなたに……非は、ない。我が身より、女王を……この世界を――」
「……一つ報告をしようと来た。妖魔を束ねる根源たる悪をつい先程守護方陣で抑えた。余波で広がりつつあった死の森も食い止めたので、もう地上へ害は及ばぬだろう」
「おお……流石、だ」
王が突如その手で黎琳の腕を掴んだ。まずい、自我がもう失われ始めている。
「応龍ぅぅぅぅ!殺せ!脅威となるわしを!殺してやるぅぅぅぅ!」
もはや人間ではない雄叫びを上げて暴れる王。
愛する人の涙の説得ももう届かない。
――ああ、私はなんて損な役回りなのだろうな……
自嘲的に笑い、新たなる脅威の芽を摘みにかかる。
その血管の浮き出た首を鷲掴みにし、気を放った。刹那、いとも簡単に頭が吹き飛んだ。
ゴトン、と音を立てて落ちたそれは瞬く間に灰となり、散る。
頭を失った身体も灰となって崩れる。
「王……王!」
せめて、遺骨ぐらいは遺してやりたかった。が、魂だけでなく身体も蝕まれている以上、遺す訳にもいかなかった。それが残るだけで周囲の生きとし生ける者達に影響を及ぼしかねない。
悲しみに泣き叫ぶ女王。やりきれなく、その場に佇むしかない人々。
「……っ」
銀蒐は理不尽であると分かっていながら、黎琳の背に槍先を向けた。
「恨むなら恨め。けど、今殺されてしまっては、お前も私も、都合が悪い」
踵を返した黎琳に無言の眼差しを向ける臣下達。もう何も用は無い、去れと言わんばかりに作られた広い道をもはや開き直って進む。
そんな彼女の背中を見つめながら、銀蒐は溢れそうになる黒い感情を何とか押し込めた。
分かってはいるのだ。
彼女がわざとこのような事をしたのは。
王の側を離れた自分のせいにされかねないこの状況を何とかするには、手っ取り早く非難の目を彼女自身に向けさせればそれで良かったのだから。
「……女王陛下。私はまた応龍と共に参ります。帝王陛下から賜ったこの国の、この世界の救世はまだ終わっていませんので」
「銀蒐、今のわたくしには貴方が必要です。行かないで……」
「貴方様なら大丈夫です。帝王陛下の偉業をその目で見てこられた貴方様だからこそ……」
きっと帝王もそう信じている。
守るべき人は死んだ。けれど、その人が最も寵愛した人を――今度は絶対に守り通さねばならない。それが、恐らく死した天帝からの最期の使命。否、お守りできなかった代わりに出来る、最善の道……。
「貴方様が治めるこの国に、もう指一本触れさせません」
その瞳に宿った強い意志に女王もはっと息を呑んだ。
「……その覚悟、確かに受け取りました。応龍に伝えなさい。わたくしは、貴方を憎むような真似はしない、と。むしろ……あの人をあの人のままで旅立たせてくれた事に、礼を。辛い思いをさせただろうに……」
「承知」
やはりこの女王はこの国の頂点に立つにふさわしい。黎琳の本当の意図をしっかり見抜いている。そういう能力を持った人間はなかなか居ない。
さっきまで沈んでいた臣下達の目にも少しずつ希望の色が見え始めていた。
銀蒐が去った後、地下の一室で女王万歳の声が響き渡った。
「あ、やっと帰ってきた!」
帰るなりまず蓬杏が黎琳に飛びついた。それに乗じて陳鎌もその上からのっかかるものだから、黎琳はまさに叩いて伸ばされた金属のようにぺたんこになった。
「黎琳が居ない間、陳鎌が妾の頭を叩こうとするからずっと逃げ惑っていたのじゃ~」
「一発くらいどってことないっしょ!」
「暴力反対じゃ!」
「お前ら……戯れるなら余所でやってくれ!」
一気に騒がしくなるその場から少し離れた木陰に春零の姿を発見した銀蒐はそのままそちらへと向かう。
無言で近すぎず離れすぎずの場所に佇むと、春零の方から口を開いた。
「ごめんなさい……取り乱してしまって」
「……気にしていない」
沈黙。
春零だって、そう簡単にいつもの調子に戻るはずもなかろう。
「……先程、帝王陛下が、亡くなった」
「え……」
弾かれるように立ち上がり、銀蒐の前へとやって来た春零。
「何も出来なかった。……守れなかった。黎琳殿も、同じ気持ちだっただろうに……」
自分は刃を向けた。
「今なら春零殿の気持ちがよく分かる。ずっとお側に仕えていけるのだと思っていた。今、心の中は主たる何かがぽっかりと空いた気分だ……」
目の前の少女は既に涙を零していた。
「銀蒐には、こんな思い、させたくなかったです……!」
「春零殿」
「これは、銀蒐が普段感情を露にしないから、代わりに春零が泣いてるんですからね!春零は……銀蒐の気持ち、ちゃんと分かってますから」
どうしようもなく、銀蒐は春零を引き寄せる。
これ以上何も言わないでくれ。声にならない叫びが胸にこだまする。
自分の事で精一杯のくせに、どうして人の悲しみまでをも背負い込もうとするのか。そうすれば楽になるとでも思っているのか。だとしたら、それは大きな間違いだ。
何故なら。
「もう何も、傷つけさせはしない。大切な人が、笑って、生きていてくれたら、それで――」
大切な人が幸せである事こそが、銀蒐の幸せであるのだから。
最期を看取った悲しみを埋めるかのように、二人は互いの温もりに身を預けた。